Now I'm in Kobureti, Georgia.
(2023年12月20日)



Բարեւ バーレフ!
こんにちは!


現在ジョージア、黒海沿岸のコブレティという街の外れで沈没(旅人がひとつの街にダラダラと長く滞在すること)中のひろです。
そして絶賛風邪っぴき中…😂

ですが、話はアルメニアなので挨拶はアルメニア語。
バーレフ!



今回の話はアルメニア人虐殺博物館での話なのです。
これは日本人には馴染みがないと思いますが、オスマントルコがアルメニア人を虐殺した歴史資料館です。
(トルコは虐殺だとは認めていませんが…)
ですが、あまり今の世界状況と重ねて考えたりしないでください。
(この史実は単純にとらえればイスラム教徒のキリスト教徒へ対する虐殺ともとれると思うので…  歴史的背景を考えると僕はそんな単純ではないと思っていますが)


今回の話は真実を明かそうとか、どちらが正しいとかそういったたぐいの話ではないです。


この事についての説明はここで書くと長くなってしまうので、YouTubeの解説動画のリンクを貼らせてもらいます。






今回の話はいろいろ派生する話があるので、その都度リンクを貼ります。
リンク多めでごめんなさい。
興味ある人はその部分のリンクを開いて観てください。

そして今回も重い内容ですが、あくまでも僕の個人的な見解と思いですので、ご承知ください。

では…






2023年11月

アルメニア、エレバン滞在中のある日。


中国人の女の子(28歳)😍 と一緒にエレバンの虐殺博物館へ行くことに。


先ずは朝一このあと彼女が行くイランへのバスチケットの確認へ。
そのあと朝ご飯を買いに行く途中で雨が…
彼女は何故か曇や雨が好きな娘。


天気予報はこのあと午後には晴れる予定。
歩いて行くつもりだったけど途中まで地下鉄で行くことにしました。


僕の今のスマホは中古のGalaxyで、何故かネットが繋がらないとGPSもまともに動かない…
(これまじ困る…)
僕はSIMカードを買っていなかったので、地図担当は彼女任せ…


地下鉄の駅を出て歩いて向かっていると、虐殺博物館へ着く頃には雨は上がり、空には青空が覗き光が差してきました。


虐殺博物館に着くちょっと前に彼女が僕に訊ねた

「南京には行ったことある?」

僕は中国には以前行ったことがあることを、彼女に話していた。
けれども南京には行ったことがない。

「ないよ。」

「私の国にも同じような資料館がある。」

旧日本軍が南京で行った、南京大虐殺のことだ…






これについていろんな考えが日本国内にもありますよね。
でもこれは国際的には日本が行った虐殺行為、戦争犯罪とされていて、日本はそれを認めない歴史歪曲の国として知られているらしいです。

「日本がしたことだね…」

「あっ、そんなつもりで言ったんじゃないよ。」

「大丈夫。歴史の話だし…」

でも、そういう言い方は逆に彼女の気に障ったかもしれない…

「でもこれに関わった、罪を犯した側の国の人間として、私達の国があなた方の国の人に対してしたことは本当に申し訳ないと思ってる。ごめんなさい。」

と伝えた。


以前の僕のブログで話しましたが、僕は以前モンゴルで出会ったアメリカ人のお年寄りから、先の戦争の事(原爆のこと)について謝られた事がある。
あの時の気持ちは、忘れません。




ですから逆に日本がしてしまったことに対してはアジアの国々に日本人として誠意を現したいと思っています。
国として出来ないことでも、人としては出来ることをしたい。


僕は彼女に日本が酷いことをしたアジアの国々にもすまないと思っていることを伝えました。


「韓国や台湾に対しても同じだよね。」

彼女はどういう意味でそう言ったんでしょう。
日本はそれを認めていないと言いたかったのでしょうか?

