小林よしのり氏「もう国家論やめたくなった。わしだってもっといろんな表現をしたいよ」 | スクランブル交差点

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中国が海軍力を強化し、ロシアも極東方面での活動を活発化させている。竹島・尖閣諸島・北方領土を巡る近隣諸国とのトラブルも頻発しており、あらためて国防の問題がクローズアップされている。そんな中、BLOGOS編集部では、「国防」について真正面から論じた「ゴーマニズム宣言SPECIAL 国防論」を9月に上梓したばかりの小林よしのり氏に話を伺った。話は、震災の被災地取材時のエピソードから、フジテレビ・お台場デモ事件にまで及んだ。取材当日は最悪の体調だったという小林氏だが、我々の質問にもひとつひとつ丁寧に答えてくれた。(取材:BLOGOS編集部 田野幸伸、大谷広太)

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漫画でしかやれない、記録できないものをやっておこうと思った
―わたしたち編集部のメンバーも30歳前後ですので、小学生の頃は「おぼっちゃまくん」、中学生では「ゴーマニズム宣言」を読んで育った世代なんです。

小林よしのり氏(以下、小林):へえーそうでしたか。よろしくお願いします。

―今回の小林先生の新著「国防論」ですが、外交・防衛の話ではなくて、東日本大震災の描写からスタートしていますね。あくまでもイラストなのですが、悲惨で生々しい描写もあったので、緊張感をもってページをめくりました。
先生は漫画家ですから、映像や写真、文章ではなくて、絵で表現なさるわけですよね。漫画というメディアを通じて表現する上で、苦労された点などはありますか?

小林:もともとは自衛隊に対する偏見みたいなものを和らげようと思って、外国との軍事衝突を前提とする国防論として始めていた仕事なのですが、3月11日の震災以降、国民の偏見を取り除く、というのは(被災地での活動を通して)自衛隊が自力でやっちゃったから。
そうすると、わしがやらなくてもいい仕事になってしまった。

ただ、オウム事件の時にもそういう感覚はあったんですけど、3.11以降に起こった現象というのは、原発事故への反応も含め、かなり歴史的なものだと感じたわけですよね。3.11以降の現象を全部俯瞰して、記録したものを作りたいという感覚が生まれてしまいましたよね。

漫画というジャンルの中から、ひとつくらいそういうものを残せていてもいいんじゃないかな、ということで、地震の発生時点から連続して描きました。その中で自衛隊の活躍もあるということで。

やっぱり漫画だとカメラアングルを自在に変えられるわけですから、津波の発生時点から、それが東北に押し寄せて、どのように住宅を飲み込み、人々の背後に迫ったかというのも、漫画でならば描けるわけです。誰かの手によって撮影されたものではなくて、漫画でしかやれない、記録できないものをやっておこうと。

そうなると、一応現地にも行っておかなければならないから、嫌だったんだけど、行った。自分の想像力だけで描いてもいいんじゃないというのもあったんだけど、行かないわけにはいかないから。そこで見た光景は独特のものだったな。

漫画の中にも描いたけれど、”ソフトな無法状態”というものが(被災地には)あった。家の中は丸見え。誰も見張っていないから、家宅侵入も簡単にできるし、泥棒しようと思えばできる。外国ならば、結構取っちゃいますよね。非常事態に家宅侵入したり。日本人はそういうところ、何らかの後ろめたさを感じる。

一方では、自動販売機とか金庫が田んぼのなかに転がっちゃって、誰かがこじ開けたんだろうというものもあるわけです。他所から入ってきた悪いやつがやったのか、地元の人間が必要性に駆られてやったのか。わからないですよね。

あんな空間は、SF的なものでしか見られない世界でしたよね。現実感がないような。こんなことっていいのかなと思った。制御するのは自分の倫理観しか無いんですよね。普通、街中で暮らしていたら、明文化されたルールにしばられているところがありますが、あそこへ行くと、誰も見てないから何をしてもいいぞ、というのがあって。

