路地 | フーテンひぐらし

フーテンひぐらし

永遠の放課後。文化祭前夜のテンションで生きたい。なかなか大人になれない。



先日読んだ「牛を屠る」をアマゾンで見つけた時、
関連でおすすめされていたのを本屋でゲットした。
2010年大宅壮一ノンフィクション賞の受賞作だそうだ。



広野ゆうなのフーテンひぐらし-路地


「日本の路地を旅する」上原善広


かつて中上健次が「路地」と呼んだ被差別部落。
その出身者である著者が、日本全国に存在する
路地を旅する異色のノンフィクション。 (アマゾンより)



大阪の更池と呼ばれる「路地」で育った著者が、
北から南まで、今もはっきりと残る、または今ではすっかり
名残も消えかけている「路地」を訪ね歩き、歴史を調べ、
住民に話を聞いていくるルポタージュだ。



私の中学校ではたびたび同和教育があったので、
もちろん部落のことはその程度に知っている。
いつもフォークギターを鳴らしていろんな歌を
歌ってくれる担任の男の先生が、その授業の中で
岡林信康の「手紙」を歌ってくれたので、
その歌詞と元になった実話ともに強烈に残っている。


(その歌が「手紙」という有名な歌だというのはこないだ知った。
私の記憶にある歌詞で検索をかけたらでてきたのだ)


しかしその当時から、私の中にずっとあった疑問が


「私たちの世代なんてもうそんなこと全く知らないしどうでもいいのだから、
 知らないままにしておいてくれればそのうちみんな忘れるんじゃ?」


であった。


わざわざ教えてくれるから、子供の頃から
「ヤバイものらしい」と思って意識していくのでは?と。

確かその授業のあとに書かされたアンケートにもそう書いたような。



実際、著者が歩いた路地も、ほとんどが新しい住民との混在が進んでいて
知らなければそこが路地だとは全く分からず、その歴史も知らない人が多かったようだ。


だから私はずっと「寝た子を起こさなくていいんじゃない?」派だったのだ。


でもこの本を読み始めてから、久しぶりに
なぜか家にある「ゴーマニズム宣言・差別論スペシャル」なども
読み返したりして、もしかしてちょっとそれは違うのかもと思った。



“「寝た子を起こすな」では、そこで生まれ育った者自身に誇りが育たない”


解放運動をやっているひとのその言葉に、なるほどと思ったからだ。


この「日本の路地を旅する」でも
住民へのインタビューに何度も出てくるのだが


「今では、普段は差別されることはないのですが、
やはり結婚の時には必ず問題となって出てくる」
そうなのだ。


あと、事件が起きたときには必ず自分たちのせいにされたり、
そこから容疑者が出ようものなら「やっぱり!」と言われると。



つまり、関わらない人にはもう「どうでもいい昔の話っしょ」でも、
関わりがある人の中では差別は無くなってはおらず、
平成になった世の中でも、人生の節目にそれが立ち上がってくるということだ。


「無かったことにして生きる」のは難しいことを
できるだけ避けて暮らすのは精神的につらいことだから
「誇りや自信が育たない」と仰るのは分かる。


(でもだからといって「堂々と言えばいいじゃん」とも言えないから難しい)



もはや表面的には消えつつある路地を旅して執拗なまでに
その場所を探し、住民に話を聞いていく著者の意図が
最初はよく分からなかったのだが、


これは、自らのルーツと誇りとコアをどんどん確かめて
強くしていくために彼にはどうしても必要な工程なんだろうと思った。




この本に書かれる路地の姿、そして著者が記すそれぞれの路地の
歴史を読んでいるうちに、今までぼんやりしていたことに色々気づく。



江戸時代、士農工商の下に置かれた人々は
「賤民」という扱いを受けていたわけだが、それはそもそも
職分や刑罰によって同じジャンルの人々をひとところに集めて
ラベルを貼ることによって、特別な役割を与えたり仕事を便利にしたり
さらに他の身分の人々の不満が幕府にくるのをそらせたりの「政策」だった。


いわば職業だったり刑罰だったりで決められた身分がいつのまにか
「血」そのものが賤である、というふうに決めつけられて
それが現代まで続いているのが何とも理不尽な話だと思う。


第一、彼らの仕事は牛をさばいて肉にしたり
皮をなめして製品をつくったり死者を弔ったり…。
どれも生活に必要なことであり、彼らがいなければ
誰もできなくて困ってしまう仕事なのに、
仏教的見地で「死」に携わるからケガレているとか、
ものすごく手前勝手な忌避理由ではないか…。


(でも差別の始まりってそういう生理的嫌悪からなのか…)


でも彼らは高い技術を持った職人であったり
素晴らしい芸を持った芸人であったり
統治の力がある番人であったり
なのだ。



学校では「そういう特殊な人たちを差別しちゃいけません」
としか教えてくれなかったから、何だか「触れちゃいけない闇」を
教えてもらっちゃったような気がしていた。


でも、そんな「ちょっと触れたからいいでしょ、もうこの話終わり」
みたいなやり方じゃなくて、もっと詳細に路地の歴史と職業と
人々の営みを教えるべきなのではないか。


そうすれば、そこには「代々の土地ではたらく人々」がいるだけで
そこに差別に足る理由などどこにもないことが
少しは分かるのではないかな…と思った。



知らないままで、自分がまったく関わらない人生を歩くと断言できるならいいが、

この問題は普段は地中に眠っているだけに、思いもかけないところで立ち上がる。

この先の人生で自分がもし関わったとき、「知らない」ということで

相手の尊厳を傷つけたり、自分がいらない動揺をもったり、誰かに流されたり
そういうことのほうが罪だと思うし、怖いと思う。



触らず遠巻きに見て噂をしていれば、

その対象は心の中でどんどん大きく不気味になってくる。
そうしたらさらに触れられなくなる。


そういうことは、日常のちいさなことも含めて
たくさんあるなあと思う。

それが、不幸せと対立の始まりだ。



そのほか色々と思うことや知ったこともあったし
複雑だなあと思ったこともあったが、ここには書かない。



ただ、昔からこの問題に関してモヤモヤとしていたことが
自分の中では少し整理され、その根幹の「いわれのなさ」が
はっきり腑に落ちたのが、この本の一番の収穫である。


人からみたらとても浅く他人事で子供っぽい感想なので
オマエは何も分かってないと思う人もあるかもだが、すいません。



テーマは重たいけど、
読みやすくてとてもいい本だと思うので、おすすめです。




日本の路地を旅する
日本の路地を旅する
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上原 善広
文藝春秋
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