カリフの地位は元々、宗教的権威と政治的権威の両方を兼ねていました。

 

それが、セルジューク朝の時代に政治的権威は、スルタン。宗教的権威は、カリフに完全に分離しました。

 

それが、オスマン帝国の時に、スルタンの地位がカリフも兼ねるようになって、スルタン=カリフ制ができる。

 

ここで原則の確認。このスルタンは、オスマン帝国の代表。

でも、カリフとなると全世界のイスラーム教の代表。

ここがポイントです。

 

オスマン帝国末期に、最初に第一次世界大戦の責任を問われたのはスルタンの地位の方。

したがって、スルタン制はすぐに廃止される。

 

しかし、カリフは、イスラーム世界の代表なので、簡単に廃止にはできません。キリスト教でいうところのローマ教皇を廃止することになるので、国内外から反発も起きます。

 

したがって、オスマン帝国の血を継ぐ、アブデュルメジト二世をカリフにして、カリフ制は存続しました。

 

ムスタファ=ケマルがトルコ共和国を建国するとは、政教分離を宣言して、カリフ制自体を廃止することを決めました。

各国で反発が起こり、インドではヒラーファト運動といって、カリフを守る運動も行われたりしました。

 

最終的に、ムスタファケマルはトルコの脱イスラーム化をはかり、トルコの国教からイスラーム教を排除することを決め、カリフ制も廃止しました。

 

 

要約すると

政治的権威のスルタンは、簡単になくせたけど、

宗教的権威のカリフは、簡単にはなくせず、段階を踏む必要があったということです。