実際の取材を行なってみて、こういうことが起こるんだなという、非常に難しい、ルールの想定外のことが起こっているということを体感したというのが、ものを表現する人間としては、ある種の好奇心をかられる出来事でした。


左にも右にも嫌われる
小林:そして、自衛隊の車両があれほどまでに被災地を行き交っていて、だからこそ安心するという感覚ね。
「軍靴の足音が聞こえる」とか「こんなに野放しで自衛隊が活動していいのか、軍国主義国家になったんじゃないか」、みたいにちょっと前ならすぐ言われてた。あそこにおいては、そんな陳腐な言葉はもう通用しなかった。自衛隊の車両を見るとほっとするという、そういう心理状態になるわけですからね。

―これまで自衛隊については、議論を始めようとしただけで、保守だとか、右寄りだとか、いわばタブーのような扱いをうけることも多かったと思います。
今回震災があって、国民の中で、自衛隊に対する「頼もしさ」のような認識も出てきたようにも思うのですが、小林先生の中では必要性を再認識された、ということでしょうか。

小林:というよりも今度は逆に心配になったけどね。つまり、単なるレスキュー隊と間違われていないかということだよね。国民にとって自衛隊の本来の姿が認識されているのか。ボランティアの延長線上のレスキュー隊として認知されちゃったんではないのか。保守派の人間たちも、「暴力装置じゃない、暴力装置じゃない」と言っているわけだから、非常に安全で無難な団体、組織として認知されようとしているということが、逆に危険だな、という感覚も持ちましたよね。

ー「世界で最も多くの命を救った軍隊」という言い方に端的に表されているかもしれませんね。

小林:そうですね。でも、軍隊ならば、具体的な軍事衝突の局面では命を取らなければならないという面、敵の命まで救うわけではないという面もあるわけだから、その辺を勘違いしちゃいけないんじゃないかなと思ってそこを危惧するようになった。でもそれを表明してしまうことが、保守派の人たちには気に入らない、”暴力装置”と書くことも気に入らないっていうことになっちゃうし。だから左にも右にも嫌われる、ということに結局はなりますよね。

―13年前に「戦争論」を出版されましたが、あの頃から比べると、ワールドカップでの盛り上がりなど、若者におけるナショナリズムや愛国心という話もクローズアップされるようになったと思います。先生の作品に対する読者や社会の反応は変わってきたと思いますか?

小林:昔はみんな若者は左翼だったんだけど、今は保守か、なんか”ネトウヨ”みたいな感じになっちゃって、切り替わっちゃったかなという感覚はしますよ、「戦争論」以降。
でも、今度はある意味、国家というものを持ち出しさえすれば自分自身の自意識を底上げできる、という人間が随分増えたなと。

自衛官のような”現場”を持たなくて、プロフェッショナルでもなくて、自分の全く未熟な”個”に対して、”国家”っていうものを出しさえすれば、人を”左翼”だとか”売国奴”とか色んな言葉で非難しつつ、自分だけは尊大に振る舞える。そういうことのために、国歌や日の丸がだんだん利用されてきている。そういう状況に対して、わし自身は嫌悪感を覚えることがあるので批判的になってしまう。そうすると"アンチ小林よしのり"みたいなのが出てくる。ネットの中からは特に。知ったことかという感じだけどね。どっちみち右からも左からも、全てから嫌われるということは前提ですから。何も誰かに気に入られたくて何かを発言しているわけじゃないので、できるだけ人の耳障りなことを言おうと、自然とそうなっちゃう。耳障りだけど言っちゃえとなってしまう。わしはそういうものじゃないと表現する意味はないと思っているので。