「でも韓国と台湾に対してはちょっとシチュエーションが違うんだよ。韓国と台湾は当時は日本だったんだよ。」

多分この言い方も良くなかったね。

「何が違うの?」

今僕が何を伝えようとしてもそれはきっと言い訳にしかならないよね…


彼女が中国でどのような教育を受けて、何を学んできたのか僕は知らない。
僕は日本では近代史を深くは教えない世代に育ったので(今はどうなんでしょう?)、逆にこれらのことについては大人になって、いろんな意見を見て自分で学んだと思っています。


でも僕の英語力ではこれについて説得力のある話は出来ない。
そして例え英語が出来たとしても、被害者側の気持ちを気遣うべきだとも思いました。


ここに来たのは彼女の提案だったのですが、僕もここへは来るつもりだったので一緒に来ることにしました。
けれども迂闊に中国人である彼女と一緒に来るべきではなかったのかもしれない。


彼女は初めて南京大虐殺の資料館に行った時は、観たあとあまりの衝撃で呆然としてしまい、その後どこへも行くことが出来ず、その場に立ち尽くしてしまったそうです。
そして旅の中でもルワンダで虐殺資料館を見たそうです。


このブログを以前から見てくれている人なら解ってくれると思いますが、僕もベトナム、カンボジア、ルワンダなどについて思いを書いているし、ルワンダへは行ったことがないので出来たら行きたいとも思っていました。












今回の旅の中でも記事にはしませんでしたが、マニラの美術館で旧日本軍の虐殺行為を描いた作品を見て胸が痛みました。
その時もフィリピンの人達と思いを話し合いたかったのですが、僕の英語力、そして何よりその時はフィリピンの人達にそれとなくその話題を避けられてしまいました…


でも今僕が何を言っても言い訳にしか聞こえないんだろうな…


被害者に寄り添う気持ち…


彼女と一緒にここにいることによって僕の胸は締め付けられるような気持ち、心が痛い…

「こういった事はいろんな意見を聞いて、様々な角度、立場で考えなければいけない…」

こういった事を二度と繰り返さないためにね、と伝えようとしたが…

「どんな意見があるというの?」

彼女は怒鳴ったり、怒ったりするのではなく淡々と落ち着いてそう言った。


勿論どんなことより命が最も大切ということは、変わらない事実。


彼女は僕という人とではなく、事実を認めない日本人として話しているのかもしれない。


僕にはそれ以上を彼女に伝える英語力はない。
僕は、彼女に

「君とこの事について話す英語力が僕にはない。ごめんなさい。」

と詫びた。





「資料館を見たあとはきっと気持ちが重くなってしまうと思うけれども、ここを出たら気持ちを切り替えましょう。」

彼女はそう言って、二人は資料館へ入っていった。


しかし僕は中国人である彼女とこの場にいることですでにとても胸が痛かった。
資料館の中の空気は僕にはとても重く感じられ、息が出来なく、胸がドキドキと速く鼓動を打ち、資料を見つめる彼女の横顔を見ると、本当に胸が痛く僕は何も見ることが出来なかった。


僕はその場にいることが出来ず、彼女に外で待っていることを伝え、資料館の外へ出た。


外の雨上がりの澄んだ空気を吸ってみると、中よりはましだがやはり重く胸を締めつけるような苦しみはなくならなかった…




そんな時間が過ぎ彼女が出てきた。

「なんで見ないの?」

「胸が苦しくて見れない。」

「この事は第一次世界大戦の頃の話で、あなたの国は関係ないわ。ちゃんと見れるよ。見ておいでよ。」

そういうことじゃないんだよ…
日本に関係あるかどうかなんて…
今、君とここにいることが辛いんだよ…


そして英語力のない僕は、外で待っている間に翻訳機を使って、彼女に伝えたかったことの僅かを翻訳し、彼女に見せた。





(以下は僕がその時彼女に見せた日本語から中国語へ翻訳アプリで翻訳したものを、ちゃんと正しく伝わるように確認の為、さらにもう一度その中国語から日本語に翻訳したものです。
その時の原文そのまま。)


今は空気が重く、心が苦しくて仕方ありません。
私は常日頃からこういった戦争や争いに心を痛めています。
そのことについてはあなたと同じ思いです。
だからこそここへも来たかった。
ルワンダにも行ってみたいと思っています。
ベトナムやカンボジアでもこういった資料館へ足を運びました。
韓国や台湾でも私達の国の軍が酷いことをしたのを知っています。
同じようなことをフィリピンや東南アジアでも犯しています。
それと同時に私達の国でも原爆で多くの一般の人のが亡くなっています。
そして同じように資料館もあります。
ですから被害を受ける側の気持ちも、罪を犯した側の気持ちもわかるつもりです。
私たちはこういった争いを当時の状況を含め様々な立場からみて、何故このようなことが起こったのかを考えなければなりません。
そして私たちはこのようなことが二度と起こらないようにする必要があります。
被害者側が、または加害者側が、正義か悪かという問題ではない。
それが先程私が言いたかったことです。
決して言い訳を言ったり、日本は悪くなかったと言いたいのではありません。
私はあなたとここへ来て、正直心が痛くて何も見ることが出来ません。
でもあなたとここへ来て本当に良かったと思っています。
改めていろんなことを考えるいい機会でした。
良い経験です。
ありがとうございます。
そしてとてもすいませんでした。




