コロナ記【ホテル篇4・その他いろいろ&思ったこと】 | フーテンひぐらし

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永遠の放課後。文化祭前夜のテンションで生きたい。なかなか大人になれない。

その他もろもろです。


★体調の推移
ホテル入った当日は平熱よりちょい高め。翌日は36.9℃くらいで熱っぽくだるく、ごはんも30分以上かけてちびちび食べる体力しかなく、終日布団に寝転がってるしかなかった。そしてこの日(発症から5日め)、嗅覚が消えていることに気づいた。持参した甘い香りのシャンプー・コンディショナーが全く匂わないので「!?」と思い、ポーチに常備してる香水をかいでみたらやっぱり何も匂わなかったよ。
入所3日めで平熱に戻り、夜トイレに行ったら「発熱からこっち、初めておしっこがいつも通りの勢いで出たな…?」と気づく(それまでも出てはいたけど何というか、出始めがよっこらせという感じで重たかったので)。そこから先はやっと体調が普通に戻りつつある感覚が出始めた。嗅覚と引き換えに(笑)
ずーっと喉が乾いていて水ばっかり飲んでたけど、これはコロナのせいなのかエアコンのせいなのか分からない。
あとはひたすら「この空間に居続けるのしんどい」というメンタルに耐えて、1週間を乗り切りました。

★何株だったの?
私も夫も、従来型なのかデルタ株だったのかはついぞ不明です。夫が私と同じかかりつけ医で検査した時聞いたところ、報道されるデルタ株については、入院患者から出されるものと各病院から集約された検体をまとめて検査機関で調べて数値化してるので、病院の人たちも分からんのだそうです。

★出所後、検査しないの?
ホテルを出所できる条件(もう野に放たれても大丈夫だよという条件)は、「10日の療養期間終了日前72時間、熱が上がったり体調が悪かったりしていないこと」でした。もすこし正しく表記すると、WHOの基準としては「発症日より10日間(無症状の場合には検査日より10日間)経過し、かつ症状軽快後72時間以上経過した場合」に隔離が解除される、とのことです。
そしててっきり出所日にPCR検査とかするのかと思ってたらしないんですよ。なので同じタイミングでホテルを出た人と「私たちこれで治ったってことなんですかね…?」「人に会っても大丈夫なんですかね」とひそひそ言い合いました。不安だったのでシャバに戻ってから調べたのですが、結論から言うともう感染性はないそです。この病院のサイトが、そのあたりを簡潔に分かりやすく書いてくれています↓
◾️コロナ陽性後、陰性証明にPCR検査は必要?いつ仕事に復帰できる?


★罹患した最中に思っていたこと
保健所と都の対応はとても素早くきめ細やかだったけど、かかってくる電話の背後では電話が鳴りっぱなし、人が喋りっぱなしで現場の忙殺っぷりが如実に伝わってきた。こちらからかけるとなかなか通じない。保健所の人が謝りながら「遅くなってしまってすみません」と連絡してくる時間はいつも20時をまわっており、「保健所の人たち働きっぱなしだな…」という状況がよく分かる。実際、保健所に出向している友人の身内の話では「家に帰れない職員が多く、失礼ながら臭ってきた」とのこと。リアル巨災対じゃん…。
まだ自宅で唸ってる時、保健所の人に「もし体調が悪化したら迷わず救急車呼んで下さいね!いま救急車の受け入れ先もなかなか見つからない状態ではあるのですが…」と言われて怖くなった。
ホテル隔離になってからは、食事は時間内でなるべく遅めに降りるようにして混雑を避けていたのだけど、それでも日に日に人が多くなってるな…という実感があった。都内で隔離用に用意されてるホテルはだいたい15こくらい。ここに毎日新しい人が来ているとしたら、もっと重篤な入院必要な人たちもどんどん増えているということで、その人たちを受け入れている病院のありさまを想像してさらに怖くなった。

