5月16日に投稿したなう | 廣野秀樹\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語(金沢地方検察庁御中)

廣野秀樹\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語(金沢地方検察庁御中)

 殺人未遂事件として木梨松嗣弁護士、長谷川紘之弁護士を金沢地方検察庁に刑事告訴手続き中 (さらば弁護士鉄道\泥棒神社の物語)

 市場急配センター(石川県金沢市)の組織犯罪と加担、隠蔽をした弁護士らの物語(事実)。



時刻は5月16日9時30分を過ぎたところです。思ったほどぐっすりとは眠れなかったのですが、疲れはけっこうとれました。天気は良いですが風が強い様子です。昨夜の続きを書いていきます。昨日は気分転換もでき、帰り道では閃きのようなものを得ることもできました。
5/16 9:59

金沢西警察署での取り調べですが、自分の感覚としては全体の4割程度の間に調書の作成をともなった取り調べが終わり、あとは取り調べがないか、あっても短い時間の雑談のようなものではなかったかと思います。
5/16 9:59

その時は多少不思議にも思っていたのですが、起訴されると弁護権の侵害にもなるので取り調べはほとんど行われることがないとずっとあとになって知りました。たぶんですが、10日間の勾留延長を経た上での起訴であったと思われます。
5/16 10:24

起訴状の撮影写真も添付資料の中には含まれていたかもしれません。事件を起こして金沢西警察署に出頭したのが4がu1日の20時23分ぐらいと聞いたように思うので、4月の23日ぐらいに起訴されたものと思います。
5/16 10:24

おおざっぱに考えますと、起訴されてから一週間ほどで弁護人選任の商会があって、国選を選んだところ、次の一週間ぐらいで岡田進弁護士に決まったという通知が届いたのかもしれません。
5/16 11:55

早い段階から私は国選でいいと言っていました。肝心の被害者が意識不明の状態で、私選弁護人をつけることは被害者家族をいたずらに刺激し、不信を招き兼ねないと判断したことが大きかったと思います。とにかく被害者の意識が戻ることが当時は最大の関心事でした。
5/16 11:55

過去に何度も書いてきたことで以前はインターネットでも情報を公開してきたことと思いますが、谷内孝志警部補は取り調べをしながら今後の見通しとして、被害者の意識が戻れば執行猶予と言っていたように思います。
5/16 11:55

よりはっきりと印象に強く残っている谷内孝志警部補の話は、1年2,3ヶ月ぐらいの実刑で、2年以上行って来いということはまずない、ということでした。妙に自信たっぷりで軽快に話をしていました。
5/16 11:55

金沢中警察署で暴力団の係をやっているという人もいました。ずいぶんと胸板が厚く屈強そうな人でしたが、森と名乗られていたことも覚えています。ブスの方がひねくれて性格が悪くなり、美人のほうが素直で性格の良い人が多いと、一般とは異なるような持論も展開されていました。
5/16 12:21

藤井さんは定年間近だとも話していたように思いますし、かなり年配の人でした。坂井さんは私より年下で当時25歳と言っていたと思います。一人旅で中国旅行に行ってきたとか、筆談でなんとかなるとか話をしていたことも憶えています。
5/16 12:21

坂井さんの方はまだ50前のはずなので、現在でも石川県警察で警察官をしている可能性は高いと思います。
5/16 12:21

主に運動の際の立会の警察官だったと思いますが、ほとんどが執行猶予の判決になると予想しているような口ぶりでした。相場も何もわからなかったのですが、初犯であったことと自首したことが大きかったようです。殺人罪でも事情によれば執行猶予になるということも全く知らない状態でした。
5/16 12:22

そもそも執行猶予という言葉も聞き慣れないもので、警察の人に何度も説明を受けながら、なっとなく理解したという感じだったと思います。実刑の方に傾いていたのは谷内孝志警部補ぐらいでしたが、緊張感を持たせるために厳しい見通しを示しているのかとも考えることはありました。
5/16 12:22

被害者の意識が戻るということは刑が軽くなるという意味もありました。なにより厳しい見通しを示す谷内孝志警部補ですら、意識さえ戻れば実刑のはずはないというような言い方もしていたように思いますが、執行猶予の可能性以上に、意識の戻る可能性は低いという態度でもあったと思います。
5/16 14:27

