「コーランを知っていますか」(阿刀田高) 多様性を認め合うことの難しさ | 「晴走雨読」 廣丸豪の読書日記

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廣丸豪(ひろまる・ごう)と言います。日々の読書生活や、気に入った本の感想などを気ままに綴ります。

コーランを知っていますか

 

遺産相続から女性の扱い方まで厳格に、でも驚くほど具体的に、イスラム社会を規定する『コーラン』。日本人には理解しにくいと言われるこの書も、アトーダ流に噛み砕けばすらすら頭に入ります。

神の言葉『コーラン』は、実は後悔しない人生を送るための親父の説教みたいなものなんです。イスラムとの協調が絶対不可欠な、今だからこそ読みたい『コーラン』の、一番易しい入門書。

(「BOOK」データベースより)

 

「BOOK」のデータベースは呑気に親父の「説教みたいなもの」なんて言っているが、その説教が今から1400年近く前の事情を元に語られたもので、それを全世界で10億人を超える人が守っている、少なくとも意識しているという現実の方に、我々は慄然としなければならないのではないだろうか。

この世界は、近世にはいって、キリスト教文明圏の国々に支配されていたため、民主主義、男女平等、信仰の自由といったものが普遍的な善、価値観になっている。キリスト教徒ではない我々もそう思っているし、多分、それは良い選択だったのだろう。

でも、コーランが成立したのは、この価値観が形成されるはるか以前、当然それに相容れない事が書いてある。いかにイスラム教徒の大半が平和を愛する人であるとしたところで、これは紛れもない事実である。

 

一神教のオリジナルはユダヤ教で、その成立は彼らのおかれていた多民族がひしめく過酷な環境に深く関連しているのだと思う。唯一神の前の平等、選民思想、最後の審判は安穏な生活、現状に対する満足からは出てこない。そのユダヤ教を、キリスト教を経て換骨奪胎したものがイスラム教。

それにしても遊牧民族というのは激しい、農耕民族である日本人には理解しがたいものがある。闘いの日々の中で、モハメット(ムハンマド)は、意識的にせよ無意識にせよ、多少なりとも我田引水的な換骨奪胎を後出しじゃんけんで行った、などというと、イスラム教徒の方々に激怒されてしまうだろうが、、、ごめんなさい。

 

日本にも「なまぐさ坊主」という言葉がある。何事にも純粋まっすぐになりすぎないこと。原理主義に陥らない、それを他人に押し付けない、多様性を認め合うということはそういうことなのだと思う。

20年近く前になるだろうか、ハンチントンの「文明の衝突」という本を読んだ。「イデオロギーの違いによる対立は終結し、これはらはより深刻な文明の違いによる対立、紛争が始まる」、そんな内容の本だった。今世紀がその本に書かれていたとおりになりつつあるのが、とても怖い。

 

コーランのことをほとんど何も知らなかった自分の理解が、400頁に満たない文庫本でここまで進んだ。コーラン入門書としてお手軽で素晴らしい本であった。