時は天平。藤原四兄弟をはじめ、寧楽の人々を死に至らしめた天然痘。疫病の蔓延を食い止めようとする医師たちと、偽りの神を祀り上げて混乱に乗じる者たち―。生と死の狭間で繰り広げられる壮大な人間絵巻。
(「BOOK」データベースより)
天然痘、致死率20~50%、感染力は極めて強く、治っても痘痕が残る、恐ろしい病気である。新大陸のインディアンやインディオがあっという間に駆逐されたのは、白人たちの武器よりも彼らが持ち込んだ天然痘ら病気だったそうだ。
日本史の知識であるのは、長屋王を自害に追い込み政治の実権を握った藤原房前ら藤原四兄弟が、天然痘で737年に4人とも死んでしまったこと、股肱の臣を一度に失った聖武天皇は、奈良の都を逃げ出し、恭仁京、難波宮、紫香楽と遷都を繰り返すも、最後は平城京に戻り、仏教で疫病を押さえようと奈良の大仏を作ったこと。当時の仏教は最先端の科学技術でしたから、聖武天皇、大真面目だったのでしょう。
歴史の教科書には出てきませんが、重臣の四兄弟が相次いで罹患、死んでしまうくらいですから、一般庶民の間でもとんでもないことになっていたのでしょう。しかしながら、澤田さんに小説の死の描写はなんとも激しい。前作の「腐れ梅」の描写もなかなかに生々しかったけど、今度のは死体がごろごろですから。
タイトルの火定(かじょう)ですが、
仏道の修行者が、火の中に自らの身を投げて死ぬことだそうで。でもこの本で火中に身を投げるように病と闘うのは仏僧ではありません。綱手、名代、広道ら施薬院で天然痘に苦しむ庶民の治療にあたった人たち。
一方でその対極にあるのが、奈良時代版白い巨塔みたいな身分の高い医師たち、そして常世常虫(とこよのとこむし)なる似非新興宗教をでっちあげた宇須。
体制側にいながら同僚にはめられた冤罪で投獄、恩赦で出獄した後は宇須に身を寄せて常世常虫の一味にまで身を落とす諸男という男を通じて、医療に身を投じた人々の志を描いた、なんともすさまじい作品。
第158回直木賞候補作、個人的にはこれが直木賞で良いじゃないと思えるくらいに心を揺さぶられました。