いちご狩り | 動的平衡

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パソコンの縁に「今日は〈漱石の日〉」と出ている。

 

謂れはそこそこ有名。

1911年2月21日。

文部省から文学博士号授与の申し出を受けた漱石が

「自分には肩書きは必要ない」として

文部省専門学部局長、福原鐐二郎に辞退する手紙を送った日。

*因みに漱石の誕生日は1867年2月9日。

 命日は1916年12月9日で、この日が〔漱石忌〕となっている。

 

3分で読める漱石。

晩年、新聞に連載された二十五作の短編『永日小品』より

もう一つの猫、「猫の墓」を抜粋。

 

早稲田へ移ってから、猫がだんだん痩せて来た。

いっこうに小供と遊ぶ気色がない。

日が当ると縁側に寝ている。

前足を揃えた上に、四角な顎を載せて、じっと庭の植込を眺めたまま

いつまでも動く様子が見えない。

(略)

猫は吐気がなくなりさえすれば、依然として、おとなしく寝ている。

この頃では、じっと身を竦めるようにして

自分の身を支える縁側だけが便(たより)であるという風に

いかにも切りつめた蹲踞(うずく)まり方をする。

眼つきも少し変って来た。始めは近い視線に、遠くのものが映るごとく

悄然たるうちに、どこか落ちつきがあったが

それがしだいに怪しく動いて来た。

けれども眼の色はだんだん沈んで行く。

(略)

明くる日は囲炉裏の縁に乗ったなり、一日唸っていた。

茶を注いだりり、薬缶を取ったりするのが気味が悪いようであった。

が、夜になると猫の事は自分も妻もまるで忘れてしまった。

猫の死んだのは実にその晩である。朝になって

下女が裏の物置に薪を出しに行った時は、もう硬くなって

古い竃(へっつい)の上に倒れていた。
妻はわざわざその死態(しにざま)を見に行った。

それから今までの冷淡に引き更えて急に騒ぎ出した。

出入の車夫を頼んで、四角な墓標を買って来て、何か書いてやって下さいと云う。

自分は表に猫の墓と書いて、裏にこの下に稲妻起る宵あらんと認(したた)めた。

(略)

 

掌編と随筆の中間のような作品。

衰えていく猫をクールに淡々と描くさまをどう捉えるべきか。

三者三様の感じ方があると思います。

《この下に稲妻起る宵あらん》の《稲妻》も想像力を膨らませます。

喉の鳴る音か。

じゃれ合う様子か。

是非全文を読んでみてください。

青空文庫『永日小品』でググれば出てきます。

 

さて、この前の日曜日は《いちご狩り》と《一色さかな広場》。

【《いちご食べ隊》全員集合!】

【次女の目標はいちご115個!】

【スタート】

【休憩する主婦】

【整いました】

【この後は《一色さかな広場》で海鮮ど――ん!】