先日の長野公演、大きく新聞に取り上げていただいたようです。
ありがたいです。
 
今日まで武道のワークに行き、身体で感じる関係性に集中して取り組み、その繊細さに涙する(出来なくて、悔しくて、だからこその繊細さを知って)場面が今回は多かった。
 
これも今回の長野公演までの全てのプロセス(暮らし全般)で、いろんな関係性を具体的にやり取りさせてもらえたからだと思う。
関係性を感じるとは、もちろん上手くいくことばかりでない。でもどれをとっても関係性のひとつといえるし、そのどれもを共に交わしてくれる人がいるということは、どれだけ恵まれた、ありがたい環境にいることかと、、、
 
武道ワークを受けながら、ただただこれまでの出来事を思い出し、感謝が溢れた。
 
先日、手に取った本に書かれてあった言葉
「対話とは、異なる価値観をもつ相手との話し合いであり、会話とは同じ価値観をもつ人同士の話し合い。そして民主主義の根幹は対話である」 
が響く。
 
そこにこそ平和があるのだと思うと同時に、
 
今回の長野公演に、みずきちゃんに入ってもらったおかげで、ものがたりにとどまらず、互いの暮らしのなかから、身体、言葉、いろんなものを通じて本当に対話しあい、創ることができた。
 
そしてそれが本番、お客様や長野の土地、引き寄せられたもの全てとの対話が起きたと思う。
 
地域をまたいで共に創ることは、生半可ではない。
にも拘らず、対話を続けてくれたみずきちゃん、杉浦家、長野の仲間に感謝が絶えない。
だからこそ、神戸公演のときの自分の対話の仕方を振り返り反省もまた出たり。
 
「ここで一つ一つのワークが出来ても仕方がない。ここで終わらせるのでなく、日常へ持ち込め」
武道の先生から頂いた言葉が、今後へのエネルギーになる。
 
対話とは平和をつくる大事なコミュニケーション。
だからこそ、自分らしさが大事であり、
それをいろんな方法で交わし合うこと、
「対話」に今後もっと丁寧に生きたい。