シバ大神オフィシャルブログ「アーナンダ、ダイレクトにいくぞ」
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宮崎キャンプの旅 2月11日

最終日のこの日は巨人のキャンプに行きました。
まずメイン球場のサンマリンスタジアム宮崎のバックネット裏の席の最後列(テーブル付)に陣取る。朝一で行かなかった割には大変見易い席に座れたんですが、椅子を傾けられる構造になっている為、前傾姿勢になった時何度か机に頭をぶつけそうになりました。
そしてブルペンへ。ここのブルペンはキャンプ用に作られた
ひむかスタジアム

木の葉ドーム
ちゃんとタイムスケジュール見てなかったので、誰もいませんでした。

そこからバスで宮崎空港へ。

宮崎空港で3時間ぐらい余裕があって
検査場を
最後調子こいて日向夏ソフトクリームを食べたら搭乗案内が始まり、急いで食べる羽目になった

羽田空港から

宮崎キャンプの旅 2月10日

 この日は宮崎でキャンプをするほとんどの球団は休養日で、ホークスキャンプに帯同している人田も休みなので会う事になりました。
 
 しかし広島だけは練習日だったので2人で広島のキャンプ地・油津まで行く事にしました。10時に待ち合わせて10時11分発の特急、10時31分発の南郷行きを考えていたんですが、人田が遅れて間に合わず…
 12時18分発の快速日南マリーン・志布志行きまで電車が無かったので11時10分に宮崎駅前から出発する宮交バスで向かう事にしたのですが、いつもは誰も乗らないようなバスに我々観光客が沢山乗った為に乗降時に時間がかかってただでさえ遅れているのに、軽く揉め事が起きて遅くなった為に13時01分に到着。
 
歩いて5分弱で球場に到着。
 
昼飯を食べようという話になったのですが、
人田がほとんどのお金を現金を持っておらず
 
あまりに仕事熱心な人田にはちょっと引きました…
 
 
 
 
帰りに油津駅で撮りました。
 
 
前日同様東横インに泊まりました。

宮崎キャンプの旅 2月9日

 西武のキャンプ地・南郷へ。
 
 しかし直接南郷に行く電車は5時28分発の志布志行き(始発)の次が10時11分発の特急海幸山幸・南郷行きで、始発に乗ったらまだ何も営業してないキャンプ地で3時間ぐらい寒い中待たないかんし、特急に乗ったらお昼までに着かないし…と迷った結果、6時43分発の油津行きで油津に到着。
 
そこからタクシーで南郷の球場まで行きました。
 
 まずは南郷スタジアムのバックネット裏よりの席に荷物を下ろす。
(バックネット裏は関係者席だったので…)
 
軽くメイン球場での練習を見た後…
 
 ブルペンを見に降りて行ったら…
 
 松坂大輔が投球練習をしていました。
 
まぁ、これが今年のキャンプの目玉ですよね。黒山の人だかりだったのでなかなか見れなかったのですが、ずっと見ていて前から2列目までは来ることが出来ましたので、そこでパシャリ。

 

 昼飯はチキン南蛮を食べました。

 
 ベンちゃんや球団関係者が見守る中、シート打撃が始まりました。
 
 
 
 山川選手と鈴木選手のどすこいはちゃんと見たんですが、あとは…疲れも溜まってたのか半分寝ながら見てました。
 
 練習もほぼ終わりかけ、帰りの電車まで1時間近くあったので球場前のサイン待ちの列の最後尾に並んでみた。
 が、大抵の選手は球場出てすぐ目の前のバスに乗るので前すら通らない。
 
 半ば諦めながら時間いっぱい立って待っていたんですが、源田選手がバスに乗る前に歩いて我々の方に来てくれました。
 すると、1列に並んでいた我々の横からざざーっと人が押し掛けて列はうやむやに。私はサインをもらいましたが、バスが発車するという事でその後5人ぐらいで打ち切りになってしまいました。

