小林正観さんの心に響く言葉より…
私たち人間の親子というのは、親が子供に対して何かをしてあげる
それが親子というものですね。
親は、見返りや報酬を一切期待しないで、自分の子供であったら、
でも、この子供が「
ところが、もしこの子供が「ありがとう」
仮にこの子供が「ありがとう」を言うに当たって、
「もっとやってくれる」と、たとえ下心、邪心、
そのような親子関係が人間の中にはつくられています。
なぜでしょう。
人間の親子関係そのものが、
人間の親子関係は、神さまと人との関係の見本として、
神さまは人に対してシャワーの如く、
見返りや報酬が返ってこなくてもかまわない。
いくらやってあげてもいい。
しかも、それが当たり前なのです。
でも、全部自分の努力でやっている、自分の才能、
実は、
こういうことを事実として伝えるために、
では、私たちは神様に対してどうすればいいのか。
心を込めなくてもいいから「ありがとう」
「ありがとう」を言っていれば、
私たちは、神さまに対して「ありがとう」と言っているだけで、
〈ハイ〉という日本語がありますが、そのもとは“拝(おが)む”
ハイ(拝)と手を合わせることを言うのです。
それと同じように〈イエス〉っていうのは、“イエス・
ですから、肯定する言葉というのは、
もし、みなさんの中に、辛抱して、人の2倍、3倍の努力をして、
努力そのものをやめたほうがいいみたいです。
それよりも、周りの人に対して、
『なぜ、神さまを信じる人は幸せなのか?』イースト・プレス
心を込めなくてもいいから「ありがとう」と言った方がいい、と小林正観さんはよくいう。
しかし、なかなかこの意味はわかりにくい。
心がこもっていない「ありがとう」は言ってはいけないのではないか、とツイ思ってしまう。
自分の言った言葉、宇宙に投げかけた言葉は、必ず自分に返ってくる。
多く言えば言った分だけ、その回数分だけ返ってくる。
つまり、「ありがとう」と言えば言うほど、ありがとうと言いたくなる現象が宇宙から降ってくるからだ。
逆に、愚痴や悪口、イヤミ、文句や泣き言を言えば言うほど、そういう現象がまた起こる。
「神さまと人と関係は親子関係に似ている」
生きてるだけでありがたい…
ありがとうと感謝の気持ちで毎日を過ごしたい。
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