それを読んで彼女は

「ふーん。わかった… じゃあまたこの次だね。」


いや、もうここへは来ないでしょう…

君とここへ来て、こういう体験をして、こういう思いを経験したことを忘れないだけです…


その後二人の会話は続かなかった。


なので僕は聞いてみた。

「資料館どうだった?興味深かった?」

彼女は

「興味深かいとかいう言葉では言えないな…
ただ私の中では忘れない…」

その答えを最後に、二人は何もこの事について言葉を交わしませんでした。


ただ、黙って、互いの顔を見ず、振り返らずにその場を離れました…






僕が彼女に伝えた言葉が、どれだけ正確に彼女に伝わっているのかはわかりません。
(今改めて読んでも、言葉足らずで言いたいことを伝えられていないような気がします。)
それは翻訳機の問題や、二人の会話は英語で、彼女自身の母国語も英語ではないことや、彼女が学んできたことにもよると思います。
僕が伝えたこと自体僕の思いの一部でしかありません。
でもそれだけが理由でもなく、彼女自身がまだ若いということもあるかもしれません…


僕が長崎の原爆資料館へ行ったのは小学6年生の時です。
彼女は南京大虐殺資料館での思い出を僕に話しましたが、おそらく僕のほうがより子供の頃に衝撃を受けているでしょう。
日本の平和教育として。
僕自身、若い頃はその衝撃をどうしていいのかわかりませんでした。
怒りや、悲しさだけでなく、未来の平和のために。
(この日本の平和教育についてもいろんな考えがあるでしょう)
その思いを行動へつなげていくにはそれなりの時間も必要かも…



憎しみではなく、認め合い、赦しあうこと…

(これも個人的な意見… 僕のブログは常に問題提起 僕の思いの押しつけは嫌なんです)



けれども、これは被害者側である彼女には言えないこと…


僕がもっと心情的に気遣う言葉をかければよかったのかもしれません…


理屈ではなくただ心に寄り添えば…
(だいぶん後悔しています…)



ちょっと気まずい結末ですが、
僕にも忘れられない出来事になりました…



相手に寄り添う、気遣う、想うとはどういうことでしょうね…
またひとつ新たな課題です。



 

追記
(前々回の「僕の戦争」で、この報道ということに関しては別の記事でも軽く触れたい、と言った部分です)


人は最初から理由もなく誰かに憎しみを持つようなことはないと思います。
そこには人々を争いに掻き立てるために、憎しみや猜疑心(相手は自分達を憎んでいる、殺らなければ殺られるというような…)を煽るような情報が意図的?かどうかはわかりませんが蔓延するような状況があるように感じる時があります。
近頃よく耳にするプロパガンダのようなものが。

憎しみの連鎖や、対立、2極化のような中からは何もポジティブなものは生まれないような気がします。

今の世界の状況の中、力のある国が何故争う国のどちらかを支援するようなことをするのでしょう?
先ずは争いを止めることするべきでは?
それはどちらかの国を完全にに叩きたいのか?
どちらが正しくて、どちらが間違っているのかを決めたいのか?
それとも争いを続けることによって誰か得をする者があるのか?
その為、正義だ悪だと、対立や憎しみを煽る情報が蔓延するのか…

多くの人の命を犠牲にしていることを、いちばんに考えて欲しい…

中国人である彼女は、
「私達の抗日教育も良くはないと思うけど…」
と言っていたのですが、そんな社会の中で彼女は何を知っているのだろう。
日本も中国もお互いが都合のいい情報を流す中、人々がお互いに分かり合い、赦し合うことが出来るようになる日が来るのでしょうか…




※報道というものは事実を単純に伝えるだけでなく、一部の特殊な出来事を、人々の注目を浴びるように、それがいかにも大多数であったり、そういう傾向に世の中が動きつつあるように、人々に思わせるような意識操作となる効果(副作用的な)を持っていると思います。

これはある意味、情報を受け取る側個人個人の責任でもあるのではないでしょうか?
報道とはもともとそういうものなのだから。






շնորհակալություն  シュノラカルトゥン!

今日も読んでくれてありがとうございます!


I'm praying for your happiness and peace.