岡田進弁護士の弁護に関してもこれまでに何度も書いていると思いますし、インターネットでも情報を公開していたはずです。今でも検索すればなにがしかの情報は出てくるものと思われます。正味10分程度の接見時間だったでしょうか。とても完結で短かったので、もれなく記憶し書いていると思います。
5/16 14:54

私も気弱になっていましたし、迷いもありましたが、弁護士との接見となると話を聞いて立場を理解してほしいとは思いました。そのような切り出しで話を始めようとしました。どんな言葉での切り出しだったのか、ちょっと思い出せませんが、それはボクシングで言うカウンターパンチのような対応に。
5/16 14:54

そういうことは弁護士としての経験からも場数を踏んでわかりきっているという態度で、すかさず言葉を遮られ、主導権を握られました。そして切り出したのは次の2点の確認のみだったと思います。
5/16 14:54

一つは、事件を起こす前被害者との間に合意のセックスはありましたか?、という質問。もう一つは、犯行時お酒を飲んでいてアルコールの影響はありましたか、というような質問。どちらも質問というよりは確認だったと思いますし、そのようなことは供述調書にも記載のある事項かと思います。
5/16 14:54

そのあと、5,6年は言ってくるでしょう。という言い方をしました。突き放すような結果の突きつけという感じでした。量刑を左右しうるのは、先の2点の事項のみという判断であって、他は全く問題にする余地もない全くの無駄という感じが、極めて強く言葉と態度に現れていました。
5/16 14:54

しかし、それとは裏腹にずいぶんと感情を抑えて岡田進弁護士のことは控えめに書いてきたつもりです。感情論という弁護士がお家芸的に利用する印象操作で、むしろ希釈化される実際のことが伝わりにくくなるだけと考えたからです。歴史的に弁護士が作り上げてきた社会基盤の一つだと現在は考えています。
5/16 15:15

また、これは岡田進弁護士という個人の人間の問題だけではなく、刑事弁護というものに根ざす反復継続性の高い問題だとも思いました。言い換えれば広汎的に出来上がった市場相場のようなものです。私の問題に目を向けた弁護士はゼロではないかもしれませんが、ほとんどいないという現実もあります。
5/16 15:16

そういう意味では諦める部分もあったと思います。岡田進弁護士は信じられないような必要最低限の接触しかしなかったので、それ以上のなにかをつかむという取っ掛かりもなかったのです。判決という結果を出したのも裁判所。それもまた弁護士という伝統と文化でしょう。神格された無謬性です。
5/16 15:16

弁護士が過去にいささかなりでも非を認め、謝罪し、見直しをはかった例があったでしょうか。私は寡聞にしてしりません。相当の情報量を得て注意深く観察してきたつもりですが、どうな問題でも非があるのは裁判所か検察、警察というのが一貫した弁護士のスタイルです。
5/16 15:16

私にとって弁護士というのは魑魅魍魎というのか悪霊的な妖怪のたぐいです。そう解釈する他ないのが、岡田進弁護士、木梨松嗣弁護士による対応の実体験です。とにかく想像を超えていました。言葉で尽くせない卑劣さと厚かましさです。それは社会に対する背信でもあると私は信じます。それ故の告発です。
5/16 15:16

探偵に頼んだとしても地元であれば、弁護士の利益になるように動く可能性が高いとも考えました。
5/16 15:36

そういう雰囲気は、被告訴人大網健二に紹介された若杉幸平弁護士にも見て取れました。あの初対面の時の居合の気合をも漂わすただならぬ雰囲気は、岡田進弁護士のそれとも似ていると感じました。
5/16 15:36

岡田進弁護士の場合も、初対面なのにどうしてあそこまで攻撃的だったのかと、あとあと考えましたが、金沢西警察署の谷内孝志警部補が作成した供述調書の人物像によれば、そうなのかという諦めもありました。
5/16 15:36

その表現はおかしいと言っても、薄ら笑いを浮かべ同じ意味や、と言ってまともに取り合わなかったのも谷内孝志警部補ですが、当時は取り調べにおける問題が社会問題として表面化するようなこともなかったと思うので、戸惑いと諦めしかなかったです。
5/16 15:37

