今回の作品を書くにあたって、ずっとイメージとして離れなかったのが
「子宮」
洞窟のように丸みを帯びた空間
遠くの方に微かに見える、、、いや感じる光
そういえば、7.8年前の作品では生まれる前の赤ちゃんが、親や社会の声や音を聞いて生まれることをボイコットしはじめる話を書いたことがあったけれど(笑)
あのあたりから、私の関心は「見えない方」へと移っていったのかもしれない。
この作品を書こうと思い始めたころ、ある友人に子どもが出来た。
子どもの「子」の字も欲しがっていなかった⁈友人が、子どもが出来た途端(そう、お腹にね)、彼女の顔が変わり、生まれてからは、もう性格まで変わっていく(笑)
子どもってすごい力を持っている。
で、その子どもの何が素晴らしいのか、
いつからこの素晴らしさよりも、「何かを教えよう」と、「社会に馴染まそう」と私たち大人の視点が変わってしまうのか謎だったけれど、
先日その友人から、四か月目の赤ちゃんを前にして面白い話を聴く。
「新生児のころをもう少し一緒にいたかったわー」
「え?全然まだ赤ちゃんやん」
「いやー、生まれてから一か月ぐらいまでやな、新生児って呼ばれるのは」
「へー」
「新生児は命そのもの。四か月もなると個性というか、好みが出てくる。それはそれで面白いけど、新生児のあの、無垢というか全てを受け入れている感じ、ありのまま、食べる、寝る、泣く、という行為が命そのものみたいな、あの感じは新生児のころしかない気がする」
「おおおおお」
私が関わってきた子どもたちは、ほとんどが小学生以上。
そうか、その頃にそんな素晴らしい変化をするのか。
ん⁈ 待てよ。。。
そうなのです、今回の作品「カミニウモレタものがたり」の中で私が描こうとした世界の中にあったのです。
その、新生児ともう個性を持ち始めた「人」との差が。
無意識って怖い。
誰に連れていかれているのだろう、私は。
今回の作品の生まれ方は、本当に不思議でならない。
未だに、なぜこんな進み方が出来たのか分からない。
「書かされる」ってことがある、と聞いたことがあるけれど、
もしかしたら自分にも起きたのかもしれない。
もし、本当にそんなことが起きていたのだとしたら、
きっと私の子宮に書かされたに違いない。
こんなにも、生みの苦しみを味わったのは初めてだから。もちろん子どもは生んだことがないわけだし~(笑)(笑)
でも本当に「生まれた」と感じたから。
この作品は、もう新生児ではないけれど、どんなふうに個性を発揮し活ききるのか、
今、スタッフキャストが全力をかけていろんな経験を作品にさせてくれている。
そして、私もただただそのうちの一人であることが嬉しくてたまらない。
というわけで、いろんなお店にもチラシを置かせていただいています。
灘区・王子公園駅ちかくにある「ルリカケス」さん。
ありがとうございます。
公演詳細は
https://www.facebook.com/events/1788650698122670/