「運」の良し悪し。  これは勝負をする者にとって、とても重要である。

何も勝負師でなくても、一般の方でも運が良いにこした事はない。
しかし一体その「運」をよくするにはどうしたら良いのか。ある人は藁にもすがる思いで神様にお願いに行き、またある人はパワースポットに出かけたり。幸運欲しさに行動を起こす人も少なくない。

プロ野球の各球団もご多分に漏れず、シーズンに入る前、きまって「必勝祈願」をする。全員がユニホームを着て、玉串を奉納し優勝を祈願するのだがその願いが叶うのは毎年1チーム(リーグ制覇はもう1チーム)だけである。

タイガースもシーズン前には必ず2箇所の神社に行き、優勝を祈願するのだが、1950年の2リーグ制になってから願いが通じ、リーグ優勝したのは5回、日本一はたった1回しかない。

一方でジャイアンツは リーグ優勝 36回、日本一が22回ある。

私がプロ入りした最初の球団、ヤクルトスワローズは 入団当初、「お荷物球団」と揶揄(やゆ)されていたが ヤクルトスワローズになった1974年以降、リーグ優勝は7回、日本一は5回ある。

タイガースは 優勝回数で言えば セリーグで5番目である。しかし最下位のベイスターズですら1950年以降 日本一は 2回あるのだ。祈願のしかたが甘いのか、神様もずいぶんと不公平である。

因みにだが、シーズン前の必勝祈願を2か所の神社で行うのはタイガースだけだ。こう考えると、2か所も行くから悪いのだろうか?本来、運を授かりに行う必勝祈願が反対に神の怒りに触れてしまっているのなら本末転倒である。

そもそも、お参りにさえ行けばご利益があるという考え方自体も実証されていない。神の怒りを買うなどという事も、誰も理路整然と証明は出来ない。

そうは言っても、私は時々「運」とは何だろう?と考えてしまう。勝負の世界に身を置いた人間として「運」は絶対に存続すると確信している。
だが、絶対に存続していると確信はあるのに「運」の事は見えないものだけによく分かっていない。たびたび出口の見つかりにくい疑問にぶち当たってしまう。


ダーウィンが「進化論」を築き上げる過程で影響を受けた考えに「適者生存」がある。「生物は 強い者が生き残ったのではなく、環境に適応した者が生き残ったのだ」というものだ。

つまり、これは「運・不運」の話ではない。人間が恐竜時代や隕石の落下による環境破壊から生き残り、この時代を支配しているのは運が良かったからではなく、環境に適応したからだ、という考えである。

この考えには説得力があり、それなりに納得できる。

一方でその考えに対して「運者生存」という概念がある。環境への適応は さておき 運の良い者が生き残れる、という考え方だ。

たとえば最近読んだ本によると、マンボウという魚は一度の産卵に2億7000万個の卵を産むという。しかし、このうち、親になるまで生き残るのは 1~2匹だそうだ。この1~2匹は特段他の卵より環境に適応したのではなく、単に運が良かったら生き残れた、というのだ。

つまり、どの卵が「運者」の指名を受けるのか、全く不確定だが、その指名を受けたものだけが生き残れる、という訳だ。

野球人の求める「運」も、これと同様に不確定なのではないか?と思ってしまう。野球界において、環境に適応するという事は実力をつけるという事とイコールではないだろうか。

しかし、実力をつけた適者だけが生存するかというと、野球界を見渡すとそうは見えない。適者生存だけでは生き残れない気がしている。現に実力はあるのに、生き残れず去っていった選手は数多い。

私が幼い頃、ナイター中継を見ていた時に「長嶋や王の控え選手は ずっと 控え選手だ」と解説の人が言っていた事が記憶に残っている。

タイガースOBの赤星氏も社会人時代にタイガースの春季キャンプに参加してなければ、野村克也氏の目に止まる事もなくのちにタイガースでプレーすることすらなかった可能性はある。

だから、みんな心の奥底でマンボウの卵ではないが、運者の指名を手に入れたいと思っているのだ。現実、私の目には 適者であり、同時に運者である者だけが、スターへの道を駆け上がっていくように見える。


さてそんな中、週末の日本ハム戦は人間ドラマに溢れた試合だった。

4日の試合、 11回裏、原口の打球は打った瞬間、ダブルプレーと思った人も多かったと思う。しかし、相手エラーでサヨナラ勝ちになるのはまさに「運」そのものだ。

エラーした人間は 「甲子園」というステージに適応できなかったのかもしれないし、完全アウェーという環境に適応しなかったのかもしれない。

そして「運」を支配するものから「運者」の指名を受けたのが岡崎だろう。2017年6月3日と4日は岡崎にとって忘れられない二日間になったと思う。

4日のヒーローインタビューで 昨夜の事を聞かれ「家に帰ったら カミさんが泣いてました」とコメントしていた。その言葉に思わず、もらい泣きをしてしまった。

相当な苦労だったと思う。ここ数年は毎年のように「戦力外」という言葉に怯え、来る日も来る日も、二軍暮らし。そんな岡崎が甲子園の「お立ち台」に二日も続けて立ったのだ。その姿は岡崎の奥さんにとって、それはそれは感慨深いものがあったと思う。

バッティングに難ありとレッテルを貼られた男が3日には本塁打を放ち、翌日にはサヨナラ場面で粘って13球目を引っ張ってヒットを打ったのだ。彼の野球人生において どん底からの起死回生となり得る。

実のところ、これまで見てきたヒーローインタビューの中で最も感動したインタビューだった。現役時代から含めてもこれほど心の底から感動したことはない。

この2日間の活躍は岡崎を取り巻く環境を大きく変えるような気がする。将来、指導者の芽も出てきたかもしれない。岡崎には これを機に益々活躍して欲しい。

前述の通り、野球界を生き抜くにはまず「適者」になり、そして「運者」でもある事が条件だと思う。今、2軍や育成枠で頑張っている選手達が、早く、この2つの条件を満たしてくれるのを楽しみにしている。

運者をつかむ日はいつ訪れるかわからない。岡崎がそれを証明してくれた。