最大多数の言葉を全部代弁しちゃって、「そうだそうだ!」って言う同意をもらえるようには描いていないということですよね。


少年たちに影響与えた責任も感じる
―今回の「国防論」では、少年工科学校の生徒さんや、幹部候補生の若い自衛官との交流も描かれていますね。その中で、小林先生の作品を読んだことがきっかけで自衛隊を志したという方も出てきます。それを告白されて、作中の小林先生が複雑な心境になるというか、戸惑うような描写がありますね。

小林:そうですね。

―メディアの中でも漫画はわかりやすい、とっつきやすいので、若者に対して与える影響ももしかしたら小さくはないと思います。それについては、どういうお考えをお持ちですか。

たとえば「東大一直線」を昔描いていた頃に、少年が金属バットで父親を殴り殺してしまった事件がありました。東大一直線のファンだったということが新聞に書かれて、ちょっと悪い影響を与える人のように思われてしまったこともありました。

でも、表現するときに、人に何の影響もないものを表現しても仕方がないと思う。もちろん影響はあるだろうし、それによってどういう影響を及ぼすかというのはもう個々ばらばらになってくるわけで。

わしのものを読んで自衛隊に入ったという人がいるのは、嬉しいのは嬉しい。嬉しいんだけれども、万が一有事の時があったら、その人はそれで死ぬかも知れない、ということを考えると、責任も感じるな、ということになる。だから、もし憲法を改正して、専守防衛の立場を捨てた場合、米軍のようにアフガンに自衛隊が入っていくというようなことがあっても構わないのか、というのを本人たちに聞いておきたかった、というのがあるよね。

すると、意外にも、「自分は行く」というから、ああそうかと。そこまでの覚悟があるわけか、ということが確認できたことは良かったよね。それは、作品に影響受けたことで、自分の肥大化した自意識を担保するために”国家”というものを持ちだす若者とは違うからね。

自衛官は少年工科学校や防衛大学などの教育機関の中で、プライドなんかズタズタにされただろうし。とにかくプライドを崩す、ということが教育の前提としてあるわけじゃないですか。でも、ネット空間の中で、匿名で良いように言っている人間は、プライドが崩されないですからね。そこの差はありますよね。現場を持っている人間は、日々社会の中でプライドが崩れますから。そうなると、自分の等身大の実力とか、器量を客観的に見なければ仕方がない。
だから偉そうに言っていても、自分がどれだけのものなのかというのがたちまち跳ね返ってくるのが社会ですから。

やっぱり、わしの作品を読んで、そういう人たちが生まれる、そういう人達になってくれる、ということが一番うれしいこと。そういう人たちはもう社会の中に入っていて、自分の現場で闘ってるし、働いてるし、国家を形成する一人になっているし、そういう人はあまり匿名でなんか偉そうなことを言ったりとかしません。日曜日だって、とくにデモなんかに行く暇もないですし、家庭を大切にしなきゃならんし、子どもを日曜日くらいは遊んであげないといけないし。そういうもんだし。

そういうところに、戦争論を読んで、育ったひとたちがいっぱいいると思いますよ。


匿名の空間では本当の戦いはない
―「戦争論」以降、 「"個"と"公"」というキーワードが出てくると思うんですけども、「ネトウヨ」と先生がおっしゃる人たちというのは、「"個"と"公"」を議論しているようでも、実は"公"のためではなく、"個"のために国家を持ち出している、ということでしょうか。

小林:そうだね。私利私欲とか、私のプライドみたいなものを守り通せる匿名の空間というものでは本当の戦いはないから。

―私にも自衛官の友人がいますが、「アイロンがけが甘い!全員腕立て伏せ10回!」みたいな理不尽な状況から始まるそうですからね。

小林:それが"割礼"の儀式のようなものだからね、本来必要なものですよね。

なにも、わしだって好き勝手に大きな事を言ってるわけじゃなくて、人気投票や本の売れ行きですぐ結果が出てくることだし、そうなればたちまち自分のスタッフが雇えるかどうかとか、自分自身が食っていけるどうかということに反映していってしまうことだから。