 
 その後南郷駅に到着。
 
 この日は宮崎駅の横にある東横インにチェックイン。

 夕飯は宮崎駅の中にある「恵屋プラスピザ」で頂きました。カウンターに座ったんですが、目の前の石窯でピザを焼いたり、炭火焼焼いたりされていて、それぞれが美味しかったです。
 
 
 
(つづく)

宮崎キャンプの旅 2月8日

 朝また温泉に入ってバイキングを食べた後、バスでホークスのキャンプ地・生目の杜に向かったのですが…
 
 バスを間違えたらしく、記念病院前が終点のバスに乗ったようで降ろされました。仕方ないのでそこから3km歩いて向かいました。
 
 まず人田が働いているグッズ売り場のテントへ。
 
 いました、いました。レジの向こう側で若い女の子に偉そうに喋ってました。でも、ここでは声を掛けずに出ました。
 
 そしてメイン球場のアイビースタジアムに。まだアップを始めたばかりで、何班かに分かれてやってました。
 この日は松田遼馬選手が誕生日ということで色々イジられながらも祝われてました。
 
 その後ブルペンだけ非公開だったので見る事が出来なかったのですが、他の施設は全部回りました。
 
 あとリフター車に乗って運動公園を一望できるアトラクションもあったんですが、アイビースタジアムの一番上まで行ったらさほど高さが変わらなかったのでやめました。
 
 各選手の練習をずっと見てちょっと疲れて来たかなぁって頃に、ちょうどステージでハニーズのイベントをやっていたので見に行きました。すると、イベント終わりにハニーズと写真撮影が出来るという事で撮ってもらいました。
 
 推しのNOAを中心に撮ってもらったんで、もう満足です。
 
 ということで、移動。
 ソ・オ・巨の3球団のキャンプ地を周る三球シャトルというバスで無料で乗れるバスで、今度はオリックスのキャンプ地・清武総合運動公園に向かいました。
 
 バスを降りてちょっと坂を上ってステージの前を通ったらちょうどますだおかだの岡田がスベっていたのでそれを見て…

 
それからメイン球場・SOKKENスタジアムに。
 
 午後多目的グラウンドで個人練習してる選手が多かったので、その前で見ていると選手が出て来て即席サイン会が始まったので急いで参加しました。
 
 サイン色紙などを買うのも勿体なかったので、その場で持ってたバッグにサインしてもらいました。勿論売りませんよ。
 
 そして市街地に戻って、城山先生に取って頂いたコンフォートホテルにチェックインしました。
場所は前日のライオンズホテルの近くなのですが、ライオンズホテルで取った部屋が3Fで窓の外はあんま見たくない感じだったのに対して、こちらは最上階の一番いい部屋だったので非常に良かったです。
 
 城山先生に言われた蓬やに到着。恐らく17年前に母と宮崎旅行に行った時にも城山先生に連れて行ってもらったお店だと思うんですが、美味しかったです。
 こういうお店って色々食材をいじっていじっていじり倒して元の味を台無しにするところも多々あると思うんですが、ここは必要最低限の調理で食材の美味しさを引き出していて良かったです。下仁田ネギを焼いて塩を振っただけとか…
 
 最後にクエのしゃぶしゃぶが出てきました。クエは昨年末にふるさと納税の返礼品で頂いて鍋では食べたのですが、しゃぶしゃぶとは…
 
 その後パフェを食べにフルーツ大野に行ったのですが、夜にも関わらず結構並んでいたので諦めて城山先生とは別れてホテルに戻りました。
 ちょうど前日にニュース23でフルーツ大野が紹介されてたんですよね…あれさえなければ。
 
 
 
(つづく)

宮崎キャンプの旅 2月7日

 2月7日から11日まで宮崎に行って参りました。
 
 目的はプロ野球のキャンプ。鹿児島に住んでいた頃から「行きたい、行きたい」と思ってたんですが、隣の県なのにライオンズのキャンプ地・南郷に行くにはかなりお金と時間がかかるので行けず、そのまま東京に戻ってしまったのです。大学生時代も人田から何度も誘われていたのですが、なかなか行けず…
 
