「勝ちに不思議な勝ちあり、負けに不思議な負けなし」

野村克也さんの名言で私も時々引用させて頂いているが、最近では有名になりすぎたか、他の方が使っているのもチラホラ耳にする。

今までは何の気なしに使わせて頂いたこの言葉だが 最近ハッと違和感に気が付いてしまった。

「負けに不思議な負けなし」は、まさしくその通りだ。負けには負けの原因がある。今後の為にしっかり修正したり教訓にする事は大事な作業である。

一方「勝ちに不思議な勝ちあり」というのは、どうだろうか?切り離してこの「勝ちに不思議な勝ちあり」だけに注目すると、あまりにも客観的過ぎるのではないか、と思ってしまったのだ。要は当事者の発言に聞こえないのだ。

勝負の当事者は勝った時ほど 相手の立場になって考え、勝った要因を探り、また対戦相手の敗因を分析し、今後の自分達の糧にしなくてはならないのではないか。

ことわざには「反面教師」、「人のふり見て我がふり直せ」、「勝って兜の緒を締めよ」など、優位な(勝っている)立場から気を引き締めることを促す言葉が多く存在する。つまり勝った時ほど 負けない為の準備をするのがプロの集団という事なのだ。

なのに、「なんだか不思議な勝ちだったな」で終わらせてしまっては、あまりに表面的で薄っぺらい。

もちろん、勝利に喜ぶことは否定しない。大いに喜んだらよい。しかし、一定の時間が過ぎた後は 「不思議な勝ち」の本質はどうだったのか、きっちり分析し、それを次への教訓に変える必要がある。

こちらにとっては一見不思議な勝ちでも、負けた方にとっては不思議ではなく、そこに必ず、不思議ではない理由が存在する。こんなミスをすれば勝てない、こんなプレーが相手を助ける事になる、など、その試合をもう一度、敗者の立場になって考えれば、不思議なだけだったはずの勝利にはっきりした勝因が見えてくる。

そしてこのプロセスこそが、プロの集団の考え方なのではないか。勝った時ほど気を引き締めて、次の試合に臨むという事が大切なのではないかと思う。

こんなことまで突き詰めて考えてしまう私はやはり変わり者なのかもしれないが、「不思議な勝ちあり」はあくまでファンやマスコミの発する感想であって、現場の人間や専門家が発する言葉ではない。プロは常に未来を見据えて行動しなくてはならない。


さて、先週のタイガースは 3勝3敗。交流戦初の負け越しも経験した。

何と言っても、高山と福留に元気がない。高山は 捕手寄りの足に体重を乗せている時間が一球ごとにマチマチで下半身の使い方に問題があるから 右肩が早く回転運動をしてしまうのだ。

言うまでもなく、下半身と上半身は連動している。下半身を使えば そのエネルギーは上半身に伝わり、そこから 腕を使い バットスピードを上げるのだ。

投手も同様に 下半身で貯めたエネルギーを上半身に伝え、そこから腕に伝わり、ボールをリリースするポイントで一挙にエネルギーを放出するのだ。

わかりやすく言うと、下半身が第一エンジン、上半身が第二エンジン、腕が第三エンジンだ。打つ事も投げる事も 第一・第二・第三と順序良く動く。

ただ、打者の場合、アウトコースや変化球を打つ場合は 第一エンジンを使い、第二エンジンを止めて、第三エンジンを動かすのだ。つまり、まず、下半身を始動させるが、アウトコースや変化球と判断したら上半身の回転運動を止めて、「待つ・呼び込む・ためる」という動作をし、そして ヒッティングポイントにボールが来たら第三エンジンの腕を使ってバットを振る打ち方をするのだ。

しかし、ここでいくら第二エンジン、投手寄りの肩を止めようと思っても 止まらない。原因は第一エンジン、下半身の運動が止まらないからだ。要は 下半身を使えば上半身が動くので それで良いコースや球種も有るが、下半身が回転運動をすれば上半身も回転運動をするので、それで困るコースや球種も存在するという訳だ。

しかも単純にボールになる変化球に手を出さない為には 肩を開かなければいい、では 解決しない。こんな程度の意識で解決するなら 何の苦労もない。

変化球を打つ事ができず、プロ野球の世界から去った多くの選手は 変化球が打てない問題を投手寄りの肩の動きと考え、その間違った修正法に固執した為に去っていったのだ。
下半身の回転運動を止めれば、上半身の回転運動は止まるのだ。第一エンジンを制御して第二エンジンを止めるということだ。

今の高山は 肩の開きを抑えたいが為にヒッティングポイントを捕手寄りにしている。しかしこの対処法では今度はストレートへの対応が遅れ出す。変化球のボール球に手を出す事が減ってもストレートには詰まり出すからヒットの数も減ってしまう。

間違った修正法だ。

実は彼の欠点は学生時代からまったく変わっていない。それが、下半身の回転を止められないという事なのだ。第一エンジンの制御だ。この欠点を修正できなければ彼はこのままの選手で終わってしまう。

少し専門的になるが、足の骨には腕のように内旋や外旋をさせるという、器用なローリング運動は出来ない。上腕と前腕でできるようなローリングの動きが、足の場合 物理的に不可能でつま先から足の付け根まで どうしても一緒に回転してしまうのだ。

捕手寄りの足のかかとが捕手の方向に向いたらその時点で下半身全体がその方向に回転してしまう。逆に言うと、仮にヒールアップしてしまっても、かかとが捕手寄りに向かなければ下半身は止まる。

打者の第一エンジン、下半身、足の動きはこの調節に重点が置かれる。これが早く動いてしまえば、上半身も連動してしまう。止まれば、上半身も止まる。

この捕手寄りの足の使い方が天才的だったのが、何を隠そう金本知憲だ。そしてその天才に限りなく近い動きができるのが糸井嘉男である。

もちろん、この足の使い方ができたら全ての球種やコースが打てるという訳ではない。しかしこれはバッティングの基本的な動作である。

これができないと次のステップへ移行できない。金本や糸井のように100点満点の選手はプロでもなかなかいない。しかし100点を取れとは言わないが、せめて80点ぐらいは取ってほしい。

今のところ、高山はこの技術に関しては40点ぐらいだ。これを最低でも70点にできれば 今度は彼の天才的な野球センスで 一流の選手に駆け上がれるだろう。

従って、高山にはただ練習あるのみだ。練習とは弱点の克服でもある。ついでにここまで書いていて思ったが、私のブログも専門的になったり 文字数が多すぎるという弱点を克服したいものだ。

こんな私のブログを最後まで読んでいただいた読者の皆さんには感謝いたします。