『進撃の巨人』の世界で繰り返し強調される、選択の結果。

リヴァイはエレンやヒストリアに「お前が選べ」と言いますし、エレンも始祖ユミルに同じことを言います。

そして、結果は誰にもわからない…

 

 

私は自分の選択ミスで人を死なせたことがあります。

自殺を止められなかった。

 

 

私が別の選択・行動をしていたら、彼女が死ぬのを止められたのか?

それは分かりません。

でも、私は彼女が自殺するかもしれないってこと自体に気付いていなかった。

同じ状況にいるのは、私だけだったのだから、止められるとしたら私しかいなかったと思う。

どれだけ追い詰められているのか、気づけなかったことが悔やまれます。

 

ある種の「毒親」の影響下にあったのですが、私はしぶとく生き延びた。

でも、彼女は耐えきれずに死んだ。

 

最初は病院から連絡があって、蘇生措置をしているから早く来て!とのことだったのに、移動中に行き先が警察署に変わりました。

ドラマとかだと霊安室での対面だけど、一般の警察署にそんなものはないんですね。

地下駐車場の一画での対面でした。

 

確かに彼女の両親は、暴力をふるったり、食事を与えないといった虐待行為はしなかった。

端から見れば、ごく一般的な良き親だと思います。

でも、首に縄をかけ逃げられないように締め上げようとした。

本人たちはそのつもりはなかったかもしれませんが、同じことをされた私は死に物狂いで逃げたので…

彼らにとって、その行動は「保護」

やられる方は「異常な束縛」

 

何が正しくて、正しくないか?

共通の概念じゃないからわからないと思います。