(内容)
アメリカから要求された日米友好通商条約の調印に断固反対した御三家水戸藩主・徳川斉昭。老中堀田正睦は、朝廷の勅許を得ることによって斉昭を納得させようと画策したが、 幕府が容易に出るものと考えていた勅許は孝明天皇の反対で出ることはなく、幕府はやむを得ず勅許を得ないままアメリカと条約を交わすことになる。
幕府の対応に噴出する不満は、一橋派と南紀派で激しく争った将軍継嗣問題の対立を引きずったまま過熱化する。
対立の火種に着火させたのは、孝明天皇が水戸藩に発した「戊午の密勅」。密勅の黒幕は「水戸の斉昭」と誤解した大老井伊直弼の怒りは「安政の大獄」という大粛清に発展。多数の有為な人材が死に追い込まれる。
粛清の報復が行なわれたのは桜田門外。一発の銃弾が大老の命を奪う。相次ぐ流血で幕府の権威は失墜。時代の潮目は「反幕」に傾いていく。
激しい権力闘争の前にもはや、「開国」が正しい政策か否か顧みられることがなくなった亡国寸前の時代を抉る。
(感想)
時の大老、井伊直弼、この譜代の名門大名が最優先に考えたことは、徳川幕府の秩序を守ること。
徳川慶福(後の家斉)は御三家の紀州徳川家藩主。一方の徳川慶喜は御三家より格落ちの一橋家の当主、しかも出身は御三家の中でも将軍職を出すことを許されていない水戸藩。
黒船来航以来揺れに揺れる日本のかじ取り役に優秀な将軍を、とは思わない。誰が将軍になっても治まる仕組みが家康の作った徳川幕府、平穏な時代ならそれでいいのでしょうけど、、、
開国は直弼がやったことではない、部下がやってしまったのを追認しただけ。安政の大獄の原因の本命はこっち、将軍職の後継者争いです。体制内エリートの直弼から見れば、慶喜擁立など正気の沙汰とは思えなかったのでしょう。
それにしても、大老といえば、首相と最高裁長官を兼務しているような最高責任者。そんな仮にも武力政権の頂点にいる人が、わずか600mほどの通勤路で、20名足らずの暴漢にあっさりと打ち取られてしまう。反対派を弾圧しまくっているのだから予想される事態と思うのですが、それが襲撃の情報もつかめずに、です。
危機管理能力のなさ、ここに極まれりという感じです。
業務改善をしようとするときに、既存路線の延長線上でいけるときと、それではどうにもならない時がある。イノベーションなくしては組織が生き残れないとき、どこまで徹底的にやるか、またその実現のために、時には蛮勇とも思える力を発現させるか、そのさじ加減が非常に難しい。
既存路線の範囲内での改革の芽を、名門出身のエリートがことごとくつぶしてしまったがゆえに、時代は蛮勇に流れていき、最後に明治維新という徹底的なリセットを迎えるのですが、それはまだ先の話。
孝明天皇の勅諚は、井伊直弼の命を奪うだけではなく、水戸藩を二つに割るきっかけにもなりました。
尊王攘夷の先駆けであった水戸藩は、これ以降権力抗争、内紛状態に陥り、歴史の表舞台から姿を消してしまいます。
余談ですが、朝井まかてさんの直木賞受賞作「恋歌(れんか)」は、この時代の水戸の勤王の志士と町人の娘の悲恋を描いた作品でした。
激動の歴史の裏には、きっと数々の悲劇があったことでしょう。