そこにはそれなりの技術、客観性というものが必要だし、その上で自分の名前を出して、攻撃しても責任を取るというのがあって初めて表現に緊張感が宿るわけですから、匿名で好き勝手で無責任にやるのとは違うわけだよね。

―震災をきっかけに、若い人のなかで、ボランティアやチャリティに取り組むひとも多いようです。また、予備自衛官補の応募が増えているという報道もありました。

小林:何か世の中になることをしたい、国のためになることをしたい、人のためになることをしたい、という気持ちのある人が沢山出てきているという事自体はいいことじゃないかな。それはすごくいいことだし、私から踏み越えて、公のためにという感覚があるんだろうから、そのこと自体をわしは否定しないし、立派なことだと思いますね。

―一方で、学校で自衛隊や国防については教わりませんし、税金や公的サービスについて学習する機会もありません。大人になっても真剣に考える機会はほとんどないと思います。前作では「修身論」をお描きになっていますが、どうお考えですか。

小林:そうだね。まあ教えられていれば、わしが描く必要はないからね。そもそもね。


わしは別に防衛省の宣伝の人間ではないから
小林:わしがこの国防論で書いてるのは、必ずしも軍事衝突のことだけじゃなくて、経済のことも含めての国防を書いてるわけですし、国防の礎になる人間教育についても含めて書いてるわけです。軍事衝突において、この戦車とこの戦闘機が必要だ、という兵器マニアのひとたちのようなことは書いてないわけで。そういうところに国防の問題があるのではくて、やっぱり政治の延長線上が”戦争”なわけだから、今の政治の段階が国防であり、戦争である、とう感覚でいなければならないんだけどね。

―その観点から、自衛隊の用語や在り方も、あくまでも”戦時”を想定したものであるべきだとおしゃっていますね。ひとつひとつ単語が言い換えられた現状はあまり良い事ではないと。

小林:まずい言葉を全部封印していく、というようなところがあるよね。自衛隊の階級の名前も全部そうだから。一体何がなんだかわからないやっていうところがあるからね。
自衛隊の中においては、(軍事上の概念では)被災地の女川を「占領」している、それが前提の見解なわけだけど、そういうことはたぶんテレビなどのマスコミでは伝えてないと思う。ボランティア団体のように伝えているから。
でも、わしは、「”占領”しているんだ、これは」と描いてしまう。ちゃんと自衛隊としても「占領」という用語を使っているということを描いてしまっている。これはもしかしたら自衛隊からすると、あまり嬉しいことではないのかもしれないが(笑)、そうじゃないと困るよなということがあるから。

―それでは逆に自衛隊からの説明やPRをもっと実施しても良いようにも思いますが、国民の目から見ると、控えめで、積極的にアピールはしていないように見えますが、その点はどう思いますか?

それは難しいね。でも防衛省からは、今日もわしのところにブリーフィングに来たよ。今年の防衛白書はこうだから、このようにやってますという説明には来るよ。わしはその時に質問したりもするし。影響力のありそうな著名人にそうやって広報活動してるんだろうね。
防衛省のひとたちもどちらかと言うと非常に控えめに説明しようとするから、絶対こうだ、というような発言、政治的に問題のあるような発言はしない。それはしょうがないよね。やっぱり政治家の部下なわけだから自由には言えないよね。自衛隊員も政治的な発言はできないし、防衛省の職員も同様に、自由に自分たちの主張をしていいわけじゃない。
そして、時の政権によっても変わっちゃうわけだから。「じゃあ普天間基地どうするのか」って言ったって、鳩山政権のときと今じゃ全然違うだろうし。
プロパガンダでどうこうしようという感覚は、自衛隊や防衛省の中にはないわけでしょう。それはある意味では非常に健全な感覚ではあるよね。

