(内容紹介)
あたしは、月のように死んで、生まれ変わる──目の前にいる、この七歳の娘が、いまは亡き我が子だというのか? 三人の男と一人の少女の、三十余年におよぶ人生、その過ぎし日々が交錯し、幾重にも織り込まれてゆく。
この数奇なる愛の軌跡よ! さまよえる魂の物語は、戦慄と落涙、衝撃のラストへ。
佐藤正午さんの本は、昨年山田風太郎賞を受賞した「鳩の撃退法」に続いて2冊目。あれも良くわからない話だったが、今回のも、うーん、ややこしい。
テーマは生まれ変わり。輪廻転生といえば仏教、ヒンドゥー教、東洋哲学がまず思い浮かぶ。キリスト教やイスラム教の最後の審判とは対照的な死生観、その思想を育んだものは、生命が次々と誕生し、成長し、死んでいく、アジア特有の熱帯、亜熱帯の環境のように思う。
とにかく輪廻転生には明るいイメージを持っていたのだが、この作品で語られる転生は、男に対する愛というか、未練というか。なんか、その執着にはややおどろおどろしいものを感じる。
夫とうまくいっていない人妻、正木瑠璃が、大学生の三角哲彦(みすみ あきひこ)君と不倫、本気で愛し合ったのだが、彼女は不慮の事故?で命を落としてしまう。すごく単純に言ってしまえば、その彼女が、アキヒコくんに会いに、何度も転生する話。
前の瑠璃が死んだ時点で生まれる次の瑠璃は、小学校低学年で熱を出した拍子に前世の記憶が甦る。
初代の年下の恋人だったアキヒコくんも当然年を取り、それなりの社会的地位にもつく。その眼前に、突然、小学生が「会いたかった」とか言って現れるのだから、本人も周囲も面喰いますよね。
こうやって書く単純な話のようだが、実際の小説は、二代目瑠璃の小山内瑠璃の親である小山内堅と、四代目瑠璃の緑坂るりとその母ゆいが、自らの体験を、東京で落ち合って2時間ほど情報交換するという形式をとっている。因みに三角哲彦は最後まで登場しない。
時系列がごっちゃになりながら昔話が輻輳するので分かりにくい、しかも初代瑠璃の不仲な夫が三代目瑠璃と絡んだり、、、とにかくややこしかった。
そして、愛ゆえに転生しているのは、もしかして瑠璃だけではない?昔の恋人を亡くした人は、その恋人が亡くなった年に誕生した人が自分の周囲に現れたら、「あなた、もしかして転生?」と思わなければいけないのかも。
曖昧な情報、話の分かりにくさが、この物語の不思議な雰囲気を醸成している。いったい何が真実なのかと読者を考えさせる、このあたりは「鳩の撃退法」 の手法とよく似ている。
何はともあれ、157回直木賞受賞作である。
これで、第130回(03年)から直近の第157回までの直木賞受賞作品をすべて読んだことになる。これからも、時代を遡りつつ直木賞作品を読んでいきたい。