「銀河鉄道の父」(門井 慶喜)父・政次郎を自分や自分の父になぞらえて読んだ。 | 「晴走雨読」 廣丸豪の読書日記

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廣丸豪(ひろまる・ごう)と言います。日々の読書生活や、気に入った本の感想などを気ままに綴ります。

銀河鉄道の父

 

明治29年に岩手県花巻に生まれた宮沢賢治は、昭和8年に亡くなるまで、東京に行ったり、地元で教師や技師をしながら、多数の詩や童話を創作した。

彼の生家は父の代から富裕な質屋であり、長男である彼は本来なら家を継ぐべき立場であった。尋常小学校での成績はすこぶる優秀であったものの、「質屋に学問はいらない」と主張する祖父を説き伏せ、盛岡中学校に進学させたのは、賢治の父、政次郎であった。

しかしながら、中学校へ進んだ賢治は小学校時代とはうってかわって劣等生になり、金の無心を繰り返す。中学を卒業しても、家業の質屋には身が入らず、製飴工場をやるとか、人造宝石を創るとか、およそ現実味のない話を言うばかり。

 

地元の名士であり、熱心な浄土真宗信者でもあった賢治の父・政次郎が、ともすれば反抗し、脱線するユニークな息子をいかにしてあの「宮沢賢治」に育て上げたのか。これは紆余曲折に満ちた短い宮沢賢治の生涯を、父・政次郎の視点で描いた小説である。

 

個人的感想を言わせてもらえば、宮沢賢治とは、にあきれ果てた男である。身体が弱く、さんざん父に心配をかけながらも、親孝行をしようというそぶりをみせない。大いに親のすねをかじり、高校まで出してもらいながら、家業を継がないばかりか、何事も長続きしない。熱心な浄土真宗信者であった父に対する当てつけにように日蓮宗に傾倒する。

そんな賢治の書いた文章が新聞に載ると近所に配り歩き、さっぱり売れなかったものの詩集「春と修羅」、童話集「注文の多い料理店」を熱心に読みふける父・政次郎。

生前はほとんど知られることのなかった宮沢賢治、でも、今、彼や彼のあの美しい作品を知らない人は少ない。彼の死後、彼の著作を広めることに、父・政次郎は並々ならぬ努力をしたのではないだろうか。
 

私の実家は、祖父の代から東京都文京区で総菜屋を営んでいた。自分はそんな家を継がずに会社員になり、大正15年創業の実家は父の代で廃業した。

私の息子は2浪して大学に入った上に、就職浪人までし、私の口利きで入った会社を2年で辞め、その後入った会社も合わずに3か月で退社。しかし、一念発起し、公務員となってもうすぐ勤務地の福岡に赴任していく。

「親の心、子知らず」、父・政次郎を、ある時は父に、ある時は自分になぞらえて読んだ。

 
でも、賢治とその妹トシがした最大の親不孝は逆縁、親より先に死んだこと。自分はそれだけはしたくないし、また子供たちにもしてほしくない。
門井慶喜さん、渾身の第158回直木賞受賞作。