先週、タイガースは4連勝したのに対してドラゴンズは4連敗しドラゴンズの最下位が決まった。

レベルの低い話ではあるが タイガースは最下位を免れてホッとしている。Bクラスは決定しているものの 最下位よりは5位に、5位よりは4位になって欲しいと思っている。

そのドラゴンズだが 4年連続Bクラスというのは球団史上初の出来事らしい。しかも、最下位は19年ぶりという。

私の率直な印象としては「そんなに強かったのか」である。

私がプロ野球に入団したのが1985年である。この年の優勝チームがタイガースだ。タイガースが優勝をした日、神宮球場は黄色一色に染まり、ファンがグランドに降りてこないように警備員を増員してヤクルト球団は厳戒態勢をとっていた。

優勝が決まり、タイガースファンが歓喜する中、スワローズの選手は こっそりと クラブハウスへ引き上げた。その中に 私もいたのだが ここで 事件が起こった。

神宮が黄色一色に染まったとはいえ スワローズファンも少しだが 本拠地での胴上げ阻止を願い 一生懸命 応援してくれていたのだ。

にもかかわらず、情けない結果となり 怒りを抑えきれなかったスワローズファンがクラブハウスへ押し寄せて来たのだ。

「お前ら それでもプロか!」「土橋、出てこい!」と、その罵声は 凄まじかった。

我々は 早く クラブハウスから出て 帰途につきたかったのだが、立ち往生となり、押し寄せたファンが去るのを待っていた。

しかし、いっこうに収まらない。ついに我慢の限界を超えたあるベテラン選手が自家用車で クラブハウスから出て行ったのだ。待ってましたとばかり、ファンは群がりそのベテラン選手の車をボコボコにしてしまったのだ。

十数名の警備員と数名の警察官が止めに入り、やっと 騒動が収まったのだが 「大変な所に来てしまったんだな」とルーキーだった私は 先行きの見えないチームと私自身に失望感というか、絶望感というか、なんとも言えない気持ちになってしまった。

その時の5位のチームがドラゴンズだった。翌年もスワローズは最下位になり、5位も やっぱり ドラゴンズだった。当時、Bクラスは スワローズとドラゴンズ、そして 大洋ホエールズだった。

その時の印象があまりにも鮮烈だったので、ドラゴンズに対し「そんなに強かったのか」になったのだと思う。

ところが 1987年に星野仙一氏が監督になってからドラゴンズは ガラッと様がわりするのだ。この年、いきなり2位になり翌88年には リーグ優勝を成し遂げた。

スワローズと大洋ホエールズは 相変わらず Bクラスの常連で そこに ドラゴンズに変わり タイガースがBクラスの仲間入りをするのだ。

ところが、そんなBクラスの常連だったスワローズとタイガースが1992年にリーグ優勝を争うことになる。そしてこの時の最下位のチームがドラゴンズだった。この時のことも明白に覚えていたこともあり、19年ぶりの最下位と聞いて 驚いている。

最近、あるドラゴンズのOBは どこに行っても「ドラゴンズ、大丈夫ですか?」と聞かれると言う。

落合GMと谷繁前監督との不仲説やFAの権利を取得した選手に対しオーナーが「代わりの選手は いくらでもいる」と発言したことなどに 心配、危惧しているのだと思う。

オーナーの発言の真偽は分からないが 本当に この様な発言をオーナーがしたのならば、チームの崩壊と言われてもうなずける。

本来、ドラフトで指名をするという事は その選手の人生を左右する事にもなるわけで 球団には それなりの責任もあるはず。そんな中、FAを取得するという事は チームに貢献した証でもある。そんな貢献者に対して「代わりの選手は いくらでもいる」では、これを聞いた他の選手も含めてモチベーションが上がる訳がない。

繰り返しになるが、真偽のほどは定かではない。しかしこんな話が漏れ伝わってくること自体、寂しい限りである。

ドラゴンズでFA権を取得した平田や大島には 短気を起こさず 冷静な判断をして欲しいと思う。


さて、タイガースだが ここに来て 藤浪やメッセンジャーのピッチングが素晴らしい。もちろん、優勝を成し遂げ 間延びしているカープと戦意をなくしているドラゴンズに対してなのだが、それにしても 本当に 素晴らしいピッチングだった。

ストレートの威力や変化球のキレが抜群だった。この二人、あと1試合ずつは 投げると思う。レベルの低い話ではあるが 少しでも上の順位でもある4位を目指し、「終わり良ければすべて良し」ではないが有終の美を飾って欲しい。

ここまで来たら、とにかくチームが4位になり 高山が新人王を獲る事を願っている。