神戸まつり、みつばちを中心とした「100のいきものパレード」

無事に幕を閉じました。

 

思えば4月末に出場が決まってからのメンバー集め、それは人のみに限らずいろんな面での参加を募るという、時間がないのにややこしいことを盛りだくさん詰め込んだチャレンジャーなイベントつくりでしたが()

 

奇跡的なこと、ミラクルばかりが起きて本当に一か月とは思えない濃厚な時間の過ごし方で実現いたしました。

 

最初に集まってくれた、何も知らない絵を描く子羊さんや服を作る子羊さん、踊り大好き子羊さん達にドバーッと、妄想を注入し()

色分け班分けをしてみれば、募集をかける前にあれよあれよと当初の目標だった60人を突破。

時間がないのだから、そこで当日に向けて整えていけばいいものを、またそこで新たなチャレンジが浮かび、急きょ役所に連絡をして100人に参加人数変更の申請を出し、ミツバチと人間の関係をアピールするはずだったパレードが、参加者を募るチラシでは「100のいきものパレード~山と海 つないでいるのは あらゆる命」と、かなり拡大したテーマになったりして()

 

皆、笑っていたけど毎日ついていけない程のメールのやりとりで、あれは笑っていたのではなく泡を吹いていたのだと気づいたり()

 

極めつけの最後の一週間は、行きつ戻りつすることがいろんな分野で起き、20人以上の参加キャンセルと突然の参加表明を繰り返す。

しかし当日を迎えてみれば、なんのことはない120人ほどの参加者を保ったままパレード。

「寄せ集め」のパレードなはずなのに、一つのチームとして存在する、なんとも不思議な団体であれたのは、参加者みんながこのパレードに

「友達と参加する。」

ではなくて、

「友達を作る。」

の意識で参加してくれたからだと思います。

 

参加するという受け身でなく、作るという前向きな気持ちは、

きっとあの空間を一人一人の意気のいいエネルギーで満たしていたと思います。

それはサンテレビからのインタビュー打診や、

一夜明けての毎日新聞を飾った「いきものパレード」の写真にまで流れ込んでいたと思います

 

 

それもこれも、皆が「あふれる命でこの世界は出来ている」ということに賛同してくださり、

それを自分たちの表現できる分野を入口に、

また衣装や小道具や音楽と共に創ることで大きくそして確実に、形づいていったのだと思います。

 

分かりやすく、皆で一つの形を表していくことも一つの方法だと思いますが、

どうなるか分からない空白の部分を持ち続けながら進むことが、本番までのプロセスの中で育んだ参加者一人一人のエネルギーの活かす場所になり、それが表面で生きる場・形となっていくのをワクワクしながら実感し続けていました。

 

私の可能性は確実に広がったし、いままで以上に明るくなった。(やばい(笑))

 

何かに専門であることよりも、

一人一人の好きな事長けていることを持ち寄り、実際に交じることが、助け合いや支え合いというものの体現になり、それがその一人一人の表現を確実に広げ、

その先の社会の可能性を、未来を広げる。

 

あの大きく広い道路で「あらゆる命」「ありがとう」と皆で叫んだこと。

それは観客には言葉として伝わらなかったかもしれないけれど、

きっとエネルギーは届いたと思う。

 

なんせ皆、良い顔をしていたから。

 

そしてまたややこしい表現をするのですが()

今回、実際には当日参加できなかった人たちがいるけれど、皆「参加」を決めた時点から一緒に出発して何かに向き合い、当日を迎えたんだと思う。

結局、本番に向かう「プロセス」が私たちの「生きている」という部分であることを忘れないようにしたい。

 

もちろん準備段階に参加してくださった方々や、運転や交通整理などで参加してくださった方もいて、すべてを「あらゆる命」として迎えられたことが、素晴らしいチームを作ったと感謝しています。

 

ここで気づかされたことが、今後の私の大きな芯になるようです。

今後とも、みなさまよろしくお願いします()