そろそろ昨夜、小木港からバイクで帰る道すがらひらめいたことを書きますが、木梨松嗣弁護士が一審での私選弁護人を断った真の理由のことです。
5/16 15:37

京都の母親の兄弟の親戚がお金を工面してくれるので弁護士をつけろということは、わりと早い段階から説得を受けていたと思います。当時は起訴という言葉も知らなかったので、その意味することの大きさの認識もなかったのですが、刑事裁判となれば弁護士ということは世間並みに理解していました。
5/16 15:59

やったことに間違いはないので言い訳など必要ないとも考えていましたが、そもそも私は理由を被害者に求めて事件を起こし、それでも満足な答えをもらえないまま、被害者は話のできない意識不明の状態となって、自分は留置場に囚われの身となったのです。
5/16 16:00

同時になにより事実を知るのは被害者の家族であって、その理解を得ることが最善の方向性だと考えていました。
5/16 16:00

伊吹パーキングからの電話以来、彼女つまり被害者AAさんが、まったく自宅の電話にでなくなったことは2,3日前にも書いていると思います。平成3年11月30日の土曜日が事実上の始まりだったと思います。
5/16 16:00

伊吹パーキングからの電話はその前日のことであったと思いますが、会社において不思議な光景を目にしました。午後であったとも思いますが、その場面だけは印象的に記憶に残っています。初めはまた何かの工事が始まったのかと思っていました。
5/16 16:00

その日は月曜日でしたが、ミールの荷物は土曜日の2月1日に積み込んでいました。休日前に荷物を積むことは「積み置き」と呼んでいましたが、よくあることです。ただ普通、この場合、荷降ろしまでの時間的な余裕が大きいので、経費削減のため一般道を多く利用するのが普通でした。
5/16 16:21

九州への運行は金沢市場輸送の時に多く経験していましたが、積み置きではなくても翌日降ろしではない中一日の余裕があると、一般道を走り、福井県の敦賀から国道27号線、京都府の福知山で国道9号線、鳥取、島根と一般道を走って、山口県の山口インターから高速道路に乗るのが普通でした。
5/16 16:21

金沢市場輸送では山口インターか小郡インターから九州の高速道路の利用が認められていました。他の運送会社だと関門トンネルを走って全線下道の会社もあると聞いていたので、その点はまだ恵まれていたとも言えそうです。
5/16 16:21

下関で重量オーバーの冷凍物を積むと、台貫に引っ張られて捕まる可能性を避けるため、島根県の益田市まで海沿いの国道を走ることがありましたが、一部でも高速道路を使うのとでは倍ぐらいの時間が掛かったような感覚があります。時間帯にもよると思いますが。
5/16 16:21

市場急配センターでは金沢市場輸送より高層道路の利用も緩やかに認められてはいましたが、全く長距離の経験のない松平日出男社長が指示を出すこともあったので、そのあたりもかなり緩やかだったと思います。本恒夫とはしばしば衝突することもありましたが、自腹で高速を使うことはほぼなかったです。
5/16 16:21

冷静に普段通りに考えていれば、昼間に敦賀から国道161号線や京都市内を通って、フェリーの時間に間に合うことがきついことは計算できていたのですが、その時は仕事にも集中できず、現実的に物事を考えるのが難しくなっていました。
5/16 16:45

そういう経験というのはそれまでにも多少はありましたが、自分一人で運転するしかないので、判断ミスの負担も大きく自分に跳ね返ってきます。
5/16 16:45

取り乱すほどではなかったですが、集中できない状態になっていたのは、出掛けの彼女の駐車のこともありますが、2月1日の夜に被告訴人安田繁克に会ったことが大きかったです。彼女に対する不信感というより得体の知れない恐怖心のようなものを感じる状態になりつつありました。
5/16 16:45

どれだけ手紙で頼んでも話にすら応じなかったのが控訴審での木梨松嗣弁護士の態度でしたが、上告審になるとあっさりと東京で国選弁護人になった斐川雅文弁護士から郵送で差し入れられてきたのが、被告訴人らの甲号供述調書でした。
5/16 16:45

