20240526【「2024年砂漠の旅」★三原山】② | 動的平衡

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同情するならアメをくれ!

 

時間を少しだけ巻き戻した10:54の車内。

6分後の発車までには満席。

バスに乗る前と乗ってからの印象的な出来事が2つ。

●大島に着いてからぷらぷら時間を潰していたら、

港にある東海汽船の事務所から

「柳沢〇〇様、お見えになりましたら至急、東海汽船事務所窓口までお越しください!」

呼び出しの放送が入った。

【熱海発Cプラン 往復ジェット船で行く!三原山フリーウォーキングコース】

に付いている〈島内路線バス1日乗車券〉の引き換えのためだった。

港中にフルネームでアナウンスされるのは小っ恥ずかしいもんだ。

◆発車直前に若いカップルがベビーカーに赤ちゃんを乗せて乗車してきた。

奥さんはニッポン人で旦那さんはイギリス人。

赤ちゃんの名前はソフィアで9ヶ月の女の子。

ベビーカーで三原山散策!

「大丈夫か?」と不安になった。

 

11:25 @三原山頂口

〈島内路線バス1日乗車券〉を持っているので降車時に見せるだけ。

乗車時間は25分間。

「因みにいくらなの?」と運転席左上の料金掲示板を見たら900円だった。

マジか。

めっちゃ高いのね。

 

バス停終点を下りて直ぐのところに《歌の茶屋》。

昨日の夜から何も食べていないのでここでお昼ご飯。

セットに付いてた《サービス利用券(昼食またはお土産)》を使って

天ぷらざるうどんを食べる。

【《歌の茶屋》からの眺め。元町港】

【《歌の茶屋》からの眺め。右手滑走路、大島空港】

 

11:52

三原山の山歩き、スタート。

【真正面が三原山】

 

整備された遊歩道をのんびりと歩く。

 

避難用のシェルターがあちらこちらに。

1986年11月の噴火で、島民約10,000人が全島避難。

その際に東海汽船所有のすべての船舶だけでは足りず

海上自衛隊の艦艇、南極観測船しらせも救助に派遣された(そうだ)。

避難指示が解除されるまでに、およそ一ヶ月を要したという。

 

12:05 @パホイホイ溶岩(1777-78年安永溶岩)

これは約250年前の溶岩群。

 

溶岩の跡に長い年月を掛けて繁る草木。

長閑といえば長閑な風景。

 

12:24 @山頂まで200m地点

 

12:30 @《三原神社最初の鳥居》

ここでベンチで寛ぐソフィアとお母さんに再会。

「あれ、旦那は?」

「一人で神社、見に行ったよ。ここから先、ベビーカー押せないからw」

 

元来、神社に社殿はなく三原山自体が三原大明神として尊称されていたとか。

いつの頃からか山頂に小祠が設けられ、大正の中頃には内輪山の中腹に社殿が建立。

昭和25~26年にかけての噴火で中腹の社殿は溶岩流の中に埋没。

しかし山頂の小祠は無事で、後に建て直されることに。

さらに1986年の噴火でも溶岩は三原神社を避けるように両側へ分かれて流れる。

これが〔三原山の七不思議〕の一つと呼ばれている(らしい)。

*あと6つは、何があるのかは知らない。

 

12:36

実は後から気付いたのだが、今回は時間がめちゃくちゃタイト。

帰りの船は16:25発。

それに間に合うためには14:47発のバスに乗らなければならない。

のんびりとざるうどんを食べていた所為で、残り時間は2時間を切った。

マジか。

どうする?

 

12:38

分岐。

左に折れる道は《火口西展望台》へ続く道。

直進は火口をぐっると一周の《お鉢周りコース》。

一周して元の場所に戻ってくるのに約1時間と書いてある。

とりあえず、《火口西展望台》へ。

 

12:45 @火口西展望台

 

大きい赤丸=三原山山頂口(スタート地点)

赤線=歩いた道

小さい赤丸=《火口西展望台》(現在地)

 

仕事終了。

お疲れさま。

帰ります。

明日は起きれて晴れなら、山。

また来週。良い週末を!