何かって言えばすぐ「文民統制のはずじゃないか」、「シビリアン・コントロールが崩れてる」と左翼に批判されてきたわけだから、それは慎重になってるでしょうからね。

こっちも説明されても、わしは別に防衛省の宣伝の人間ではないから、例えば日米同盟についての説明をされても「米軍嫌いだし」とか、なっちゃうわけですよ(笑)。書いてるものと防衛省の説明してることとは違うものを書いちゃうわけであって。「何がトモダチ作戦だ!」とか(笑)。

中国だったらそうはいかんでしょう。中国共産党から漫画家が呼ばれて、「ここはこうだからな」、とかって言われたら、その通り書かないと逮捕されちゃうよ。

ゴーマニズム宣言SPECIAL 国防論


近隣諸国の危険を隠そうとしているマスコミ
―自衛隊は予算が削減されている一方で、むしろ役割は大きくなっていると思います。尖閣諸島では中国、竹島では韓国、北方領土は長年ロシアとの問題もあります。先日、尖閣諸島事件の中国人船長の釈放は、やはり”政治判断”だったということが報道されました。結局振り回されるのは海上保安庁や自衛隊のみなさんだろうと思うんです。

小林:そうですね。

―こういう状況をあまり意識しない国民、また情報も伝わってこない現状をどう思いますか?

小林:実際に中国の人民解放軍がどれだけ拡大を続けていて、潜水艦がどこを通って何を狙ってるのか、とか、ロシア軍機が日本列島一周している、などの話を、知っている人間は知ってるんだけど、どの新聞にも載っているわけではないし、テレビでもしきりにそれを報じてはいないよね。

それを報じると、日本のナショナリズムが刺激されて、中国何するものぞみたいな感覚が芽生えて、防衛費の拡大とか、自衛隊が軍隊になっていくという世論を作ってしまうだろうな、という風に考えるわけでしょう?マスコミの人間も。そこを隠そうとしているというのはひとつありますよね。

ナショナリズムを刺激するということがやっぱり左翼の学者というのはものすごく嫌うよね。それこそオリンピックとかで、日本を応援してたって、あれはナショナリズムじゃない、プチ・ナショナリズムだとかって言う言い方で、なんとかして過小評価しようとする感覚がものすごく働くのがありますよね。その延長線上に朝日新聞とかそういうのもあるのだろうし。日本人をどこかで信用していない。日本人は沸騰すると、たちまち攻撃欲むき出しにする、という風に思っているんでしょうね。一方で中国人は優しい人達だから、そういうことはないという風に思ってるのか、見ようともしないのかもしれない。

その辺のおばさんだろうと誰だろうと、中国がどこまで出張ってきているかとか、何企んでいるのか、とか、こういう危険性があると知っているような状態になっちゃったときに、日本人は一体どうするんだろうか?自衛隊を軍隊にしようと言うのかどうか?今のこの状態ではそれがわからないわけよね。知られないように操作されてるから。

でも、それがだんだん、知られるようになってきてるわけだけどね。昔のようには封印できない状況が出てきた。そういうところにおいては、YouTubeだとか、ネットの活躍があるわけだな。


フジテレビ批判、よく暇あるな
―マスメディアとネット、それぞれの問題点と、今後の役割ってどういうところだと思いますか?

小林:マスメディアの役割は、本当はものすごく重要でしょう。まず正確に情報を与えてくれなければ国民は何も判断のしようがないわけだから。だけどマスメディアそのものが、基本的にはスポンサーに左右される。経団連とかの気に入らないような論調で書けば、そりゃスポンサーが付かないから、やっていけなくなっちゃうわけでしょう。そうなると、「公」のためのというか、公正・公平な情報を国民に渡す、という役割を果たせないということになるよね。かなりねじ曲がっちゃってる。一部の利権のために、情報を操作してる可能性がある、ということになってしまうよね。それがマスメディアの今の問題ではある。

けど今度はネットの方で、テレビや新聞などのメディアは、ウソをいっていると、必ずその論調になりはじめるんだけど、そこはそこで、果たしてどこまで本当なのかなっていう(笑)。

