どうもどうも
みなさんお久しブリーフ
ブログ書くのマジで久しぶりすぎ
日常のブログだったのに、最近は観た映画の感想や溢れ出る感情の吐き出し口になっているこのブログでつ( ^ω^)b
さて!
今日は私が愛してやまない大先生
藤本タツキ先生
原作の読み切り作品「ルックバック」が映画化されたので観に行ってきました!!!!
このブログを書いているということはどういうことなのかもうわかる人にはわかるでしょう、、、
そうです。
神でした。
本気で神でした。
漫画がそのまま映像として動いている。
ここからは前のさよなら絵梨で書いた内容と少し被るのですが、、、
ルックバックというこの作品のテーマは、そのまま「ルックバック」なんです。
後ろを見る、振り返る、背中を見る、思い出す
ルックバックという言葉1つで、色んな意味が思い浮かびますね。
これの全てがテーマです。
ルックバックという言葉が持つ意味、その全てが絡み合いますこの作品は。
そして色んな意味でのルックバックをした後に、一人一人が振り返らず、前を向いて歩いていくという作品です。
というかそういう風に勝手に解釈しています。
ルックバック
マンガのジャケットでもある藤野の漫画を描いている背中
藤野が負けたくないと感じた見えない誰かの背中(京本)
京本が追いかけていた藤野の背中
藤野が京本の手を引いてくれた時にいつも見ていた背中
藤野が京本といた頃を思い出すこと
過去を悔やみ、振り返ること。
やり直したいと思うこと。
色んなルックバックを経て、、、
京本は藤野を離れて美大という前に進み出す。
藤野は京本がいなくなっても前を向いて漫画を描きはじめる。
そして最後のシーンで藤野の背中を見た僕らはどう前に進んでいくかというメタ的な要素も感じました。
まぁ勝手な想像でしかないのですが⊂二二二( ^ω^)二⊃笑
この作品は読み切り作品で、143ページという読み切りにしてはボリュームがあるページ数。
ですが、普通の漫画張りに内容を濃くしようとするとページ数が足りない微妙なページ数だと僕は思ってます。
ですがその心配は簡単にどこかへ飛んでいってしまいます。
不思議なんです。
面白くて夢中で読んでしまい、あっという間に読み終わってしまう。
なのに壮大なドラマを見たような内容量を感じてるんです。
「漫画の奥行き」
僕の友達が良い表現で表してくれました(笑)
この表現、曖昧ですけど凄くバチっときたんですよね。
とまぁ以前、少しだけルックバックを語らせてもらったんですが
今回は映画。
さぁどうなっちゃうのよって感じなわけです。
漫画だからこそ感じられた良さは、映画でどう化けるのか、、、、
これはアニメあるあるなんですが、漫画とは違い、アニメは沢山の人の力で完成されていきます。
それが色んな人が関わったせいで微妙な演出が入れられたり、オリジナルが入ってたりして結果「う〜ん」ってなってしまう時があります。
原作はとても面白いのに、言い方悪いですが、少し出来が悪いアニメを観た人が
「え〜アレつまんなくね?」って言ってくるんですよ。
僕はそれがたまらなく悔しいのですワ
もちろん、作品をリスペクトした上で作られているアニメは演出などが僕にとってハマらなくても好きです!
前述した出来が悪いっていうのは、、、
大人の事情やら、お偉いさんの意向とか、スポンサー問題、売り上げ、予算、利権関係やら、この演出入れれば売れるっしょ!とか安易な考えで原作改変。
こういう原作リスペクトが無いモノを指してます。
でも作画崩壊とかはもう本当勘弁してあげてください。
クリエイターの環境が酷すぎますよね、、、
とまぁ少し話がズレータ、幕張ファイヤーしてしまいましたが、
ルックバックは本当にアニメも神でした(2回目)
58分という映画としては少し短い作品。
けれどいくら143Pとはいえ、読み切りという作品をパーッと上映したら40〜45分ぐらいで流せてしまう内容ではあります。
そこに10何分か足すにはどうするのか、、、
僕は正直、観る前は何かオリジナルでも入れられてんのかなぁとか、、、
でもそんなことするなら藤本先生が
「じゃあ映画化しなーい」とか言いそうなので余計なことしないでくれよ、、、、とか
アホなこと思ってました。
ほんとすみません。
神演出でした。
オリジナルを入れた部分は、会話も何も無い部分。
原作では一コマで描かれたシーンや、藤野が描く4コマ漫画の内容をアニメーション化していたりなどでした。
すごく良かった。
オリジナルを入れたり、改変をせず、漫画では一コマで読者が想像するしかなかったその時の動きをアニメでは見せてくれた。
雨の中、藤野が喜びを隠し切れず歩いて帰るシーン。
ちょっと逸れますが、このシーン何が良いって
藤野はどんなに努力しても京本との埋まらない画力の差に挫折してしまい、漫画をやめたわけです。
その挫折の原因になった京本が、まさかの藤野の大大大ファンであった。
どんなに努力しても追いつけないと思っていた人が「藤野先生はマンガの天才」だと、言ってくれた。
単純な藤野は簡単に調子に乗り、すぐにモチベーションを取り戻します。
嫌や雨でさえ歓喜の祝福になるような、今まで藤野が感じていた悩みや葛藤が嘘のように晴れたシーンなわけです。
雨なのに、心は雲ひとつない快晴になっているという矛盾が最高なシーンなんです。
藤本先生は映画が好きなのでよく色々な作品のオマージュをしていますが、このシーンもそのうちの一つですね。
ネタバレをしないように話すのが難しいですが
(ん...?ネタバレしてもこの作品は大丈夫じゃね...?)
