メッセンジャーの甲子園での 3試合連続完封は 史上3人目で バッキー・村山実氏以来 48年ぶりの偉業だそうだ。

さらに、 マートンも あのランディ・バースの持つ 外国人最多安打743本の記録に並んだ。

私はバッキー氏や村山さんが実際に投げている姿の記憶がない。バッキー氏は 1969年に 村山氏は1972年に引退をしている。私が 小学校1年生と4年生の頃なのだが 全く 記憶がない。

多分、二人の姿を見ているのだろうが 覚えていないのだ。当然、録画は 見ているが リアルで私の頭の中には記録されていない。

小学生だった当時、私は 死んだ親父の影響で いつも 巨人戦を見させられ 必然的に巨人ファンだった。王さんや長嶋さんに憧れ いつも 王さんや長嶋さんが打席に立つと「ホームランを打って」と願っているような子どもだった。

茨城県の田舎者で 野球中継といえば巨人戦しかなかった。

ただ、ウィリー・カークランドは 覚えている。タイガースの縦縞のユニホームを着て 爪楊枝をくわえプレーする姿は 今でも 鮮明に覚えている。

カークランド氏は1968年から73年まで タイガースでプレーしており背番号は たしか31、そう 31なのだ。

小学校5年生の時 初めて 後楽園球場でナイターを見た。実は 相手チームを覚えていない。当時、茨城県の結城市から後楽園球場のある東京都文京区まで 電車の乗り換えを入れると3時間半ぐらいかかり後楽園球場の内野スタンドの1番高い所に着いたのは もう 試合が始まっていて 2回表だった。

すでに 1回裏に 3点が入っていて 父が 隣の人に点の入った経緯を聞くと 何と 王さんがスリーランホームランを打ったという。

だから もっと 早く 家を出ようって 私が言ったのに 「まだ、大丈夫だ」と言って 家を出るのが遅くなってしまい 厳しい父親だったので口には出せなかったが 腹が立って仕方がなかった。

その後 王さんや長嶋さんが ホームランを打つことはなく がっかりして帰途に着いたのだが 家に着いたのは もう 次の日になっていた。

プロ野球とは 大人だけでなく 小さな子供達にも 楽しみや夢を与える。私は 小学校5年生の時 初めて見たカクテル光線の鮮やかさ、球場の広さ、大人達の声援、あの思い出は 今でも鮮明に覚えている。

今日 甲子園球場に応援に駆けつけた子供達、或いは今日は来れなかったが いつも タイガースを応援してくれている子供達は メッセンジャーやマートンの事は忘れないだろう。

そして 甲子園の広さ、芝生の綺麗さ、鳴り物に合わせた応援、そして あのジェット風船も 何歳になっても忘れないだろう。

タイガースも含め プロ野球チームには責任がある。子供達は もちろん 子供の頃から応援してくれているファンに また 大人になってからファンになった人にも「夢」や「楽しみ」や「希望」や「元気」を与える事がプロ野球の使命である。

タイガースにとって 今日は 記念の日になった。実に 良い試合だった。今成のヒーローインタビューは ウケを狙い過ぎて スベってしまったが メッセンジャーの投球内容は素晴らしかった。

マートンも徐々に調子を取り戻していて あとは 鳥谷と上本待ちである。上本は 17日の試合に出ていると言うから まもなく復帰するだろう。

交流戦を無事に乗り越えれば 優勝も見えてくる。ただ、交流戦を無事に乗り越える事は 容易いことではない。選手一丸となって 頑張って欲しい。