5月12日に投稿したなう | 廣野秀樹\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語(金沢地方検察庁御中)

廣野秀樹\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語(金沢地方検察庁御中)

 殺人未遂事件として木梨松嗣弁護士、長谷川紘之弁護士を金沢地方検察庁に刑事告訴手続き中 (さらば弁護士鉄道\泥棒神社の物語)

 市場急配センター(石川県金沢市)の組織犯罪と加担、隠蔽をした弁護士らの物語(事実)。



時刻は5月12日10時を過ぎたところです。書いておくことが沢山あるので、とりあえず書いていきたいと思います。昨日の続きになります。
5/12 10:23

平成3年10月6日、被告訴人安田敏のトラックに同乗して昼に名古屋の北部市場に行った時も、その馬鈴薯を積んでいました。
5/12 10:44

名古屋の北部市場よりは、大阪に運ぶことが多かったとも思います。名古屋で馬鈴薯を持っていくのは北部市場だけでしたが、大阪は北部市場と福島区の本場があって、どちらも同じぐらいの回数行ったように思います。北部市場は大阪市内ではなかったと思います。
5/12 10:44

近くには大きなトラックターミナルもあって、中西運輸商にいた頃は、九州西武運輸の荷物を運んでよく行ったという記憶もありました。結婚する前の妻を同乗させていたことも多かったです。
5/12 10:44

大阪も初めのうちは、名古屋の北部市場と同様に、空荷で戻っていたと思います。午後に馬鈴薯を積んで、夕方に出発、名古屋よりは多少時間も掛かったと思いますが、それでも夜中の2時か3時には金沢に戻ってきていたと思います。
5/12 10:44

そのうち大阪に馬鈴薯を持って行くと、決まって翌日に和歌山県の、かつらぎ農協からミカンを積んで戻るようになりました。このミカンの仕事は馬鈴薯の仕事以上に嫌われていたので、なおさら集中的に回ってきていたように思います。
5/12 10:44

私が初めて、かつらぎ農協にミカンを積みに行ったのは平成3年11月の17日か20日ぐらいではなかったかと思います。あるいは20日ころですが、以前は細かいことも具体的に記憶していたはずです。
5/12 11:05

それはちょうど、被告訴人浜口卓也が市内配達の仕事をやめて、市場急配センターで大型車で長距離の仕事を始めた頃でした。
5/12 11:05

同じく、津幡のYTも市内配達の仕事をやめ、大型車で長距離の仕事を初めていました。彼は市内配達の古参社員で頼りにされるような存在でもあったと思います。本人が長距離の仕事をしたいと言い出した時、会社からは反対されたそうですが、本人がそれならば会社をやめると突っぱねたと聞きます。
5/12 11:05

古参と言っても私が最初に市内配達の仕事をした庄和61年にはその姿はなかったと思います。年は私と同じでしたが寡黙な感じでもありました。それでも人当たりもよく笑顔で会話をする姿も見かけていました。被告訴人多田敏明とも仲良くしているという感じでした。
5/12 11:06

9月に被害者AAさんが2階から降りてきて私のフイルム貼りを手伝ってくれた時、その場にいたのも津幡のYTと被告訴人多田敏明でした。朝の9時か10時ころでしたが、二人は今から大阪府高槻市の市場に馬鈴薯を運ぶと言っていました。4トン車です。
5/12 11:06

能登で仕事によく行っていたのは七尾市ですが、七尾市には急ぎで行く時も能登有料道路の千里浜インターで降りて向かっていたと思うのです。これは羽咋市内の手前側になる場所だと思います。また二人で降りたインターは周りが少し山間になっていました。
5/12 11:28

能登有料道路は金沢からずっと海岸線沿いやその近くの平地を走り、羽咋市内の先の柳田インターを超えた辺りから、山間に入っていく地理になっていました。いずれにせよ記憶はそこで途切れています。
5/12 11:28

