5月18日に投稿したなう | 廣野秀樹\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語(金沢地方検察庁御中)

廣野秀樹\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語(金沢地方検察庁御中)

 殺人未遂事件として木梨松嗣弁護士、長谷川紘之弁護士を金沢地方検察庁に刑事告訴手続き中 (さらば弁護士鉄道\泥棒神社の物語)

 市場急配センター(石川県金沢市)の組織犯罪と加担、隠蔽をした弁護士らの物語(事実)。



昨日はいろいろと書いて、あちこちに飛んで、ごちゃごちゃになったかと思いますし、私自身、把握が普段以上に難しくなっています。金沢市場輸送と市場急配センターの成り立ちとその周辺事情について書いておきたいとも思っていたところではありました。とりあえずそのあたりから再開です。
5/18 10:02

やはり重要なところは「[[*参考資料]]」を使おうと思います。一覧的なまとめがあったほうがわかりやすいと思ったからです。ちょっと使い方を忘れていて、調べるのに時間が掛かりました。結局調べても見つからなかったのですが、C-c cとやってみるとうまくいきました。
5/18 11:02

URLのリンクを探すためにページ内アンカーを辿るのも非効率と思いますので、さいどタイトルとURLのみを掲載しておきます。「参考資料」は索引的なものとして、ご利用いただければと思います。私自身も作成の過程で、重複の内容に活用したいと思います。
5/18 11:02

金沢市場輸送:西念の元事務所_2013年09月05日作成 - 廣野秀樹 - Picasa ウェブ アルバム https://t.co/r0RCMnU8zW
5/18 11:02

あらためてPicasaウェブアルバムのアルバム名を見ると昨年の9月5日の作成となっているようです。今年のはじめの方だったかとは思っていたのですが、それよりかなり前のことで、けっこう意外でした。Googleマップのスクリーンショットだったと思います。
5/18 11:03

ところがGoogleマップで見ると、その堤防が付け根の部分が陸と繋がっていない、いわゆる離れ堤防だったのです。今日見たGoogleマップの航空写真では私が見たのと同じ地続きの堤防にはなっていました。
5/18 11:26

そんなこともあってGoogleマップやストリートビューの撮影日についても検索で調べたのですが、思うような情報は見つかりませんでした。
5/18 11:26

一月ほど前でしょうか、テレビでたまたまGoogleのストリートビューにヒストリー機能がついたというような情報に接したのですが、大都会や観光地あるいは東北の被災地から手始めというような話だったので、一般的になるのはまだまだ先と思われました。
5/18 11:26

私が2010年の12月20日ころから魚釣りに行くようになった小木港でも、姫側の一番大きな堤防は、数年前まで離れ堤防だったという話を聞きました。
5/18 11:26

小木の地元の人に何人か聞いたことがあるのですが、その堤防の名前もはっきりしないようです。方角としては西側にはなるはずです。また、私は1年ちょっと小木分校の高校にも通いましたが、ほとんど小木の海を見たという記憶が残っていないのです。
5/18 11:26

その港も港のは入り口の右側に白い灯台のある堤防がありました。この堤防は今もあります。出漁を見送る際、ホーク2というバイクで、足場板一枚になっていた堤防に駆け上がったことを覚えているのですが、港の外側の風景というのは不思議と記憶にありません。昭和57年のことです。
5/18 11:51

海に行っていろいろと話を聞いていると、小木でも自分の住む宇出津でも、かなりの場所が以前は海であったり、埋め立てになったと聞きました。昔は聞いたこともない、話題になったこともない話だったので、身近でもわからないでいることが多いものだと思いました。
5/18 11:51

私の中で小木港というのは昭和59年に金沢市場輸送にいた頃、当時の中央市場の風景とも重なるところがあります。関係者の多くが小木の遠洋漁船に乗り組んでいたことも、これまでに何度も説明を書いていると思います。
5/18 11:51

GoogleマップではなくGoogleストリートビューの画面をスクリーンショットした先ほど紹介のPicasaウェブアルバムですが、スクリーンショットを実行した時の感想としては思った以上に昭和59年当時と変わっていないという印象でした。作業に集中していたのでよくはみていないですが。
5/18 11:51

Picasaウェブアルバムでは個別の写真・画像ファイルの説明もしにくいと思うので、同じファイルをTwitterに投稿して、それで説明を行いたいと思います。
5/18 11:51

2階に窓が見えますが、右側から3番目か4番目が金沢市場輸送の事務所のあった部屋です。右から1番目や2番めの部屋というのは昭和59年当時も使われているのかいないのかもわからないような部屋でした。隣に社長室の部屋があったことも説明済みと思いますので、繰り返しはしません。
5/18 12:26

この画像の中の写真を見ても、商店とか市場という雰囲気が伝わるかと思います。当時の金沢市場輸送もそんななかに溶け込んだような雰囲気はあったと思いますし、活気のようなものも感じられる時代でした。
5/18 12:26

金沢市場輸送:西念の元事務所_2013年09月05日01時45分47秒.jpg http://t.co/pOVgMSv71b
5/18 12:26

上記次の画像は、もう少し範囲を広げて左方向へとずらした状況です。車の数が多いので午前中の過能性が高いと思います。午後になると車の数も減り、夕方になると車も人の姿もほとんどないということが多かったと思います。
5/18 12:26

金沢市場輸送の事務所のあった建物と道路を挟んだ向かい側にも似たような建物がありますが、その裏側は中央市場の敷地内になります。先に説明をしておきたいと思うのは、その左側の建物の手前辺りのことです。自販機という文字も見えるかと思います。
5/18 12:26