見事な3タテだった。試合内容も 素晴らしく それぞれの選手がよくやった。

「優勝」の二文字すらも 頭に浮かぶ 試合内容であった。

なんと言っても、最後は 関本が決めた。思い返せば、2012年の春のキャンプで 関本からグリップの高さについて質問を受けた。「グリップって 低いとダメなんですか?」と唐突に聞かれた。私は 「問題は グリップの高さじゃないよ。ヘッドの高さなんだ」 と答えた。

「つまり、ボールを打つのは バットの芯だ。だから、バットの芯が自分のストライクゾーンより上にあれば 上から叩けることになる。セキ(関本)の場合、トップを取った時のヘッドの高さは 鳥谷より高いから ぜんぜん 大丈夫だよ」とアドバイスした。

関本は 安心したように笑った。よっぽど、悩んでいたのだろう。雑音もあったかもしれない。あれから 独特のトップと言われながらも 良い意味で頑固に そのスタイルを貫いてる。まだまだ 老け込む年齢ではない。これからも「代打の切り札」として活躍して欲しい。


さて、
「プロ野球が発足して80年、節目の年」というフレーズを テレビ中継でも 頻繁に言われているが 読売系のTVが言うのは構わないが 他のテレビ局が言ったり プロ野球解説者が言うのは いかがなものかと思う。

というのは 日本で最初のプロ野球は 1920年の創立、日本運動協会(芝浦協会)というチームが 日本で最初のプロ野球チームである。翌年の1921年 天勝野球団が旗揚げし この2チームは1922年 朝鮮や満州へ遠征して戦った。

朝鮮半島でも満州でも 相当の人気を集め 同じ土地で行われていた大相撲の興行を圧倒していたという。そして、日本国内で プロ同士が戦う 初めての試合が芝浦球場で行われた。1923年 8月30日の出来事である。

この年のスポーツ誌「野球界」で プロフェッショナル宣言も行っている。しかし、9月1日 関東大震災に見舞われ 芝浦球場は物資の供給地として使われ 野球の試合が出来なくなった両チームは解散に追いやられた。

それから 約10年後の1934年の12月26日 読売ジャイアンツの前進である大日本東京野球倶楽部が設立されたのである。翌年の1935年 12月10日 大阪タイガースが発足した。つまり、巨人軍の発足の10年前からプロ野球球団は存在していたのである。

NHKまで 「プロ野球誕生 80周年」なんて やっていたけど 誤った歴史認識も はなはだしい。何でもかんでも 「読売」中心では困る。こんな事を 日経の電子版「ダイヤモンドの人間学 」で 書いてます。
興味のある人は 是非 読んで下さい。

今週のタイガースの活躍が楽しみなんですが 私は 18日まで旅に出ております。
19日から再開致します。遠い地から タイガースの活躍が ファンの皆さんに元気を与えてくれる事を祈ってます。