先日、私の恩師である 元ヤクルトスワローズの監督 土橋正幸さんが他界された。

大変、お世話になった。

ご病気だという事は耳にしたのだが まさか こんな事になるとは思わず 非常に残念である。

私がヤクルトスワローズに入団したのは 1985年である。その時の監督が 土橋正幸さんだ。筋萎縮性側索硬化症という難病を患い 先日 他界された。

8月28日がお通夜、29日が本葬だったのだが式場には たくさんの花があり そして 土橋さんの若き日の写真がたくさん飾ってあった。中には、ヤクルト監督時代の写真もあった。その当時の思い出が走馬灯のようによみがえった。

土橋監督は 心優しい人であったが 江戸っ子気質で 何しろせっかちで短気だった。当時のヤクルトといえば 毎年 最下位争いをしている弱いチームで「お荷物球団」と言われるくらいだった。あるミーティングで、何度も同じ失敗をしている若手投手に
「お前は、うま・しか、って知っているか?」
と土橋監督が乱暴に尋ねた。
私は、まさか、「馬(うま)・鹿(しか)は バカという事か」と思ったのだが 何か、ひねった答えがあるのだろうと興味深く聞いていたのだが その選手も そう考えたのだろう、
「首を 上下にしか振らない、って事ですか?」
と答えた。
その途端、
「バカヤロウ、馬鹿(バカ)ってことだ」
と怒鳴った。

そのまますぎる答えと首を上下しながら答える選手を見て 私は 思わず吹き出しそうになったが 必死にこらえた。それから、しばらくの間、選手同志の会話で、
「お前は、うま・しか、か!」
という言葉が流行した。

何しろ 弱いチームだった。タイガースの暗黒時代を知っているファンの方なら理解出来ると思うが 連敗も多く、試合内容もひどく とてもプロ野球と呼べないような試合もあった。

秋口のある日、 土橋監督が試合に臨むにあたり その準備と心意気を中堅選手に尋ねたところ 曖昧な答えが返ってきた。土橋監督は 顔を真っ赤にして
「だから、お前は あんこナメチョロなんだ!」
と怒鳴ったのだが、私は
「出た!土橋語録」
と、ミーティングそっちのけで その意味を考えた。

あんこ ナメチョロとはなんだろう?

「プロをなめんな!」
という事か?
色々考えたが、しっくりした答えが見つからない。その選手も答えに迷い、どんな返答をしたら良いか分からず ただただ 土橋監督の迫力に おどおどしていた。すると、たまり兼ねた土橋監督が
「甘いって事だ!」
と言った瞬間、選手全員が一様に「なるほど」と、うなずいていた。

その後 「あんこ ナメチョロ」という言葉が 選手間で流行ったのは言うまでもない。

なにしろこんな調子だから 土橋監督のストレスも溜ったことだろう。

下手くそな私を辛抱強く使ってくれた。伸び悩む私を見兼ねて ある日 こっそり 私を監督室に呼んだ。すると、そこには張本勲さんがいた。
「ハリさんに バッティングの事を教われ」
と、ぶっきらぼうに言ったがその思いは 理解できた 。私の為に 張本さんを呼んでくれたのだ。色んな事を張本さんから教わったが それ以上に 土橋監督の私に対する思いが嬉しかった。

「オレは 期待されてんだなぁ、頑張らなくちゃ」
そう、心に誓った日の事を今でも鮮明に覚えている。

本当に 土橋監督、ありがとうございました。心から感謝しております。

ご冥福をお祈り致します。