「地図と拳」(小川哲)ー満州を視点に、日露から大東亜までの戦争の歴史を紐解く大書 | 「晴走雨読」 廣丸豪の読書日記

「晴走雨読」 廣丸豪の読書日記

廣丸豪(ひろまる・ごう)と言います。日々の読書生活や、気に入った本の感想などを気ままに綴ります。

地図と拳

 

1899年から1955年まで、「李家鎮」という満洲の架空の都市の半世紀以上にわたる盛衰を通して戦争の本質に迫った、貫禄の直木賞&山田風太郎賞W受賞作です。

「このミス」でもランクインしていましたが、私はミステリではなく、教訓の詰まった歴史小説として読みました。

 

日露戦争前夜の1899年、中国東北部を訪れた軍部の密偵・高木とその通訳の細川が燃える土(石炭)の出る土地の情報を得たことからこの物語は始まります。

当時はまだ学生だったこの細川が物語の最初から最後までキーパーソンなのですが、彼の他にもロシア人の神父や様々な立場の中国人、日本人が重要人物として多数登場するので、主人公は、後に日本人によって「仙桃城」と改名される辺境の小村「李家鎮」そのものと考えるほうが座りがよさそうです。

 

そもそも日露戦争は、朝鮮半島をロシアに支配され、のど元に匕首を突きつけられる形になるの回避し、日本の自主独立を守るための防衛戦争でした。それが、この戦勝により、日本国中が「世界の一等国の仲間入りを果たす」というさらなる野望を抱くようになってしまった。

 

そのためには圧倒的に小さく資源も乏しい日本の国土を拡大しなければならない。

台湾、朝鮮を併合し、樺太の南半分も割譲、現在に比べれば倍ほどの国土を持っていた大日本帝国ですが、いかんせん新たに獲得した領地は貧しく、たちまち国力に貢献するものではない。

戦争で十万人もの英霊と引き換えに得た中国北東部・満州の利権、この日本の国土の三倍ほどもある広大な地域の経営に、日本は大国への道筋を見出すことになります。

 

日本は、この白地図ともいえる満州に、都市という点を作り、鉄道という線を引いて、地図を描く作業に没頭するようになります。その行為は、元々その地に住んでいた満人・漢人たちを追い出し、または支配し、元々その地を支配していた軍閥と対立することに他なりません。

 

タイトルの「地図」とは理性、理論であり、人工的な都市、国家でもある。対して「拳」とは情動・心情であり、抗争・戦争の象徴なのでしょう。この地に引き寄せられた出自・思想・立場等を異にする人々ががぶつかりあい、殺戮の歴史が始まります。

 

そもそもの日本の敵国はロシア、後のソビエト連邦だったはずで、英国を始め他の強国とは円満な関係を維持していました。それが、この地に満州国という日本の傀儡国家を建設したことにより、世界中を敵に回してしまうことになります。

十万の英霊と引き換えに得た満州国にこだわるあまり、それを維持・発展させること以外の選択肢を見失った結果、日本は二百万に及ぶ戦死者を出すことになる戦争にずるずると引き込まれていきます。

メタ視点で見れば、リットン調査団の調査結果を否定し、国際連盟を脱退したのがポイント・オブ・ノーリターンでしょう。でも、当時の日本は、民衆もジャーナリズムも、この国家意思決定にもろ手を挙げて賛同していたのですから、どうにもなりません。

 

この物語に最初から最後まで登場する細川は「戦争構造学」という学問を通して日本が負けることを見通していました。

米国にはこのような研究機関があって、ベトナム戦争から撤退したのも、ソ連との冷戦に勝利したのも、この研究機関の研究を政策に反映させるメカニズムがあったからという話を聞いたことがあります。

日本に本当にこのような機関があったのかどうか、たとえあったにしてもその研究結果が国家の意思決定に機能しないのであれば宝の持ち腐れです。実際の歴史で拳をふるうことに終始してしまった日本が残念でなりません。

 

結局、この日本が作った人工都市は、レジスタンスの攻撃と日本軍によるその報復を繰り返した挙句に、日本の敗戦とともに日本が作った満州国と運命を共にし、灰燼に帰すことになります。

 

終章で、細川とその弟子ともいえる須野明男が戦後10年たったかつての仙桃城の地を踏むわけですが、日本のためにこの都市を作った細川と、建築とは過去を担保する時間だとし、誰のためでもない、この地に住む人間のために都市をつくっていた明男のコントラストが印象的でした。これこそが、この小説のテーマなのでしょう。

 

文句なし、直木賞にふさわしい大作と思います。読んで大満足でした。