チューことWが市場急配センターに入ってきたのも同じ頃でしたが、被告訴人浜口卓也や津幡のYTが大型車に乗務するよりは、一週間から半月ぐらい遅れていたような気もします。あるいは11月の終わり頃ですが、同月の中頃からその月の終わりまでの間だったと思います。12月ではなく。
5/12 11:29

チューことWの姿を見たのはその時が初めてではありませんでした。それよりちょうど一年ほど前の平成2年の11月か12月ころも、しばらく金沢市場輸送のトラックに乗っていたからです。まだウィング車が入る前だったので平ボディ車に乗務したのだと思いますが、短い間でした。
5/12 11:29

その時は無口で目立たない存在で、一度も言葉を交わしたような記憶もなく、他の運転手と会話をする姿というのも見かけた憶えがなかったです。長くて半月もいたのでしょうか。もっとも長距離の仕事というのは運転手同士顔を合わせないことも多いです。長ければ半年合わないという話もありました。
5/12 11:29

昭和59年10月の時点では市内配達の仕事というのは全くやっていなかったので、昭和60年辺りから始まったものと思われます。
5/12 15:11

市内配達と長距離の区別というのもなく、事務所も同じでした。事務所は中央市場前の2階建てのテナントビルで、その2室が事務所で奥の半分ぐらいはアコーディオンカーテンのようなもので仕切られていました。その奥の方の部屋の事務所は丸ごと社長室で窓際に大きな机が一つありました。
5/12 15:37

実は、今日の昼に宇出津新港のアルプに行き、100円ショップでみつけたホワイトボードというのを買ってきました。これに簡単な図面を書いて、それをデジカメで撮影したものを説明に使いたいと思います。
5/12 15:37

昭和59年当時の金沢市場輸送の事務所の間取り_2014年05月12日15時04分42秒.jpg http://t.co/2WzWOo3VhS
5/12 16:07

他に年配で子供もいない運転手は暇そうにしていたのに、やたらと強く私に指示を出してきたのです。おまけに蛸島港の市場では、北浜太一さんに、いなくなるな、とか帰るなとか、かなり強く釘を刺されました。申し送りがあったような感じでした。
5/12 16:32

あえて家族関係に亀裂や波風を立てるような配車にしか思えなかったのです。そういうこともあったので、同じく年末に輪島のMYの代わりに九州に走れと本恒夫に言われた時も、私はきっぱり強く断ったのです。給料の差し押さえを被告訴人竹沢寿俊が小躍りするように喜んでいた時のことです。
5/12 16:32

私自身、クリスマスイブなどというのはずっと無関心でプレゼントをもらったこともあげたこともなかったのですが、子供も楽しみにする年頃になっていて、実際、戻った時は妻も平静を装いながらも、ショックを受けているような様子でした。
5/12 16:32

被告訴人本恒夫は藤村さんが入院するため、代わりに配車係をやってくれと竹沢寿俊社長(当時。後に金沢市場輸送と市場急配センターの会長)と懇願されて、仕方なく引き受けた。給料も下がって大損だが、他にいないので仕方なく引き受けたと、何度も話していたのです。
5/12 16:32

被告訴人本恒夫が配車係をするようになったのは昭和61年の12月頃のことだったと思います。私は市内配達の仕事をしながら、東蚊爪の運転免許センターに大型免許の試験に通い、9回目だったかにようやく合格したのが11月27日だったのです。
5/12 16:32

日付をよく覚えているのは11月26日の誕生日の翌日だったからです。合格と同時に大型免許も即日の交付だったと思います。それ以来、受け持ちだった市内配達の仕事をすることはなかったと思いますが、2,3日は継続していたかもしれません。
5/12 16:55

受け持ちというのは、早朝のマルエーの配達とそのあとの青果の仲買の配達の片町・小立野コースでした。その時のマルエーの配達は魚だったと思います。松任店、根上店、寺井店の3箇所卸ではなかったかと思います。寺井が多少微妙ですが、たぶんです。
5/12 16:55