―どうしてもネット対マスメディアという構図になってしまいますね。最近ではフジテレビ批判や、お台場デモの問題もありましたね。

小林:ある意味大したことないからね。韓流ドラマがいっぱいあるっていったって、いや、どうせ商売でやってるんだからとしか思わない。今不況だからなとか、広告が取れないんだろうなとか、安いからねとか。わかっちゃってるわけじゃない。怒る気もしない。まあ見なきゃいいんじゃないとしか思えなくなってくるんだよね。絶対見ないんもんっていうくらいの感覚にこっちはなってしまう。よく暇あるなっていう感じになっちゃうから。なんかこう、もっと有効に怒ったほうがいいんじゃないかなっていう気がするね。

―有効に怒る、とい言いますと?

小林:そういうネトウヨ系のヤツは、強硬なことを言っときさえすれば保守なんだ、愛国者なんだ、と思ってるから、「原発推進だ!」とか簡単に言うけれども、だったらもう、お前たち経団連の思うままに操られるだけだよっていうことであって。左翼と一緒になって「原発反対!」って言ったほうが、世の中それこそすっかり変わるんじゃない?と思いますけどね。

しかも、君たち年収200万円以下の下層でしょ?っていう。それでいいわけ?と。自分が選んでるんだよそれをって。お前らもう30、40(代)になってるだろ、ほんとはよっていう。匿名でやってるけども若くはねんだぞっていう。結婚もできないっていうような身分に置かれてそれで満足してるわけ?って。全然何に対して怒ってるのか全くわからない。怒らなければいけないのは、違うところにあるんじゃないかっていう。自分の立場に対して満足してないって、そこをちゃんと怒れよって言いたくなるよね。

―メディア批判が不満のはけ口というか、すっきりするためだけになってしまっていると。

小林:長いこと君たちは階層の下におかれるんだよ、あんたたちどんどんオッサンになるよ、醜くなるよ、っていう話でね。デモなんかに出かけられないよ醜くって、ということになるよね。


自己欺瞞に耽って、何も決断しない日本人
―最近、"将来にツケを残さず増税"、という話もあります。そうなると、当然我々20代や30代も責任を引き受けなければなりません。

小林:結局、民主主義は多数決だから。多数決だとこれからは高齢者が多数になっちゃう。政治家はそっちの顔色見なきゃならんからね。若者の顔色見たって票にならんと。それが民主主義そのものの欠陥でもあるわけだし。だからこそ、「公」という感覚があるのならば、本当は年寄り連中が、「もう自分たちはいいじゃないか、若い人達のためにどうすればいいか考えようや、自分たちばっかり金貯めこんでたってもしょうがねーよ。これどんどん処理しまようよ」と言い始めたりしないのかな。

若い人達がずっと収入が少ないままで結婚もできないと少子化にもなるし、全然日本のためにならない。今の経済政策そのものがおかしいんじゃない?とか、若者も年配の人もみんな気づいて欲しい、というのがあるよね。

―将来のツケ、という意味では脱原発の議論もあります。小林先生は、自前で核を持つとして、その上で原発を撤廃するなら賛成だとお書きになっています。
原発を持つということは、核兵器を製造する潜在的能力を示す効果もあると言われます。その反面、現在、日本は原発を海外に輸出しようとしていますが・・・

小林:まず、原発があったら核兵器製造の潜在能力を持っている、ということが完全に破綻しているということをいい加減、認めなければならない。
ちゃんと原発には軍事転用できないように(IAEAの)査察が入っている。だから原発を持っている限りは、むしろ核兵器を持てないと言っていいくらいの状態になっている。それなのに、潜在的な核兵器だという、自分一人で幻想に浸っている。持てないんですよ。

原発を持ったまま、核兵器を持とうとした場合、そこからどうしたって4、5年はかかる、1年じゃ無理。向こうが核使うぞ、って言い始めて、4、5年かけていたら間に合わない。持つんだったら持つというコンセンサスを取るしかもう無い。それは原発を持っていようと持ってなかろうと、関係がない話で。

