マージーと私と後悔 | 国際結婚 こんなところまで来てしまった・・・

国際結婚 こんなところまで来てしまった・・・

これは、私の過去の記録(日記)です。
イギリス人の夫と国際結婚 
中東で海外生活を経て
やっと日本に戻ってきた。。
海外でも日本でも何故かいつも微妙に波乱万丈をしている
2児の母です。


さて、今日は家族ネタ。
もちろん義家族ネタです。(笑)

スリランカから帰ってきて
すっかり気分が変わった私。

なにもわだかまりなく
普通に楽しく
過ごせるようになっていた。

義父母との連絡は多少遠ざけてはいたものの
彼らの事を憎いとは全く思わなくなった。
多分、配慮不足だっただけ。
そう素直に思えた。
スリランカのおかげ・・・ありがとうスリランカ~!

では、何故避けていたかと言うと・・・
理由は彼らが嫌いだからではなく
当時義弟夫婦が泊まりにきていたので
あまり顔を合わせたくなかったのが
本音・・・。
そう、私は義弟夫婦が今でも苦手。

昔の嫌な思い出は
忘れられる種類のものと
忘れられないものがある。

マージーも義父母も不可抗力な所があった。
配慮があれば防げたが
日本人以外に配慮を求めた私が
愚かだったのかもしれないとさえ思う。
何より、彼らは感謝していた。
マージーも義父母も私がやったことに感謝をしてくれたので
救われた。

でも義弟達のは
やってあげても知らん顔で当たり前のような態度。
そして要求は果てしない。
迷惑をかけようが自分たちだけ良ければ
それでいい。
不可抗力ではなく、自分の意思でそういう態度をとっていた。
今でもそうだしね・・・。
完全に忘れられない&関わりたくない思い出。
心が拒否する。
それくらい嫌だ。

元はと言えば
私達がスリランカ行きを決めたのは
私の意思もあるが
もともと行くはずだったフランスに
行けなくなったのが理由なのだ。
義弟達のせいで・・・

実は・・・
義父母はフランスに家を買った。
2ベットルームの小さな家。
いわゆる別荘。
義父母は私達に一番に見せたかったのだ。
理由は・・・
昔、私と義父母は一緒に仲良く家を探して
ああじゃない、こうじゃないと
かなり盛り上がっていたからだ。
その夢が義父母は叶ったので
私に是非見て欲しかった。
そして私も見たかった・・・。
だから当初私達はこの夏
そこに行く予定だった。
別荘を見に・・・。

しかし、何を思ったか
義弟家族も同じ時期に1ヶ月もいると言う。
たった2部屋しかないのに
3家族。
しかも
義弟には赤ちゃんがいる。
当時1歳。
まだ、お昼寝したり
色々と大変な時期。

と言う事は私達家族は
リビングで寝泊まりするはめになる。
彼らがいるせいで・・・

もしくは義父母・・・。

しかし、年老いた義父母をリビングでねかせる程
私は落ちぶれていない。
だから、我が家がリビング決定!

それに
私達の子供は遊びたい盛り。

そんな私達と赤ちゃんがいる義弟家族が
あの狭い家で
うまくいくはずがない。

何より
1ヶ月中、彼らに気を使うのは
はっきり言って
イヤ。

前回のイギリス滞在で分かった事は
彼らは気を使われるのが当たり前でも
私達には全く気を使わない人たち。
どうせ、また家政婦のように扱われるに決まっている。
終いには自分たちが出かけるから
赤ちゃんの面倒見れとか
平気で言い出すような人たち。(実際の事件あり)

なので、そんな人がいる地獄のような所に
一ヶ月もいるつもりは
毛頭なかった。

だから、ある意味
マージーが色々やらかしてくれたおかげで
何の気兼ねもなく断って
スリランカに行けたのだ。
そして素晴らしい体験ができた。
そして、嫌な思いをせずに
休暇を楽しめた。

だから、何もかも
私の中では落ち着いていた。

そんな中
義弟夫婦が帰り
一ヶ月ほどして
義父母から連絡があった。

「マージーの具合いが悪い」と・・・

私達は慌ててマージーの家に連絡をした。

「マージー大丈夫???」
家族全員
電話口で声を上げると
「はははは、ありがとう、
もう随分良くなったのよ。」とマージー・・・

マージーの話しだと
目眩がして
まっすぐ歩けないのだとか・・・。

それが14日間も続いていて・・・
ベットから起き上がれないという。

私は心配になった。
大丈夫なんだろうか・・・。
義父母はマージーの所に行ってるのだろうか?

そう思うと何だか
不安で胸がソワソワした。

今は少しいいと言うマージの言葉に
少し気が楽になったものの
年が年だけに
何が起こってもおかしくない・・・。

そう思った。

ある程度話しを終えると・・・
マージーは
「そこに、ヒロいる?」とマージー。
「ええ、ここにいますよ!」と私
すると・・・
「あああ、ダーリン!
貴方は本当に私の大切な人。
本当に色々とありがとうね!
本当に楽しかったわ。
貴方のおかげよ。
誰でもできる事じゃなかっただろうに。
本当にありがとうね。
私は絶対に忘れないわ。
私のヒロ。
ありがとう!」
そう何度も何度もお礼を言うマージー。

この時は私は既にマージーへのわだかまりは何もなかった。
時間がそうさせたのか
スリランカがそうさせたのかは分からないが
その状態で聞いたマージーの言葉に
私は深く反省した。

マージーは何度もお世辞を言えるような性格ではない。
その事は一番分かっている。
だからこそ、彼女のこの言葉が本物なのだと分かると
胸が苦しくなった。

もう先が長くない中で
最後の遠出だったかもしれないのに・・・。
沢山お金を使って
沢山無理をしてやってきたのに・・・
私は自分が辛い事しか頭になくて
何もしてあげれなかった。

どうして、こんな風に今更思うなら
あのときできなかったんだろう・・・。

後悔で押しつぶされそうになった。

マージーは最後までお礼をいい
私は最後まで
「来てくれてありがとう。
私達も楽しかったよ。
子供達も私達もマージーの事
大好きだからね!」と言うしかなかった。

子供達はマージの事が好き。
本当に大好き。
マージーは子供達と沢山話しをしていた。
マージーがいてくれたおかげで
子供達は老人には助けが必要な事を学んだ。
優しくしないといけない事を学んだ。
そして何より
しわくちゃな顔のマージーの
一挙一動に興味津々で
マージーといる事自体を楽しんでいた。

今考えれば
マージーは病気以外のものを
多く残していった。
その一つ一つが
子供たち私達の学びになったんだな・・・
と、このとき素直に思えた。


マージーに電話したのは
私達だけだったよう・・・。
他の孫達は・・・なし。

この状態に
私は少し悲しくなった。

こうして電話を切った後
本当の意味で
このマージーの滞在中の
嫌な事全てが
払拭された気がした。

他人からしたらなんとまあ、単純な・・・
と思うかもしれないが
私はそんな人間なんだろう。
相手に悪意がない限り
きっと最後は
きっとこういう結論に
辿り着くのだろうな・・・。
そう思うのだ。

マージー・・
早くよくなるといいな・・


家族全員でそう思っていた矢先
自体は動き始めるのであった。

つづく