きっと大丈夫とは思っていましたが

 

それでもやっぱり封筒を開ける時はドキドキしました。

 

 

 

やりました~!

 

合格です!

 

 

 

日本の楽器を演奏する演奏家の集まりであり、

50年以上の歴史を重ねる、プロの集団。

 

HPはこちら

 

 

そこの作曲部門のオーディションを受けさせていただき、

 

合格することができました。

 

素直に本当に嬉しいです。

 

きっと人生の転機になると思います。

 

 

そもそも僕は音大にも行っていないし、

 

作曲科も出ていなければ

 

誰かに師事したこともありませんし

 

コンクールで賞をとったこともありません。

 

 

そして、さらにいえば

 

日本の楽器を初めて書いたのは34歳の時。

 

山中湖国際音楽祭がきっかけでした。

 

 

 

ここで初めて尺八と箏を書きました。

 

 

そして勉強しなきゃと思って聴きに行ったのが

 

 

日本音楽集団の定期演奏会です。

 

 

はじめて聞いた日本の楽器は

 

 

とっても綺麗で、美しくて、迫力もあって

 

びっくりしたのを覚えています。

 

 

全てはここから始まっています。

 

 

 

2010年から毎年のように

 

山中湖国際音楽祭では、東洋と西洋の融合ということで

 

日本の楽器を含めた新曲を書く機会に恵まれた事。

 

 

外国の方から見たら

 

日本人の作曲家だから日本の楽器が書けるのは当たり前、と思われていたでしょうね。

 

 

まさかの2010年が初めてとは思わなかったのではないかと。

 

 

 

そして、もう一つの僕の大きな柱となったのが

 

 

「邦楽いろはにほ~」という横浜で行われている

 

日本の楽器のコンサートシリーズで

 

 

ここで毎年のように、書く機会を与えていただいた事が

 

 

今回の合格に繋がる大きな要因となったと思います。

 

 

 

 

そこからのご縁で

 

2015年には島根邦楽集団の10周年の記念曲を書きました。

 

 

すごく覚えていますよ~

 

 

島根から、グラントワのスタッフの方が2名

 

 

わざわざ横浜のコンサートまで来て下さり、

 

 

コンサート後にお話があるということで

 

 

ちょっと落ち着いた席で

 

 

10周年の曲を書いて欲しいと、依頼されたのです。

 

 

 

僕にとっては一度も書いたことのない大編成で

 

 

 

しかも提示された金額も、今までの最高の額だったので

 

 

嬉しいのと同時に、怖さもありましたね~。

 

 

でもやるしかないですからね~、怖くても。

 

 

それらが一つ一つ、自分の経歴になっていきます。

 

 

 

 

2015年くらいから

 

 

全ての流れは完璧~と信じていたし

 

 

起きる出来事は全て最善だと思っていたので

 

 

いろいろ予定が変わっても

 

それは全ていい方向にいく、と完全に思えるようになっていました。

 

 

で、2017年にCDを完成させて

 

じゃあツアーをやろう、という話になって

 

 

2017年の日本青年館のこけら落としに合わせて

 

横浜と上田でCD発売ツアーをやろうということで

 

ウィーンのアーティストとも、予定を出し合って

 

だいたいいけそうな流れがあったのですが

(CDでは日本の楽器3人と向こうのアーティスト3人が演奏していますから)

 

 

一人のアーティストから、やっぱりどうしても予定を空けられないと

 

 

連絡がきたのです。

 

 

その時は、やっぱり一瞬は「残念だな」と思いましたよ。

 

 

でも、これもきっといい方向にいくって、すぐ思えたので

 

 

「どうなるんだろう~」って楽しみにしていたのです。

 

 

 

横浜のコンサートで、本当はCDの曲を演奏する予定でしたが

 

 

それができないということで

 

 

「じゃあ、20回記念だし、日本音楽集団の7人編成をやろう」って

 

 

話になり

 

 

「相澤さんも、この編成で新曲とアレンジ作品を書けば

 

オーディション用の音源やスコアにもなるし、どう?」

 

 

って言って下さり、

 

 

予定がずれたおかげで

 

日本音楽集団のオーディションに必要な7人編成の曲を

 

書くことができたのです!

 

※7人編成とは笛、尺八、三味線、琵琶、二十絃、十七絃、打楽器の7種を使う編成

 

 

 

ちなみにこの時、笛と打楽器は初めて書きました。

 

 

 

そう、予定がずれたおかげ!

 

 

 

そして、僕の事を応援して下さっている

 

 

尺八の米澤さんから

 

 

2018年のオーディション受けてみたら、とご連絡いただき、

 

(もう、資料は全てそろっていると安心してたら、

アレンジ作品は課題曲が決まっていたので、大慌てで書きましたが)

 

 

 

応募したという流れです。

 

 

 

日本音楽集団の定期演奏会にいくたびに

 

 

「あ~いつかあの舞台に立つんだな~」って

 

 

思っていました。

 

 

「いつか団員になって一緒にやろう」って

 

 

米澤さんが言って下さっていたので

 

 

きっといつかはあの舞台に立つんだろうな~って。

 

 

ただ、タイミングは、流れがあると思ったので

 

 

いつオーディションを受けるかは分かりませんでしたが

 

 

2017年に7人編成を書くという機会をいただいた事で

 

 

ついに実現したのだと思います。

 

 

 

しかしやっぱり

 

 

嬉しさと怖さ、両方ありますよ。

 

 

嬉しいですが

 

 

作曲家として、日本の楽器を扱うプロの作家として

 

 

多くの方に見られるわけですから

 

 

 

怖いですよ~。

 

 

でも、怖いまま、進むのですね。

 

 

それが道を作っていくということ。

 

 

大きな流れに乗ってここまできたと思います。

 

 

そもそも

 

 

日本の楽器に出会って、こんなに書く機会に恵まれるなんて

 

 

全く想定外。

 

 

でもやっぱり想定外って楽しいし

 

 

大きな流れのおかげでたどり着ける場所があるから

 

 

全てを信頼して、自分を信用して

 

 

目の前のことを楽しんでいけばいいんだなと思います。

 

 

あとは自分を大事に生きるという事でしょうかね。

 

 

 

まずはご報告でした。

 

 

応援して下さった皆様

 

 

本当にありがとうございます。