昨日の日本野球史、続きである。

東京巨人軍の誕生までを話したが 翌年 1935年 12月10日 「大阪タイガース」が発足する。

藤村富美男さん、若林忠志さん、景浦将さんという伝説の選手達が入団し、ここから 永遠のライバル関係が始まる。

今では、必ずと言っていいくらい 阪神・巨人戦がある時は「伝統の一戦」と呼ばれる。実は 翌年 1936年 1月15日には 「名古屋軍」が誕生している。

「名古屋軍」は 言わずと知れた 今の 中日ドラゴンズである。という事は 阪神対中日も 伝統の一戦なのである。そしてもちろん、巨人対中日も 伝統の一戦なのである。

しかし、なぜか阪神対巨人戦しか「伝統の一戦」と呼ばないのは不思議である。

その後、「阪急軍」 「名古屋金鯱軍」「大東京軍」「東京セネタース」と 出来て7球団で 第一回 日本職業野球リーグが開催された。

春・夏・秋の3シーズン制で戦った。1936年の出来事である。

この年をもって 日本プロ野球がスタートする。

1950年には セリーグ・パリーグの2リーグ制に別れ この時 セリーグでは「 大洋ホエールズ」「国鉄スワローズ」「広島カープ」が参入し、8チームで ペナントを争った。

ちなみに 2リーグ制になって 最初のセリーグの優勝チームは「松竹ロビンス」である。ちなみに日本一は毎日オリオンズ。
松竹ロビンスとは 1936年にプロ野球のスタートを切った当時の大東京軍である。
1953年に 大洋ホエールズと合併して「大洋松竹ロビンス」となったのである。

楽天の田中投手の大記録を顧みる時、メディアによっては1936年から遡る報道もあれば 、2リーグ制になった1950年から遡っている報道もある。

この辺は解釈が分かれるところだが、私は 1936年からの方が 正しいと思っている。

次回は、野球を国民的スポーツに発展させた「影の功労者」の話をします。


さて、昨夜の試合 またしても 投手の継投で失敗している。

確かに 監督業では投手交代が一番難しい、と言われている。しかし イニングをまたいで投げられる投手と投げられない投手ぐらいは分かるだろう。

例えば 久保なら長いイニングを投げられる。したがって、イニングもまたげる。

しかし、今の松田は 無理だ。勢いがあった時だったら大丈夫だったかもしれない。だが、今の松田は 一時の勢いをなくしている。

おそらく、初めての一軍で疲労が蓄積しているのだと思う。こうした疲労は少しぐらい休んでも なかなか 取れるものではない。こういう松田の状態を考えれば 1イニング限定だ。

継投の失敗で試合を落とす事は 監督にとって、一番の批判対象となる。反対に 上手い継投をすれば評価も上がる。

つまり、監督の腕の見せ所 という訳だ。

CSでは 継投ミスがない事を願いたい。

そして、もう一言、甲子園は 皆が思うほど広くないと言っておきたい。両翼が95m センターが118m。 両翼とセンターは セリーグの球場では 一番 ホームランが入りやすい。

ただ、右左中間が118mで一番広いので 広く感じるが 水はけを良くする為に 打ち下ろしになっていて実際は入りやすい。

一般的に甲子園を ホームランの入りにくい球場にしているのは「はまかぜ」のおかげだ。

この時期、季節が変わり はまかぜが吹かなくなった甲子園は、実のところホームランが出やすい球場になっている。

バッテリーには その事を認識し 配球を組み立てて貰いたい。