おれがおれであるため おれはおれのすべてをおれに問う | フーテンひぐらし

フーテンひぐらし

永遠の放課後。文化祭前夜のテンションで生きたい。なかなか大人になれない。


日々、流れる景色をどんどん後ろに感じながら、
つくったとたんに次のあたらしいものをつくるためにすすむのも

かなり好きではある。


好きでは、あるが。




おうちに帰る。おうちをきれいにする。
今まで捨てられなかったものをざくざく捨ててみる。


ひとりでごはんにでかける。
こないだものすごくピンときて買った本を小脇に。

お店が貸切状態で、あたしひとりに店員さん3人だ。

ひさびさにじっくり本を読む。
読みながら思考がぽこぽこ浮かんではこぼれていく。

後から入ってきたひとり客は、ああそういえばこないだ隣に座ったひとだ。


ものを食べる音がすんごくくちゃくちゃしてて、
そういう意味でこの人モテないだろうななどと
すごい余計なお世話なことをずっと考えてたら、
ああもうすぐ帰るからと電話していてあら妻持ちかと驚き、
じゃあ何でひとりでご飯食ってから帰るのかな、
やっぱ食べ方がくちゃくちゃしてるからイヤなのかな奥さん、などと
ほんとうに余計なことをずっと考えてたのを思い出す。
このひとになまえをつけようなどと思い始める。

くだらん。




料理がきた。
そういえばひととここのご飯を食べるときよりも
皿だけに集中してる分、味をきちんと噛み締めるなあと思う。



それにしてもさっきから同時並行で3つくらいのことが
浮かんでは消えるので、メモするものを持ってくればよかったと思いつつ、
どれもこれもまったく生活の役にたたないのを知っている。
でもそれがあたしのいちばん大事な生産物な気もする。

あたしだけにだけど。



ああそういえばこのアタマに浮かぶものを
そのままひとに分かってもらおうとしていちから説明するから、
あたしはなんだかどうでもいいことにとても理屈ぽい人間にみえるんだろうなとか思う。


ぶあつい説明書をつけて勝手に進呈してしまうこのクセは、
分かってくれというよりも好きな人にしゃべりたいだけなんだけど、
ことばの星に生きてない人にとってこういう女は理解不能でやっかいだろうなあと思う。


あ、最近思ってるのだが、あたしはことばの星、
彼はからだの星にいきてる人なんだよ。
それが分かったのでたいそう面白くていとおしい。


これは人じゃなく紙に吐露すりゃいいんじゃねえのか。
でも紙は返事してくれないからなあ。


ひとりでおうちに帰る。本を読む。
誰の目線も誰の都合も誰の感情も入らない時間は
自分だけのものをどんどん生む。
あたしはそれを育てないでそのへんに転がしておく。


きもちいい。





疾走は確かにたのしくてかっこいい。



でも、あたしには、こうやって今踏んで歩いた石を
ふうむこういう石か、こういうかたちだったのか、
なんであたしはこっちの石に足を乗せたのかしらんと
いっこいっこ確認してはひとりでうなずいたりほくそ笑んだりする、
そういう、他人さまにとっては全く意味のない作業がぜったいに必要なのだ。

もともとそういう人間だったのわすれてた。




そうでないと、この疾走する馬の背に乗ったまま、
なんか何もしてないのに自分が何か素敵なことして暮らしてるみたいに

勘違いすんじゃねえかと思う。いやたぶんしてる。してた。




あたしの周りにあふれるものとひと。
それらすべてをこよなく愛してるけど、
それは「そうび」であってあたしじゃない。
あたしはあたしのなまみのちからを大切にそだてよう。

どうころぶかしらないけども、たのしい。