 今回16年越しでようやく行く事が出来ました。
 
 まず7日の仕事終わりに羽田へ。
 私が中2の12月に第2ターミナルが出来まして、その冬休みで帰る時は学校が紹介する旅行会社の航空会社がANAだったのでその際は使いましたが、ちょっと高かったのでそれ以降は親や自分で取ったので、年何回も飛行機を利用しているのに基本JALかLCCかで、その時以来こちらも16年振りに使いました。
 
 ソラシドエアを利用したんですが、「昔スカイネットアジア航空って言って太陽とか花とかが機体に描かれていた頃、第1ターミナルの一番端にあったよな」って思いながら、搭乗口まで歩いて行きました。
 そしたら使用機材の到着が遅れた為に出発が20分遅れるという放送が流れました。どうせ宮崎着いた後軽く夕飯食べてホテル行くだけなんで遅れるのは構わないんですが、定刻5分前に遅延メールが来まして…5分前って普通の人なら搭乗口前に集まってるじゃないですか。意味なくない?
そんな事を思いながら搭乗したんですが、席に着いて直ぐCAがやってきて「トートバッグをちゃんと前の座席の下に入れてください」と何度か注意されました。口を止められないので、足でしっかり挟まないと中身が落ちる可能性があるので足元に持ってきてたんですが…
 
 宮崎空港着いてパシャリ。さて、誰の像でしょう?
 
 正解は温水洋一さん。地元の有名人を像にしたいのは百歩譲って分かるとして…いや、何故この姿勢?(笑)
 
 空港駅に着くと意外と時間が無くて急いでsuicaにチャージして電車に乗りました…あ、そうそう。日南線はほぼ使えませんが、それ以外の宮崎の交通ではsuicaが使えました。鹿児島とは違うなぁ…(笑)
 
そして宮崎駅到着。
 
 
 
 
 この日はライオンズホテルに泊まりました。いや、別に西武だからでは無いです。
 
 商店街を抜けて夜のお店が並ぶ中にあって築年数もだいぶ経ったホテルだったのであまり良いイメージはなく向かったのですが…
 部屋も朝飯も値段相応だったのですが、ただ温泉は青島からわざわざ持ってきてるだけあって最高でした。
 
 後で人田から聞いたところによると、中畑清などの解説者が泊まってるらしいです。
 
 
(つづく)

大学時代にいた寮でやらされた読書感想文の添削されたの見て腹が立ったので久々に書いてみた。




添削者が某新聞社でそれなりの重責を任された事のある人間で、自分が選んだ本をそこらへんの大学生に貶されて腹が立ったのだろう。
ただこちらとしてもこんな物の言い方をされたら腹が立つ。

まず「人の感想にケチつけるな」って話。こちらも人が一生懸命作った作品をああだこうだ言うのは嫌だが、寮にいる際の義務として感想文を書かされているのでやむを得ず書いているのだ。
寮にいる大半の人間もそうだったはずだ。とある先輩なんかは大抵の場合全く本を読まず期限の30分前になって鼻をほじりながら原稿用紙3枚分を書いていた。「モルグ街の殺人」がお題の時は軽く読んだものの今度はそれがアダとなり、「オランウータン」を「チンパンジー」と間違えて「あのチンパンジーに殺されるなんてあり得ない」と書いてしまう始末だった。

それから「俺には関係性が『全く分からなかった』」とは言ってない。中学受験からそれなりに長文を読まされて人並みよりは理解力を鍛えられてるし、この作品は全くのフィクションではないし、ちゃんと関係性は分かってはいた。
ただ「順番をいじると小説でも映画でも分かりづらくなることって多いよね」と軽い感想を言いたかっただけなのだ。
そもそも私が奇を衒うような感想文を書いた事を添削者は嫌がるが、物語を遡らせた事自体が奇を衒っているとは思わないのだろうか。