縮小版でした。とにかく選任されてすぐに送ってきたと思うので、木梨松嗣弁護士から申し送りがあったのかとも考えました。木梨松嗣弁護士の場合は控訴審の判決が出る前も出てからも、さっぱり連絡がなくなって事実上の音信不通になっていたので、理由を考える取っ掛かりも見出だせない状況でした。
5/16 16:45

引っ越しをするまでの間、何度か金沢に行ったこともありましたが、ほとんどは宇出津の家にいましたし、車もバイクも自転車もなかったので、家から出るということも少なかったと思います。
5/16 17:10

そんな時に、ときどき家に来ていたのが頭のおかしくなった親戚の人でした。疑いもなく精神病のような状態でしたが、人が誰かもほとんど認識ができていない様子で、会話も成り立たない感じでした。
5/16 17:35

私が母親から聞いた話では、なにか選挙の運動員のようなことをやっていて、選挙違反のような問題で警察の追求を受けたところ、深刻に悩んでいるような様子が続いて、そのうち壊れたような状態に発病したとのことでした。
5/16 17:36

その後、少し小耳に挟んだ2件ほどの地元の人の話では、そのような選挙の話もなく、真偽の程もわからないのですが、とても気になり引っかかることがあるので、事実の確認も私には難しいですが、この事実は他に被害を及ばさないためにも、明らかにしておこうと思います。
5/16 17:36

それは控訴審の公判における小島裕史裁判長の一言でした。軽く笑ったような感じで、親戚に精神病の人はいませんか?と私に質問をしてきたのです。それは木梨松嗣弁護士が一方的に請求した精神鑑定の実施が決まった直後の発言だったようにも思います。それ以外は考えにくいです。
5/16 17:36

傍聴人の前に座っていると、裁判官は正面になりますが、傍聴人席は真後ろになるので、着座や離席の時以外は傍聴人席の様子というのはわかりにくかったと思います。横に刑務官もいるので、後ろを振り向くわけには行かず、公判が始まっていれば裁判官から注意を受ける可能性も意識するものかと。
5/16 17:57

なんであれ被害者の兄が暴れたことで、座る場所が変わったのですが、おかげで法廷の全体を見渡せるようになりました。そのための演出だったのかと考えることもありましたが、木梨松嗣弁護士の指示、采配であるということも可能性としては考えることもありました。
5/16 17:57

前にも書いたことがあると思いますが、被害者の父親はずっと公判の傍聴に来ていたわけではありません。控訴審の初公判の時も姿はなかったと思いますし、一番印象に残ったのは、本来関係者が最も関心を寄せるはずの、判決公判にその姿がなかったことです。
5/16 17:57

その前回の公判では父親だけではなく、母親らしい人の姿もあり、ずっとすすり泣いているような様子でもありました。
5/16 17:57

判決公判に姿を見せなかったのはあえて解決を先送りにしたとも解釈出来ましたし、それが面会にも説明にも来なかった木梨松嗣弁護士の態度にも歩調を合わせるように重なってみえることもありました。
5/16 17:57

8月18日ではなかったかと思います。カレンダーで確認すると17日は月曜日なので、その可能性もあるかもしれません。
5/16 18:18

同じ日だったように思うのですが、京都の親戚の人が面会に来て、その前に別の面会がありました。拘置所の規則として面会は一日1回という決まりがあったので、事前にしっかり調整をして連絡を入れておくようにと、刑務所の職員からきつい注意を受けたことでもよく憶えています。
5/16 18:18

遠く京都から来たということでしぶしぶと許可を出したらしいのですが、その前に別の面会をやっていたのです。午前中のことであったのかもしれません。今の記憶でははっきりというかすっきりと思い出せないのですが、松平日出男の面会があったのもお盆過ぎの同じ頃だったと思います。
5/16 18:18

拘置所への面会はそれが最初で最後でした。すでに何度か市場急配センターの会社に手紙を送り、被害者AAさんの意識が戻ったらしいということも伝えてあったはずです。
5/16 18:19

金沢西警察署の留置場にいる頃は、3回か4回ぐらい面会に来ていました。終わりから2回目の時は、被告訴人浜口卓也と二人で一緒に来ていました。他に会社から面会に来たのは、被告訴人安田敏が一回だけでしたが、本人の意思ではなく、周りからあれこれ言われて仕方なくやってきたという感じでした。
5/16 18:19