原発をいくら持っていても、核兵器を持つっていう風にどこかで国民の80%くらいが賛成して決めない限りは、原発は核兵器には化けない。80%の国民が賛成すれば、どこかに核兵器を作る基地をつくろう、ということになる。ただしそれは、当然どこの場所かというのは明確にはできないから、ダミーをいくつか作ってそのうちのどこかでつくるとか、北朝鮮のようにだまくらかさないと、爆撃されちゃうし、なおかつ原子力潜水艦も作らなければならない、となってくるわけだから。それは、決断次第でしょう。原発を持ってようと持ってなかろうと。

むしろ原発を持ってることの方が、「あぁ、これで核兵器持ってるんだ」って勝手に思い込んでるだけで、いつまでたっても核兵器の開発には結びつかないでしょう、ということだよね。

いずれにしても、自分たちの覚悟だから。憲法改正して自衛隊を軍隊にするっていうコンセンサスをどこで取るんですかと。これは全部どこかで覚悟しなければならない話で、そういう感覚が芽生えない限り、国防なんて絶対完璧にはならないわけだよね。

結局、自分で自己欺瞞を犯してるわけだよね。「原発さえ持っていれば、核兵器を持っているということになる、将来的にはこれが核兵器に化けちゃうのである」、「自衛隊さえ持っていれば、軍隊を持っているのと、やや等しいぞ。いつかはこれが軍隊になるのである」と、いつもいつもずっとそのような自己欺瞞に耽って、何も決断しないという状態が長く長く続いている。

本当は原発を持つときにしろ、あるいは自衛隊を作った直後にしろ、当時の日本人には覚悟があったはず。憲法制定時もそう。当時の社会党や左翼までもが、こんなの憲法押し付け憲法であって、自分たちで憲法作らなければダメだということは言っていた。それは日本人の常識だった。核兵器にしても日本も持たなければならないというのは政治家が常識として言っていたこと。そういう日本人がどんどんどんどんいなくなってしまっている、ということが問題なのであって、どうやってそれを本気で思える日本人を作るかということが一番の国防なわけですよね。


なんかもう国家論やめたくなったなみたいな(笑)。
―さきほど、批判を覚悟でやってらっしゃるとのことでしたが、小林先生は、メディアが取り上げない、タブーのようなテーマにも取り組んで、常に戦っているなというイメージがあります。次に取り組んでみたいテーマはなんでしょうか?

小林:なんかもう国家論やめたくなったなみたいな(笑)。効果がないな、みたいな。なんかもうちょっと別のことやれんかなとか、こればっかりやってもしょうがないなとか。難しいんだよそこは。

―「国家論」に取り組みはじめたのは98年の「戦争論」からですよね。「靖國論」、「天皇論」、「修身論」、国防論と。

小林:ずっとやってきたけど、これで変えられるかなっていうのが。なんか難しくなってきたなと。
わしだってやっぱりもっといろんな表現をしたいよ(笑)。もうちょっと違う漫画も書きたいなとか。

―また「おぼっちゃまくん」を?

小林:そうだね。おぼっちゃまくんに戻るかどうかはわからんけど、フィクションも含めて、違う漫画も描きたいなという欲望もあるよね。

―ただ、我々の世代だと、やはり他のメディアが取り上げないテーマに関しては、小林先生の漫画から知識を吸収した、という人も多いと思いますが。

小林:そっかあ。伝わってるひともいると思うんですけどね。とてつもない読者もいるなっていう風に思うような手紙が来たり、Amazonのレビューで散見することもある。
読者アンケートが来るでしょう?あれを見ていると、すごいな、よくここまで行間を読んだなという人もいるからね。あとはそういう人達に期待するかな、という感覚もありますよね(笑)。

―今日はありがとうございました。

(9月29日、東京・渋谷にて)