「被害者女児死亡」―世紀の大誤報を打ち、飛ばされた3人の記者。
7年後、児童連続誘拐事件が発生する。さいたま支局の関口豪太郎はかつての事件との関連性を疑い、本社の遊軍記者・藤瀬祐里は豪太郎の応援に合流し、整理部員となった松本博史は冷めた目で静観する。
警察も、目撃者も、記者も上司も嘘をつく。しかし豪太郎は、絶対に諦めない。記者歴20年の著者が書き下ろす感動の社会派エンタメ!!
(「BOOK」データベースより)
17年の吉川英治文学新人賞受賞作品ということで、読んでみた。
警察の内輪事情をネタにした小説は多いけど、新聞社は珍しい。横山秀人さんの「クライマーズ・ハイ」。くらいしか思い浮かばない。いずれにしても、新聞社を経験していないと書けない内容の小説である。
全編これ新聞社視点、すべてがスクープを取った、誤報を打ったなどの内輪話。警察に限らず、新聞社も世間一般と価値観を異にする閉鎖社会であるなあ。
週刊誌と違って即時性を求められる新聞。でもそれはウェブサイトにかなわず、しかし社会的責任があり誤報は許されない。今は、これからの新聞はどうあるべきかという転換期なのだろう。
にもかかわらず、相も変わらず夜討ち朝駆け、過剰労働が美徳という価値観、藤瀬祐里には重要ポストに付く条件に「結婚はしないだろうな」とか、電通以上、時代錯誤も甚だしい。こんなのでは、優秀な人材は新聞社には集まらないだろう。
スクープを取った取られたも、顧客である読者はそこまで求めているのか、顧客不在の自己満足、身内だけに通用する価値観、プロダクトアウトの論理がまかり通っている世界という印象である。
社内の派閥争いも一般企業以上にお盛んな様子で、情報の社内共有もすすまない。これでどうしてこの競争社会を勝ち抜いていくのだろうか。
なんて、分別くさい感想を書いてはみたが、でも、まあ、豪太郎のような昭和の生き残りみたいな記者は嫌いではない。たとえ時代に殉じても、あえて価値観は変えないというのも、生きざま、美学としては、それはそれでありな気もする。
事件の方は、何となく、あの宮崎勤の連続幼女殺人事件を思わせる。否応なしに正義感が沸き起こってしまうカスのような犯人像である。
「当人たちにとってはこれが大問題なのだろうなあ」と、少し醒めた気持ちで読んでしまったが、エンタメとしては、これはこれで実に興味深い。