小林正観さんの心に響く言葉より…

 

 

運というものは、動くことにより、初めて何かに当たっていきます。

 

家に引きこもって「楽しいことが何もない」と何もしないより、たとえば散歩に出かけてみる。

 

そうして、行動範囲が広がると、出会う人・物・事がでてきます。

 

出会ったものを一つひとつ大切にしていくと、いつの間にか自分の生活が忙しくなっていきます。

 

 

人生が面白くないという人は、まず、動いてみることから始めてみましょう。

 

「行動範囲の広さ=人格の広さ」という宇宙法則があります。

 

 

わがままを言い、人格が荒れているあいだは、周りの人から声がかかりません。

 

知り合った人に誘われること自体、人格的に好意をもたれる穏やかな人になったということ。

 

 

友人と旅行をすると、24時間一緒に行動を共にします。

 

友人に合わせるということが入り込むと、どんどん人格が向上していくようです。

 

交流関係が、人間関係の内部に入り込んでいきます。

 

 

周りの人から声をかけられて、あちこちに行けるようになると、また人格が広がっていきます。

 

誘われたとき、3、4回断ってしまうと、もう二度と誘われないようになります。

 

1、2回のうちに行ってみるのも、人格の許容度・寛容度が広まったということです。

 

 

笑顔で光って輝いて (じっぴコンパクト文庫)

 

 

 

 

小林正観さんは、『「運」は「動」より生ず』と言う。

 

これを「運動」と呼んだ。

 

実践すること、行動することが、「結果」を生むからだ。

 

実践すれば必ず、「運」がやってきて、楽しく、おもしろい現象が起こるという。

 

 

あの伊藤博文が「一たび動けば雷電のごとく、発すれば風雨のごとし。周りの者は、ただただ驚き、呆然とするばかりで、敢えて正視する者すらいない。それこそ我らが高杉さんのことだ」と評した、高杉晋作はこんな唄を残している。

 

「真(しん)があるなら今月今宵(こんげつこよい) あけて正月だれも来る」

 

このままでは幕府によって長州はつぶされる、もし、国を思う気持ちがあるなら、今集まれ、という思いを込めて即興で作った唄だと言われる。

 

それを、幻冬舎の見城徹氏は翻訳してこう言った。

 

「情けあるなら今宵来い。明日の朝なら誰も来る」

 

 

人は、2回、3回と誘っても来ない人は、二度と誘おうとは思わない。

 

情けが感じられないからだ。

 

人と人との関係は、すべからく「情」によって動く。

 

理論や理屈ではない。

 

情の人は、動の人だ。

 

 

「行動範囲を広げること」

 

まわりから誘われ、声をかけられる人でありたい。

 

 

 

 
 
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