また、映画について書いたのはちょうどこの時が海老蔵主演で映画化されたから。添削者がそれでこの作品を選んだのを察してその事に触れてやったのにまさかのこのコメント。

それからこの添削者が添削後に佳作として幾つかの感想文をプリントして配布されるのだが、全部どいつもこいつもただ持ち上げただけの文章。そんなのばかり喜んで選ぶなんてさすが新聞社で勤めていただけあるなと思いましたわ。

私は過去に一回ぐらい落として持ち上げた方が説得力を強める事が出来ると習ったのでこういう時その手法を多用してたのですが、それを『金井ワールド』とネーミングされるとは思いませんでした。しかも貶した事にとことん腹が立ったのか、その後持ち上げた事を理解してない…

ま、不真面目ぐらいは認めてやってもいいけどな。タイトル付けが面倒になり、AKB48の曲名から全部タイトル付けしてたからな…(笑)

教師

今回は教師の話。

先日ラ・サール58期の同窓会で広岡先生の模擬授業を受けてきたんですが、「この問題を深掘りしてトレミーの定理の証明まで教えてたのか。それを学んでた中二の頃の自分達もスゴいが、大卒新任一発目で教えた広岡すげぇ…」って思わされました。

昨今の小学校の話は論外ですが、そもそも教師ってリスペクトされる存在でなきゃいけないんですよ。
当時のラ・サールでは教師による多少の身体的接触による強制があったり、生徒も「糞教師ぶっ潰す」とは思ってたりしましたけど…(笑)

友達感覚とか絶対おかしいんですよ。

今年の3月に私が明光義塾のバイトを辞めるのと入れ替えるように中3からずっと教えてた生徒が大学入学と同時に明光義塾で働く事になったんですが、それを事前に聞いた時は正直「コイツが俺と…ナメられたもんやな」と思いました。
本来彼女の成長を喜ばなきゃいけないんですが、自分達がやってた事を簡単に出来ると思わせてしまったのはなんかショックです。

じゃあ、何で大学で教職課程を取らなかったのってよく言われますが、5、6限で帰りが遅くなるのが面倒だったのが一番の理由ですね。今思うとやれば良かったかも…

ところで…
去年の3月同僚が「教え子と飲んでみたい」と言ってましたが、物凄く分かります。皆が「あの子とか…あの子とか…」って例に挙げたのはかわいい女子ばかりでしたが、別に女の子じゃなくて良いんですよ。
男でも「コイツはどうなったんだろ…」「あん時俺の言葉をどう受け止めてたんだろ」って思う時ありますよ、今でも。

会ったら奢って話聞いてやるんだけどな…あっ、でも明光の規則で会っちゃいけないのか(笑)



今回はここまで。

マリンの合コン

(だいぶ前にこの記事書き始めてたんで、古い話ですが勘弁)

マリンのイベント参加型合コンの話。

男女で3倍近く差のある値段をつけるというのは性差別反対論者は怒らなきゃダメですよ。ビュッフェ形式ならまだ分かるんですが…最近は女性の方が「私、大食いなの…」って沢山食べる事も多々あるじゃないですか。

女性と同額の2500円ならマリンの裏側見れるので、喜んで参加するんですが…

100%付き合えるって訳でも無いですし…そういう事言ってるからダメなんだろうな(笑)


10年後の10月にまた会えた話

10月11日から15日まで鹿児島、宮崎に行ってました。

まず行く前に、在学当時によく聴いてたり、寮の起床音楽で流れてたりした曲を集めたセットリストを事前に準備しました。t.A.T.u.とか、大塚愛とか…そしたら、関係ないA応Pとか入れちゃってました。面白かったんで、そのままで

