「また会おうな。。」 | 国際結婚 こんなところまで来てしまった・・・

国際結婚 こんなところまで来てしまった・・・

これは、私の過去の記録(日記)です。
イギリス人の夫と国際結婚 
中東で海外生活を経て
やっと日本に戻ってきた。。
海外でも日本でも何故かいつも微妙に波乱万丈をしている
2児の母です。

日本での滞在も残り少なくなった。

 

今回はものすごく

期間が短い。。。

 

父を外泊させた後

父は風邪をひき

一時はきつそうにしていたが

奇跡的に回復し

私たちが買えるその日まで

物凄く機嫌も良く

はっきり話す父。。

 

あまりにもいい状態が続いたため

母は少し心配していた。。

 

そして、私も心配していた。。

 

私たちがいなくなったら

ガッカリして落ち組むのではないかと。。

 

そんな心配をしながら

毎日話しかけている。。

調子がいいとはいえ

やはり記憶が曖昧なことがある。

 

その日、看護婦さんが私たちがお見舞いに来ている時に

父の元にやって来た。。

 

そして

「お父さんは、船の機関士さんだったんですか?」

そんな話をしだす。。

 

そう、彼女の言う通り

彼は機関士だった。。

 

しかし、そんなことを他人に

しかもお世話になってる看護婦さんに

話すわけはない。。

 

私たちは驚いて

「どうして知ってるんですか?」

そうたずねると

 

「昨日、夜中に突然起きて

『出港前1時間だから

船のエンジンを温めないといけない』

そういって

ベットから降りようとしたのですよ。」

と看護婦さん。。

 

母の話によると

父は昔、船乗りだった頃

船を出港させる前に

いつもエンジンを温める指示を

部下に出していて

自分もチェックに行っていたと行っていた。。

 

つまり、自分の昔に返ったのだろう。

 

ボケがで始めたかな。。。

 

ちょっと不安になる。。

 

その前にも

看護婦さんに英語で

「触るな!」と

言っていたらしい。。。汗

 

ちょっとおかしくなり始めたのだろうか。。。

 

しかし、相変わらず

私たちが訪ねてくる昼間は起きていて

話をしたりする。。。

 

時々妹が意思確認のために

「この人誰?」と

私を指して答えさせる。。

「ヒロ」と答える父。。

 

「この人美人?」と聞く妹・・

 

すると

「いいや、ブサイク」と答える父。。

 

「よし、意識正常。。」と一番下の妹。

父もなんだかニヤニヤ。。。

 

 

おいおい!なんだその確認方法は?笑

「ちょっと、それなんの確認?」

と私が爆笑しながら妹に言うと。。

 

「え?

いや〜まずは、人が認識できるかの確認?

その後は、意識レベルの確認?

姉ちゃんのこと美人とか言い出したら

意識レベルが低いってことじゃない?

見えてないって意味で・・・爆」

と妹はゲラゲラ笑ってる。。。。

 

まあね。確かに。

口の悪い父が

お世辞やお礼を言い出したら

いよいよまずい。。。

 

病院にいて

父のそばにいる時は

なるべく父がおかしくなったかのような

振る舞いはせず

いつも通り

文句を言ったり

冗談を言ったりしながら過ごした。。

 

娘は今回の日本滞在で

「大好き」を覚えた。。

 

最初は

「日本語でLoveに相当する言葉は何?」

と言う質問だったので

 

「日本語では『愛してる』と言う直訳だけど

実際に使うのは

『愛してる』より『大好き』の方が

よく使われるし、

実際の英語の使い方に近い気がする。。」

 

そう教えていた。。。

 

 

すると、娘はこの「大好き」気に入った。。

 

とにかく大好きを連発する。。

いちご大好き

ポケモン大好き

お菓子大好き

アイスクリーム大好き

 

と、ばーちゃんの前で言うもんだから

ばーちゃん、裏で買い与える。。失笑

もうね、ばーちゃんは

孫に言われればホイホイなんでも買って。。

 

私たちが子供の時は

あれだけ制限してたのに

孫になったら

今までのあの制限はなんだったんだと思うほどの

買い与えよう。。。

 

さて、そんな魔法の言葉「大好き」が

気に入ってしまった子供達・・・。

 

