奇跡の18時間 | 国際結婚 こんなところまで来てしまった・・・

国際結婚 こんなところまで来てしまった・・・

これは、私の過去の記録(日記)です。
イギリス人の夫と国際結婚 
中東で海外生活を経て
やっと日本に戻ってきた。。
海外でも日本でも何故かいつも微妙に波乱万丈をしている
2児の母です。

義父母と夫に見送られ
出国ゲートで泣いてしまった息子。

「ママを助けて。お願い。」という言葉に
耳を傾けてくれた息子。
泣きやんで、真剣な表情になる。
涙をこらえ、後ろを何度も見る。
夫ダディーが来てくれるのを
待っているかのようだった。
「ダディーは来ないのよ。でもすぐに会えるからね。」
と説明し、息子がやっと前を向く。

手荷物検査でバックを検査機に通す。
すると、息子は泣き出した。
「バック、バック!」
息子はバックを取り上げられたと思ったらしい。
「すぐに返してもらえるから」となだめ
検査員の人から、バックを返してもらってやっと泣き止んだ。
今考えると、息子はとても不安だったに違いない。

息子の様子を見て「しっかりしなくてはいけない」と自分に言い聞かせた。

免税店が多く並ぶ出発口内
多くに人が行き交う。
私の乗る便が掲示板に掲示されていない。
戸惑う私。
私のチケットには何番搭乗口かの表示はない。
チケットを受け取った窓口で受けた説明は
まだ、決まっていないという。
出発口内の掲示板に表示されるとの説明だった。
もう出発2時間前をきっているというのに
まだわからないのか・・・
私はとてもあせっていた。
早く子供たちと座って待つ場所を見つけたかった。
息子が落ち着いている間に・・・
イライラし始めた。

そして、義母の言葉を思い出す。
「イギリス人は小さい子供を連れている私達を助けてくれる」
しかし、周りを見て気づいた。
ここは国際空港。
イギリス人だけではない。
むしろ、他の国の人のほうが多かった・・・

とにかく掲示板の近くに、座る場所をと探す
座る場所は満席で
私たち親子が座る場所を探していても知らん顔。
荷物を椅子いっぱいに置いている人
足を椅子にかけている人
皆思い思いにくつろいでいた。

あきらめて違う場所を探す。
子供をつれて、広いヒースロー空港の中をさまよう。
まさに地獄だった。
幸い息子はトランキに乗っていて、
そこから降りて悪いことをするような気分ではなかったのがせめてもの救い。
私は片方の手で息子のトランキ(スーツケース)を引っ張り、
もう片方の手で自分の手荷物のスーツケースをころがし
背中にはリュック
前には赤ちゃんの娘
慢性的な腰痛を持っていた私には苦痛でたまらなかった。
もともと荷物が多く
できるだけ持って帰りたかったので、
必然的に手荷物が増えたのだ。
今考えれば無謀な計画だった。

つづく