まず宮崎に向かい、チキン南蛮食べました。

今回何故宮崎に行ったかと言うと…
伯父の仕事仲間のお医者さんであり、ラ・サールの大先輩にもあたる城山先生に挨拶に行く為。

とにかくお世話になって、

03年に伺った際は5日ぐらい

満腹なのに雲丹の箱盛りを押し付け


05年に宮崎でオールスターがある時には、同行してたラ・サールの友達3人分も合わせて青島パームビーチホテルをとってもらいました。
しかも雨で試合が順延になったので、2泊分ですよ。

どんなに伯父と仲良いと言っても、ラ・サールの後輩というだけで見ず知らずの人間の分まで


しかしそれから鹿児島を離れる際にも挨拶に行けていなかったので、今回ようやく伺うことが出来ました。

お互いに少し



今回も「免許持ってないの?持ってたら乗らなくなった車あげようと思ったんだけど」って仰ったんで、流石に引きました…

小金持ちばかり見てきたので、ホントの金持ちになるとこんな感じなんだなと…

来年2月のプロ野球のキャンプで宮崎に行こうと思っているので、その際はまた挨拶に行こうと思います。

清武のBTで

セブンの店員に聞いて

チケット見せながら聞いたんで

バスの到着予定時刻の3分ぐらい前に自分が気付いて、母親とダッシュ

母親にスゴく恨み節を聞かされたんですが、自分も間違ってたやん

鹿児島に戻り、天文館の豚トロというラーメン屋に入りました。

ラ・サール入って初めての休みの日に服部と天文館に来て、初めて入った鹿児島ラーメンのお店がここでした。




宿は城山観光ホテル。

どっかのホテルの朝食ランキングtop10でランクイン常連

温泉、

あと20年前祖父と初めて鹿児島に行った時にも泊まったのですが、温泉に降りるエレベーターの前で志茂田景樹に会って祖父が喋ったという思い出もある


翌日

朝食



昼飯頃に

集合場所の視聴覚室に入った途端に、木下に遠目から「あれ…誰だ?山賀か?」と間違えられたのはショックでした。
中一の頃に同じ部屋(8人部屋)で、隣のベットの同じ上段だったのに…



元寮生のチェックは

トイレのエロ本だったり


飯が不味いので義務間とかにカップ麺を食べるんですが、
旧中学寮では給湯器が一階にしかないので、1Fから4Fまでの寮生がバーッと集まって長蛇の列
私は3Fだったので結構不利でしたね。