そして、運よくこの日

爺ちゃんに

「爺ちゃん、大好き」

そう、日本語で伝え

この日描いた絵を爺ちゃんに渡していた。。。

 

もうすぐ帰る。。

そのことがわかっていたからなのか

自発的に子供達が描いた絵。。。

 

何が描いてるのか・・・

そう思って絵を見てみると

息子はなぜか

ゼルダの劍?のようなものを書いて渡し

娘は

目がキラキラしたクマかネズミかわからない

そんな絵を渡していた。。

 

あのさ。。

爺ちゃんの絵・・・とかじゃないわけ?

 

子供達のセンスに

私はいまいち納得いかないけれど。。

それでも爺ちゃんは嬉しかった様子。。。

 

お別れの日・・・

私たちは空港に行く前に

病院に寄った。。

 

父に

「今から空港に行く」

そう言うと

「どこに行くのか?」

そう聞いてきた。。

 

なんどもオマーンに住んでることを言っていたが

ここは覚えてない様子。。

 

「オマーンに帰るのよ。」

と私が言うと

 

「そうか・・・」

そう考え込んでいた。。

 

「中東よ。サウジの隣の国。

お父さんも行ったことあるでしょ?」

と言うと

 

「そうやった。。。」

としみじみとする父。。

 

「私たち帰っても

リハビリ頑張らなよ。

リハビリの頑張り次第で

帰れるかもしれないのよ。

だから、たくさん頑張って。。

次会う時は家で会おう。」

そう私は言いながら

父の手を握った。。。

 

子供達は

「爺ちゃん大好き。またね!」

そう言いながら

抱きしめていた。。

 

出発が近づいていたため

あまり長居はできなかった。。

 

後ろ髪を引かれながら

父を置いて行く。。

そして、私が病室を出ようとしたその時

父が一言

「また会おうな。」

そう言った。。

 

母は泣いていた。。

その母と「また会おうな。。」と言う父を見て

私も涙が出そうになった。。

 

ここに残れない・・・

父と母をここに置いて行くことへの罪悪感、

そして、「また会おう」と言う

父の願いが

胸に刺さった。。

 

次会った時は

もう私のことさえわからないかもしれない。。

いや、もう会えない可能性だってある。。

 

そう思うと余計に胸が苦しかった。。

 

私たちがオマーンについて1週間ほど

父は私との約束どおり

リハビリを頑張ったそうな。。

 

しかし、その後

風邪をひいてしまい。。

調子を崩し

今まで以上に

意識が曖昧になっていっている。。

つまり、ボケが進んだ様子。。

 

母も妹も

「やっぱり、姉ちゃん達がいなくなったのは

ショックだったのかもね。。」

そんなことを言っていた。。

 

最近やっと

体調が安定してきたようだが

常に病気をしたり

異常なまでの低血糖になったりと

なかなか落ち着かない父。。

 

問題はまだまだ山済みで。。

解決する可能性の少ないものばかりが

残っているが

それでも、まだ父は生きていて

母は生活をしていかなければいけない。。

 

今回、日本の滞在で何ができたかは

わからないが

一応、ケアマネージャーさんと話をして

ある程度のことがわかったことと

母が父を受け入れられない現実を

ちゃんと受け入れてくれたこと

これが大きな成果。。

 

ここ半年

我が家は父を家に受け入れるか

受け入れないかでもめていた。

 

激しい喧嘩になることもあった。

 

でも、今は全員一致で

同じ方向を向けた。。

 

父の気持ちを考えると

やっぱり連れて帰ってあげたいのは

全員の本音。。。

 

でも、父を受け入れる

その環境にないことを

色々な角度から確認できた。

 

もし、願いが叶うなら。。

日本に帰りたい。

 

夫が今の仕事を辞めて

日本に帰ろうと言ってくれれば・・

そうすれば父の受け入れは

可能になる。

 

でも、そうはならない可能性が90%以上の今

それを考えることは無駄な時間。。

 

今はとにかく

遠く離れたこの土地で

両親の行く末を

見守るしかない。。

 

これが国際結婚で

海外に住むことの代償なのだ・・

今回の件で、心からそう理解した。