あと、シャバに戻ってからつくづく実感したのは、「自分の家はいい」ということ。すべてが過ごしやすい!過ごしやすさ圧倒的!心身がダイレクトに癒される!
収容して見守ってくれる施設には感謝してるけど、やはり全く不慣れな環境でずっとそこに縛り付けられて過ごすというのは、それだけでかなり心身がやられる。
これはコロナ関係ないのだけど、家に戻ってからずっと、認知症からの肺炎で亡くなった父のことを考えてた。もちろん症状が進行していて家族では手に負えないのでグループホームにゆき、そこでも難しくなったから老健に行ったわけで、他に手があったとは思えない。だけどあの時の父の気持ちが今回はじめて痛いほど分かった。我々がゆくたび一緒に帰りたがった父の気持ち。施設に入った途端どんどん状態が進行していった父の気持ちが。こんだけ元気な私でさえ施設にいることでメンタル削られてったんだもん。死ぬほど帰りたかっただろうな。死ぬほど嫌だっただろうなって。仕方ないんだよ、仕方ないからつらいんだけど、なんかそういうことをずっと思ってた。

★後遺症
発症日から5日後に嗅覚消失を認識。味覚は大丈夫だと思っていたら、シャバに戻って色々なものを食べた時に「しょうゆ味やソース味などはっきり濃いものは分かるが、コーヒーやビールや蕎麦など、香りや風味とともに味わうものはそのニュアンスが分からなくなってる(コーヒーやビールは苦味だけが分かる)」ことに気づいた。発症から約2週間経った現在、嗅覚は3〜4割程度の戻り。味覚は異常に気づいた時と同じ程度。
あと、PCに向かって作業していると1時間程度で頭が痛くなる。頭痛というよりは、頭がこる。詰まったような感じがする。長時間作業した時の肩から上のこわばりや詰まり。常に鼻の奥と頭を誰かにキュッと斜め上に引っ張り上げられてるみたいな詰まり感がある。今日、すこし緩和された。

★夫について
私から遅れること3〜4日して発熱。私のほぼ1週間後に陽性判定が出て自宅療養、期間完了。発熱や後遺症など、だいたい私と同じ。

ちなみに自宅に帰ったら家中とてもキレイにしてあり、私がお願いしていたこまごました家事を全部きちんとしていてくれて素晴らしかった。具合悪かったのにえらい(笑)

★いま思うこと
ホテルにいる間にオリンピック開会式があり、出所の荷造りをしながら何となくTVをつけてたんだけど、祭の始まりと自分の状況との落差に違和感だけがあった。
今も連日オリンピックばかりが放映されてる。選手は自分の人生の目的をまっとうしているだけだし、それで盛り上がるのも個人の自由だと思う。だけど罹患した身としてはどうしてもコロナの惨状の方に目がいきがちだ。毎日大量の新規感染者が発表され、保健所もホテルも医療現場もやばいことになっているのにな…と、感動も絆も喜びも共感も全くできない。頭の悪い言い方だけど「いや、私がかかったくらいだからみんなもかかるって!自分だけは大丈夫とかないから!もうすごい波がきてるから…」という気持ちしかない。

 

大きな祭りがある時はとにかくニワカとして積極的に乗っかっていくタイプの人間だけど今回は無理や。

 

主催者(国と都と大会組織委員会)の「とにかく開催ありき」の姿勢も、ただのお題目で全く中身の伴わない「多様性」」も、コロナに関することはとりあえず後回し&まるで根拠のない楽観姿勢も、すべてに不信感と反発しか覚えない。極端な話、もし国が「オリンピックは絶対やる!そんでライブとかフェスとかもやれ!飲食店もやれ!そのかわりワクチン打ちたい時にソッコー打てるようにしとくし医療現場もめっちゃテコ入れするわ!」くらいの攻め攻め姿勢をとるなら(正しくはないと思うが)理解はできた。でも全然そうじゃないじゃん。「オリンピックはやる。お前らは耐えろ。補償はない」で「そっかーじゃあ盛り上がるか」ってなれるかっつの。無理だろ。

 

先の戦争の時も、人がバタバタ死んでいる最中にもきっと「ヒーロー」「感動秘話」みたいなものが国威高揚のために積極的に利用されブチ上げられていたんだろうな…と想像してしまう。そういう「お国に都合のいい空気」には私は絶対に流されたくねえ、と思ってる。

選手たちの素晴らしい頑張りや結果とは全く別のはなし。