萩本欽一氏の心に響く言葉より…

 

 

ぼくの舞台は、稽古でも本番でも、動きやセリフがどんどん変わります。

 

稽古の初日に用意してある台本と、本番直前の台本がすっかり別物になっていることも珍しくない。

 

舞台の開演直前に「今日はあそこの芝居、全部なしだからね」なんてこともしょっちゅうある。

 

 

初めて一緒にやる役者さんは、たいていびっくりします。

 

「よその舞台とは全然違う」って。

 

ぼくもよその事情はあまり詳しくは知りませんけど、だいたい稽古って本番でうまくやるためのものだから、覚えていくことを大切にしている。

 

だけどぼくの稽古ではひとつのことをじっくり覚える、ということがまずないし、今日の稽古で、こうしょうと決めても、明日も同じことをやるとは限らないんです。

 

 

ぼくはいつも、もっとおもしろくするにはどうしたらいいかを考えているんですよ。

 

いいアイディアが見つかったら、今あるものは惜しまず捨てて、新しいものに変えていきたいの。

 

そういう攻めの姿勢で取り組むことしか、最高の舞台に辿り着けないと思っているから。

 

一緒にやってくれる人も、セリフや動きが変わるたびに芝居がよくなるんだな、おもしろいなと思ってもらえるといいんですけどね。

 

そうだといいなあと思って、いつも稽古しています。

 

 

だけど、それは言葉では言いませんよ。

 

押しつけるのは好きじゃないんです。

 

だから、それぞれの役者さんの様子を見ながら、どこまで変えるか、加減しています。

 

 

「この人はまだまだできそうだから、もっと変えてもいいかな」とか「この人はそろそろ大変そうだから、この辺りでまとめてあげよう」とか。

 

そうしないと、辛くなる役者さんも出てきちゃいますからね。

 

 

ぼくが「ここを変えよう」って言った時に、「せっかく覚えたことをどうして変えるの?」じゃなくて「はい、またきましたね」とワクワクできる人は、きっと腕が上がる人だと思う。

 

「これは次への一歩なんだ」と思える人がたくさんいるほど、最高の舞台ができると思います。

 

 

(173)人生後半戦、これでいいの (ポプラ新書)

 

 

 

 

よく、人生は舞台に例えられる。

 

舞台では、与えられた役割を淡々と演じる。

 

通行人なら通行人を、主役の引き立て役なら引き立て役を。

 

うまく演じるためには必死で稽古するが、しかしときとして、最初に与えられた脚本も、突如として変わることがある。

 

だから、いままで覚えたセリフが無くなり、必死の努力がまったく無になることもたびたびだ。

 

 

急に脚本が変わった場合は、アドリブでやるしかない。

 

アドリブは日頃の自分の実力がモロに出る。

 

頭が真っ白になって、一言も言えなくなるときもある。

 

ぶっつけ本番でやるしかない。

 

 

人生もまったく同じだ。

 

予測のできない変化をどう受け止めるか。

 

「さあ、きたぞ」と笑ってニコニコ、ワクワクしながらそれを味わって素敵な経験とするのか、「参ったな、想定外だ」と不満を言って、不機嫌になるのか。

 

 

神さまは、舞台を面白くするために、大きく脚本を変える。

 

だからこそ、それを面白がったり、楽しんだりして、自分の価値を高めるための肥(こ)やしとすることが必要だ。

 

変化は、神さまからのプレゼント。

 

やってくる様々な変化をワクワク楽しめる人でありたい。

 

 

 

 
 
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