エモーションとフォーマット。 | フーテンひぐらし

フーテンひぐらし

永遠の放課後。文化祭前夜のテンションで生きたい。なかなか大人になれない。


毎度糸井氏のことばから。



広野ゆうなのフーテンひぐらし-ひとりのあたまから


彼が想定したものとは違うのかもしれませんが、
アートや音楽や芝居だけではなく、商売もこれをやるのは面白いです。


「俺は、私は、これがいいと思う!」とひとりが熱く語るものを
組織としていろんな方面から盛り上げてプッシュして売っていく。


トレンドや過去の前例なんかとは相容れてなくても、
これの方が意外と、爆発するんですよ。



だって
「顔の見えない大勢の誰かさんたち」が支持しているものより
「顔の見える特定の誰か」がハッキリと自分の言葉で語るものの方が
温度が伝わるから。



特に女性は、マスよりこういう「個人の熱さ」に心動かされますよね。
ひとりの強力なクチコミスト(そんなコトバあんのかな?)にそそられるという。


(男性はもっと、マスで評判だという社会的裏づけを欲しがりますよね)



ここで書いても詮無いかもですが、
昔のわが社はそういった「やたらアツいバイヤー」がいました。


ケンしかり、サオリしかり。
「彼らの力説で思わず今週も買ってもうた…」というのがあったな。


あと、MASARU発信のNOMINATIONもトレンドとは無関係でしたが、
そういう熱さで皆さんが支持してくれた気がします。



できれば、その良さを再び出してゆきたいものです。




そのためには



広野ゆうなのフーテンひぐらし-知らずにウソを


こういうことをまずなくしていかねばなのです。



ハコが大きくなって
数が増えていくと生じるのが
これら「形式や先例や一般論」であります。


これらは至極正しい顔をしているので
個人の熱さなどよりお仕事の上で幅が利きやすいのですが


結局そこには「ほんとうに言いたいこと」とか
「個人の顔」がないことの方が多い。


しかも、とても慣れ親しみやすい。
だから危険。



気づくと、思ってもいないことを
誰か特定できない人々に発信し続けてたりする。


しかもそれで「安心だ」と思ったりする。



自分のことばじゃないものをじょうずに綴るな。


どんなひとか思い浮かばない相手のために売るな。



そんなことを若手には言ってますが、
いつまでも忘れないよにしたいと思うのです。