あと30円で使えるコンロがあって肉焼いてたりしましたけど
コンロ無くなった



模擬授業

広岡先生がラ・サールにやってきて最初に担当を持ったのが我々で中二幾何の担当だったのですが、そのいっちゃん最初の授業を再現する

トレミーの定理を

中学入試から
大体の年で数学と国語が60点前後
合格者平均が数学70国語50

これは恐らく問題の

また中学の時に進学校対象の模試を受けさせられたのですが、「お前らは数学は日本一、国語は進学校の平均、英語は進学校の中で最下位」って言われてましたからね。







城山観光ホテルの宴会場

高三の時の担任、副担任が本田先生、広岡先生以外集合していて、4テーブルに分かれて座ってたのですが、

浅井先生の横が何故か空いてた

浅井先生に御酌して、御酌されて…なんて

うちの学年は田中先生、岡山先生がメインでずっとやってきたので、同級生は皆

その体制を

中三の時に浅井先生が受け持ったのですが、

とにかく学年全体が腐りきってて、草場が

自分は中学卒業と共にラ・サールを出ていくはずだったんですよ。

ただ朝家で喧嘩して学校サボった日に、家までやってきて…

何故か家の前の室内運動施設(ペアーレ鹿児島)のロビーで悩みを聞いてくれて、




無論全員に挨拶に行く予定だったのですが、春の東京の大同窓会で挨拶した茂利先生、堤先生は後で行こうと思ってたら、皆が回り始めた途端に即堤先生から呼び出しが…

で、春挨拶した事忘れられてました…

茂利先生

60何期にセメントに詳しいヤツがいて、新寮を建てる際に色々言ってきた

それも春に聞いたんで…




押見は岡山先生と茂利先生に挟まれて、全く身動きが




二次会行くより


翌日

クラスマッチ

人が集まらず、フットサル一択になってしまいましたが、

最後全員で3チームに分かれてのリレー

勝ちチームがまず自分たちが出した1000円を取って

我々のお金は全部クリスマスバスケットバザーに寄付する事になりました。

太夫先生が「58期生からの寄付で良いかな?」って言うので、皆で「58期生"有志"でお願いします」って


指宿


松下



今回の同窓会に行く前に「社会的立場で差がついた友人たちと会って惨めにならないか?」みたいな事を母親や会社の上司に物凄く婉曲的な表現で言われましたが、とりあえず同窓生として対等な感じで付き合ってたと思います。
勿論金持ちや頭のいいヤツとだけ仲良くするような同級生もいましたが、大体のヤツはそういう事を超越したような関係を築いたと思います…同じ釜の飯を食った仲ですから。

また卒業以来連絡も取ってなかったやつが声をかけてくれました。
その中でも小谷が声かけてきて、挨拶もなく「凱旋門賞(日本馬)残念だったね」から話をスタートさせた時は「何?コイツの切り口…」とは思いましたが、嬉しかったですね。

中三の頃ですかね…
皆別々にROUND1に来て、気付いたら競馬のコインゲームを同級生だけで囲んでるとかよくあったのですが、その面子に小谷や森畠が多かったんですよね。まぁ、彼らとは追試や補習でもよく会いましたけどね。
因みに、ディープインパクトが三冠獲ったのもこの年です。

あと柴田が同じライオンズファンで「ライオンズヤバいね」みたいな



佃、押見、橋本だけの友人関係でも無かったのが確認出来て良かったです。




ラ・サールのポロシャツを未だに我が家で着てるんですが、この旅行で持っていくのを忘れてて、帰ってから発見したのが痛恨の極みですかね…

俺の映画レビュー①『惡の華』観る前に読む俺の感想

(タイトルは高校の時の家庭教師やってた方のブログの真似してみました)
1日にファーストデイということでららぽーとTOKYO-BAYに映画観に行きました。
 
惡の華という映画。
 
仕事終わりにダッシュで向かって17時ぐらいに着いたので2本ぐらい続けて観ようかとも思ったんですが、どうしても他のと20分ぐらい時間がかぶるのでやめました。
 
その間くら寿司に行ったら夕飯の時間だったのに全然並ばずに入れたのは驚きでした。
 
ただくら寿司だけでなく、スシロー、はま寿司など大手の回転寿司どこ行ってもそうなんですが、たいてい炙りサーモンが小さくないですか?
もしくは形が悪い、もしくは脂が多すぎ…鮭ってそんなケチるぐらい原価高いんですか?
 
もっとキレイなやつをドンと乗せた方がいいと思いますよ。
 
やることも無くなり映画館の待ち合いスペースでうろちょろしてたら上映30分前ぐらいから席に着くことが出来たんですが、座るや否や何故か鼻血が止まらなくなって…映画観るのやめようかと悩むくらい出たんですが、上映5分前にようやく止まったのでそのまま観ました。
ただこの翌日も翌々日も鼻かんだらまた鼻血が止まらなくなって、ちょっと怖かったです。
 
で、肝心の映画なんですが…
青春映画がちょっとスパイシーな感じになってるのかと思ったのですが、そうでもなかったです。あんまり深くは言えませんが、こういう変態的要素が強い映画っていうのは文学的な要素が強めな気がします。
 
だから、玉城ティナが出ているからとか飯豊まりえが出ているからとかで見に行ったら物凄くつまらないものになると思います。
しかし飯豊まりえは色んなものに出過ぎじゃないですか?もしかして影武者でもいるんですかね?

 
あとやっぱり中学生の設定は厳しかったかな。中学編が高校の設定で、高校編が大学の設定ぐらいなら納得いったんですが。
 


今回はここまで。
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