英語ができない日本人、というフレーズはいつ頃から言われ始めたのだろう?
高度経済成長期、自分はまだ幼稚園児、小学生児童であったが、そんなことはついぞ聞いたことが無かった。英語ができないどころではなく、逆に妙で下手な英語を堂々と発していたのではないかと記憶している。Oh no !などが代表的で、「クイントリックス」を何度も発音しなおしさせられるのだが、自信をもって日本語的な英語で押し通したテレビCMが思い出される。

バブル経済華やかなりし80年代、自分は大学生活を謳歌していたが、外資系を目指す同級生が意識高い感じだったが、多くの学生は英語に関してはそれほど意識していなかったと思う。

やはり英語についてあれこれ言われ始めたのはバブル経済崩壊後ではないかと思う。つまり、国外へ打って出ないと、少子化や高齢化社会を迎え、などのうたい文句で、猫も杓子も海外に目を向けないとろくなことにならんという前提で、それならやはり英語が必須というわけだ。

それでも当時、多くの日本人は「日本人は英語ができない」などとはあまり気にかけていなかったように記憶している。おそらくそんな現状にビジネスチャンスを見出したのが多くの英語教材の会社だろう。英語?まあなんとかなるでしょうの層にターゲットを絞って「英語ができないと・・・」と危機感を煽って教材を買わせる戦略に出た。と同時に時代は「自然に」「知らず知らずの内に」が好きな日本人の傾向をがっちりつかんだあるCD教材がバカ売れ。ゴルフのスター選手のCMも相まって今でも相当売れているのではないか?

韓国はウオン危機の後、マジに危機感を感じて、国策として海外に資本投下して英語スピーカー人口を増やすべき努力した。それが功を奏したのか、韓国の名だたる企業がややもると日本の同業種を凌駕する勢いである。もちろん英語だけが要因ではないが、英語が話せる、聞ける、解るということはビジネス上で非常に不可欠だということがわかる。

さて、日本。これだけ英語に取り組めば、流暢とは言い難いが、なんとかコミュニケーションが取れるぐらいにはなるはずだが、「それでも会話が続かない日本人」を謳い文句に「聞き流すだけでは英語は出来ない」などの、もう笑ってしまうぐらいわかりやすい戦略に乗せられ、買い捲る教材コレクター達。いい加減に目を覚ませよと、いかにも殊勝な内容のウェブサイトでさえ、結局はインフォームドコンセントが出来ていない英語学習者の心の隙間に付け込み、教材を買わせる始末。

大学も授業を英語だけにするだとか、TOEICやTOEFLを入試に利用するだとかの付け焼き刃的な対応しかせず、英語スピーカーがどれだけ増えたのか疑わしいものだ。かえって、英語に対して引き気味になっている人を増やしているのではないかとさえ思えるのだ。

日本人は読み書きはできるが、のうたい文句も怪しいもので、むしろこちらの方を今一度取り組んでみる価値があると思うのだが、どうだろうか?良い文章を読むと話す言葉も洗練されてくるのではないかと思うのだが、経験上そう感じている。書くことも同じで、相手に簡潔に事態を伝える工夫は会話においても活きてくるはず。

英会話英会話の大合唱に煩わされないで、英語学習者は今一度、読み書きに立ち返って学習しなおしてみたらどうだろうか?もちろん会話を意識して。