あの原作での一コマも最高だったんですけどね!
「雨だからあたし帰るわー」とか冷めた感じ出しときながら、次のコマで嬉しさ隠し切れない歩き方で帰る藤野。
雨に濡れた服も着替えず、濡れたまんまで夢中で漫画を描く藤野の背中は自信とやる気に満ち溢れていて、、、
もう、、、ほんっと良いシーンだなぁああああと思っちゃいました( ^ω^)b
にしても、褒められたらすぐ調子乗ってつけ上がって天狗になって、少しでもディスられたら怒って悔しがって落ち込んで
単純だなぁwって思うけど、そりゃ小学生かw
って思うわけです。
この人、大人になった僕らではもう思い出せない小学生の葛藤や、リアルな心情描写がうますぎるんです。
まるで本当にそのキャラになったことがあるかのような心情描写をするんですよね、、、
これはフィクションでは中々難しく、あくまで想像上のキャラの形になってしまいます。
逆に言えばノンフィクションなら可能だと思うんですよね。
例えば、過去の自分の投影ですね。
本当にそうなのか、藤本先生のインスピレーションがどこにあるのか、
なんてのは本人にしか分かりませんが、もしこれがノンフィクションが混じっているとしたら面白いなと思うんです。
なぜならノンフィクションとフィクションの融合が創作物には出来るからです。
藤本先生の願いとか、救いとか、創作物の中には込められるんですね。
それがあの美大でのシーンなのかなと、、、
これはキャラの設定ではなく、話の内容としてのノンフィクションとフィクションの融合の話になってしまうのですが、
美大のあのシーンは、勿論あの有名な事件を彷彿とさせるシーンで有名です。
現実で起こってしまった悲劇と、こうすれば良かったんじゃないかと後悔から生まれるフィクションが混じっていましたね。
僕は藤本先生の、どこからともなくヒーローがやってきて全てを解決しちゃいました!
っていうフィクションが大好きで、でもそれって現実でそんなことなんて起こらないって知ってるからそういうフィクションを求めるんです。
別の世界線なのか、藤野が求めたフィクションなのかはわかりませんが
京本を魔の手からヒーローキックで救う藤野
でもまあ、フィクション上や別世界の京本を救った藤野は結局自分のことは救えていないんです。
だから、あの京本が書いた4コマ漫画の
京本を救った藤野の背中に刺さったツルハシなんじゃないかなと
4コマのオチである「背中を見て藤野さん」
京本との過去を振り返った藤野は、たまらず泣き出してしまう。
そして最後、京本と出会った時にちゃんちゃんこの背中に書いたサインが部屋に飾られていました。
その大ファンの背中で自分のルーツを見出し
それで藤野は前に進めたわけです。
マジで良い作品すぎる、、、、しぬ、、、
映画は漫画よりも、とても分かりやすくなってるなと思いました!
あの藤本先生の世界観を映像や音楽などの演出でとてもわかりやすく表現されてて、これが技術なのか、、、ってマジで感動です👏
漫画ではこの作品の壮大さに呆然とした感じに呆気とられて生まれなかった、涙がぼろぼろ溢れてくる感動は映画で感じられますです。゚(゚´ω`゚)゚。
色んな意味でのルックバック。
シーンによって色々な藤野の背中の見え方が違う気がするのも是非見て感じてください!
映画を観た直後に、またもう一回観たいと感じたのは初めてでした。
本当に最高でした。
語り尽くせてない感じがすごいですけども、ちょっとここら辺にしときます!!!
みなさん是非劇場へ!!!!
あでゅー!!!⊂二二二( ^ω^)二⊃ブーン