「京都ぎらい」(井上章一) さすがに、京都の差別は慇懃無礼で根が深い | 「晴走雨読」 廣丸豪の読書日記

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廣丸豪(ひろまる・ごう)と言います。日々の読書生活や、気に入った本の感想などを気ままに綴ります。

京都ぎらい

 

あなたが旅情を覚える古都のたたずまいに、じっと目を凝らせば…。気づいていながら誰もあえて書こうとしなかった数々の事実によって、京都人のおそろしい一面が鮮やかに浮かんでくるにちがいない。洛外に生まれ育った著者だから表現しうる京都の街によどむ底知れぬ沼気(しょうき)。洛中千年の「花」「毒」を見定める新・京都論である。

(「BOOK」データベースより)

 
出身地域による差別はどこの地方にもあること。私の父は東京都文京区小石川、母は中央区月島の出身で、私も文京区で生まれ育った。ここ15年ほど中野区寄りの新宿区に住んでいるが、ここに私のルーツではない。今も自分の両親が住む生まれ育った町に強い愛着を感じている。
昭和一桁生まれの父の感覚では、東京の範囲は、東側は隅田川まで、北、西、南の境界は山手線の内側。中野とか目黒というと郊外、成城学園とか吉祥寺とかいうと、「へぇー、あんな田舎がねー」ということになる。でも、自分が江戸っ子っていうのは、日本橋や銀座の人の手前ちと憚られる。
当然、私も、他県生まれの人に訳知り顔で東京のことを言われるのは良い気がしない。私の妻は大阪市出身なのだが、妻に東京を語られると、口には出さないけど「片腹痛いわ」と思ってしまう。
 
でも、まあ、東京は流入人口が圧倒的に多い。両親も自分も東京生まれなんて人、東京の人口の数%もいないのではないか。ゆえに、こういう話題は小中学校の友人とか、出自素性のはっきりした人の間でしかしない。
その点、さすがに京都は差別の本場である。嵯峨だ宇治だ東山だの話は理解の範疇だが、その根深さ、慇懃無礼な陰湿さは、東京なんぞとレベルが違う。著者の執筆意図には反するかもしれないが、大いに笑わせていただいた。
 
そんな京都人にとって、「京都のお寺は江戸幕府が支えた」というのは、耳の痛い話なのかもしれない。それを言えば、今の大阪城だって、秀吉ではなく徳川が作ったもの、今日本にある都市のインフラのもとは概ね江戸時代のものである。それとも京都の人は、自分たちは権力から奉仕されるのが当たり前と思っているのだろうか。ぜひ生粋の京都人の意見を聞いてみたい。
 
生臭坊主の話も興味深かった。洋の東西を問わず、中世には、宗教勢力は国をも従えるような大きな権力、影響力を持っていた。いや、歴史のみならず、現代においても、原理主義者と呼ばれる人たちなどによって、血なまぐさい事態が引き起こされている。
坊さんが袈裟を着てキャバクラで遊ぶ街、平和でよいではないか。私は、これも比叡山を焼き討ちし、一向一揆を殲滅し、寺社を宿代わりにしてしまった織田信長の功績、信長が日本人の無宗教と平和の礎をつくったと思っている。
生臭坊主、結構ではないか。