20240324【富士写ヶ岳★ルーツを探して】② | 動的平衡

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国道364号をさらに南下。

神社と杉の大木。

そして天然記念物《栢野の大杉》の看板。

立ち寄らない理由はない。

 

日曜日だというのに観光客ゼロ。

静けさが耳に痛い。

 

逸話によると倶利伽羅峠・篠原の戦いで連敗・敗走した平家軍。

負傷した武士のたちに

「千年の杉を目指せ、よもぎ草だんごを食べよ」と二度の観音様のお告げ。

ここで(よもぎ餅を食べたかどうかは知らないが)

傷を癒し無事に京へ辿り着いたと伝えられている。

 

この辺りの歴史は『平家物語』(『源平盛衰記』だったかも)とかいろいろ出てくる。

倶利伽羅の戦いでは木曽義仲は平氏軍が倶利伽羅峠に差しかかったとき

越中国側の麓に源氏の白旗を目一杯掲げて平氏軍の警戒を誘い、歩みを止めさせる。

昼間のうちは戦を仕掛けず、樋口兼光の軍を背後へ配備。

平氏軍が寝静まった夜半。

角に松明をくくり付けた牛の大軍を

野営していた平氏の陣へとなだれ込ませたとか。

一説にその数は400~500頭とも。

暴れ狂う牛の大群による突然の襲来.。

平氏軍はとうぜん大パニック。

その機に乗じて、木曽義仲軍が果敢に攻めまくります。

平家軍70,000の兵は敵がいない方へと我先にと逃亡。

しかし、その先には待ち受けるは倶利伽羅峠の断崖絶壁。

兵士軍は次々に崖下へと転落し、峠の下には屍の山。

後にこの崖には《地獄谷》という名前が付けられたとか。

 

メインはこの二股に分かれたこれ。

樹齢2,300年で幹周り11.5m 。

(大人7人が手を繋いでやっと囲めるそうだ)。

【さすが御神木。写真を撮る瞬間だけ光が差した】

 

国道364号さらに南下。

県道153号との分岐に我谷ダム。

 

左折し九谷ダム方面へ。

13:22 @駐車場

【車は他に2台のみ】

【赤い橋を渡り】

【我谷ダム湖を横目に】

【帰りにこの橋を渡る時は真っ暗かな】

 

13:29

山歩きスタート。

 

13:57 @鉄塔

 

14:19

ここまで誰とも会わず。

「久し振りに楽な山歩きだなぁ」

と、そのときはそう感じていた。