平静3年の時もほぼ同じ方面ではありましたが、朝のマルエーの配達は青果物で、寺井店がこれもちょっと微妙な記憶になっていますが、他は小松市内の、若杉店、今江店、本折店ははっきり覚えています。寺井がそうだとすれば4箇所卸だったことになりそうです。
5/12 16:55

その後の仲買の青果物の配達も、前と同じ片町・小立野コースでした。片町は金沢で一番の繁華街でもありますが、路地も狭かったり配達先も多いなど、もっとも難しい仕事という話も聞いていましたが、人の嫌がるコースということもあって、回されたようです。
5/12 16:56

仲買の青果物の配達は、午前と午後の2便がありました。平静3年の時は午前中と同じコースでしたが、昭和61年の時は全体的な荷物の量も少なかったので、コースに関わりなく荷物を運んで配達をしていました。例えば野々市や、羽咋郡の志賀町のスーパーに配達に行ったこともありました。
5/12 17:51

マルエーというのは金沢市近郊だけなく、石川県の加賀地方のほぼ全域に店舗があるようなスーパーでしたが、私は個人的に買い物に行ったこともほとんどなかったので、仕事だけのスーパーでしたが、たぶんテレビのCMも流していたように思います。
5/12 17:51

ざっとみたところ全部で27店舗ほどあるみたいです。私は平静11年の8月以来、金沢市内に住まいをしたことがなく、その当時でもスーパーで買い物をすることはほとんどありませんでした、子供や家族と一緒だった頃を思い出して気が重くなることもあり、足が向かなかったのです。
5/12 18:15

平静3,4年当時はもちろんインターネットなどあるはずもなく、このように店舗数を調べることも容易ではなかったですが、仕事で聞いていたような話では15店舗ぐらいと聞いていたようにも思います。住んでいる近くに店舗がなかったこともあり、利用する機会もなかったのですが店舗数は多いほうかと。
5/12 18:15

金沢市場輸送がマルエーの仕事をするようになったいきさつというのは聞いたことがありませんでしたが、一度取引を切られそうになった時、被告訴人竹沢寿俊が単身で乗り込んで、狂人のような振る舞いをやって危機を免れたというような話は聞いたことがありました。
5/12 18:15

狂人のような振る舞い、というのは適切な表現ではないかとも思いますが、要するにそれらしい非常識なことをなりふり構わずにやったという話でありました。誰から聞いたのかも思い出せないのですが、大げさに言えば自殺の道連れにするような脅迫的な行動をやったらしいです。
5/12 18:15

見方によれば体を張って会社を守ったということになるのかもしれません。また、マルエー側が取引を打ち切ろうとしたのは、おそらくですが腹に据えかねるだけの、運転手の素行の悪さや呆れ果てるミスが続いたことが考えられます。
5/12 18:15

これと似たような話は、被告訴人大網健二から被告訴人KYNについて聞いたことがありました。仕事の相手先に乗り込んで居直り暴れるようなことをやったと言っていましたが、被告訴人大網健二はそれを、気が弱いからだと不満そうにしみじみとした感じで、話していました。
5/12 18:38

被告訴人のうち考えるところもあって、被告訴人KYNに限っては実名の表記に切り替えず、当面匿名で行くつもりです。利用された被害者的要素も彼に限っては当てはまる可能性もあると考えるからです。具体的なことは折に触れても説明をしていきます。あちこちに飛ぶかと思いますが。
5/12 18:38

被告訴人KYNが乗り込んだ仕事の関係先について、被告訴人大網健二は津幡の会社と話していたような気もします。もっと具体的な話を聞いていたように思うのですが、どうもこの部分の記憶が薄れています。時期も今ひとつはっきりしませんが、Nテックのときの可能性が高いと思います。
5/12 18:38