新年度 | なまもののくせにぷよクエをする。

なまもののくせにぷよクエをする。

なまもの的なぷよクエの覚え書き。時折独断と偏見が含まれたり、記事の一部をサラリと無かったことにしたりします。

ぷよクエとは全く関係ないですが、今日実際にあったことです。

私が仕事の帰りに、とある店に立ち寄り、
商品を選び終え、レジに立とうとしたタイミングで、
両親と娘と思われる客が入ってきました。

しかし、店に入るなり、とてもかわいらしい10歳前後の少女は、
店の一角にあるベンチに座り込みつまらなそうにふてくされています。
両親と思われる大人ふたりは、ふたりだけで談笑しながら商品を選ぶ。
まるで娘などいないように、まるで新婚のカップルのように楽しく商品を選ぶ大人ふたり。

不自然な親子 
  


実に不自然な光景です。
同時に入ってきたのに親子じゃないのかと疑うほどに。

私はそれを横目に買い物を終え、店から出ようとすると、
その父親と思われる男性がその少女に「お父さんはね…」と話しかけるのを目にしました。
やはり男女と少女は親子だったようですが、
どうしてもあの不自然な状況が気になりつつもそのまま私は店を出ました。

ジブリ映画の名作、「千と千尋の神隠し」の千尋親子を思い起こさせるような、
娘に興味を抱かない不自然な親子の光景でした。


ここでふと思い出したのですが、
この「千と千尋の神隠し」と言う映画。
実はこの作品は、こういう暗い背景を暗示している、など
都市伝説が流れることが多いジブリ映画の中でも
特に意味深な作品として知られています。

よく言われるのが、「千と千尋の神隠し」で千尋が働くことになる「油屋」というお湯屋は
実は八百万(やおよろず)の神様たちが通う風俗店であるということ。
そして千尋やリンは、かつての日本で実際にあった、
温泉宿で性的な奉仕をする、湯女(ゆな)と呼ばれる職業であったと言うことが言われています。

・お客が男性の神様だけである。
・「油屋」には宿泊施設も併設されている。
・リンら湯女は、夜通し働き日中に寝ると言う生活リズムである。
・性的に成熟していない子どもは下働き。

などといったことから「実は風俗店なのでは」と連想されていると思われますが、
それ以外にも各種描写において、それを裏付けるものがネットではささやかれています。

しかし私はそこには書かれていない視点で
この説の裏付けをしていきたいと思います。


「大湯番(おおゆばん)」。

この映画の中盤において、千尋が大活躍する場面で出てくる描写。

汚れきった川の神様が「オクサレ様」となって「油屋」にやってきます。
番頭や下働きの男たちが必死に追い返そうとしますが、
結局は千尋が担当となって世話をすることになります。

強烈な刺激臭と汚れに耐えながら千尋は、油屋従業員一体となって
オクサレ様となった川の神様の穢(けが)れをとりのぞき、
川の神様は大量の砂金を残して去って行った、と言うくだりがあります。


この描写、実は江戸時代に幕府から派遣された汚い身なりの者に
その宿がいかに献身的に接するかを見た、
現代で言う一種の「監査」を描写したものなのです。

江戸幕府は売春を行う宿に対して禁止令を出しています。
(有名な吉原遊廓(よしわらゆうかく)のみ、江戸幕府によって公認を受けていますが。)

作中の「油屋」も例外なく、この監査の対象になったわけですが、
湯女による献身的な世話を受け、身なりを整えられ、
幕府からのお目こぼしを受けることになりました。

作中の「砂金」は、「今後の店の繁栄」を暗示しているものなのです。


汚い身なりの客を幕府からの監査の者とみなし、献身的に接する。
これを非公認で営業する風俗宿や遊廓の湯女、遊女の間では「持ち直し」と呼びました。
文字通り、店を存続の危機から「持ち直す」わけですね。

これが「持ちなす」と転じて、
献身的に客を世話することを「もてなす」、
つまり、「おもてなし」と呼ぶようになった
と言う話です。

「おもてなし」
この言葉もよくできたもので、
「表無し」、つまり「裏がありますよ」
「裏で隠すようなことをやっていますよ」と言うことを暗示した
日本語特有の深い意味合いを持った言葉でもあります。












さて、導入から発展まで、それっぽくつながったところで。


今日は
エイプリルフールですよ。


とだけ、結んでおくことにしましょうか。



P.S. りんご収集祭り、楽しみですねー。