「逆説の日本史18 幕末年代史編1 黒船来航と開国交渉の謎」(井沢元彦) | 「晴走雨読」 廣丸豪の読書日記

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廣丸豪(ひろまる・ごう)と言います。日々の読書生活や、気に入った本の感想などを気ままに綴ります。

逆説の日本史

 


(内容)
アメリカを怒らせた幕末日本のお粗末外交! 
嘉永6年(1853)、アメリカ東インド艦隊司令長官マシュー・ペリー率いる“黒船艦隊"が浦賀に来航した。「突然」の来航に浦賀奉行所は慌てふためいたが、じつはペリー来航の情報は、これより前にオランダ商館長より幕府にもたらされていた。ペリーは決して「突然」やってきたわけではなかったのだ。
「何もしない」「問題先送り」体質にどっぷり染まった幕府は、アメリカ使節団への対応も後手後手にまわる。“偽奉行”に交渉させたり、「二枚舌」を使って交渉をのらりくらりと長引かせるなど幕府の「その場しのぎ」の対応に、当初は友好的な態度で交渉に臨んでいたアメリカ側は激怒。「砲艦外交」へと舵を切る……。
しかしその後も、英語に堪能なジョン万次郎を「讒言」で交渉役から外したり、挙げ句の果てには条約文を意図的に「誤訳」したりとお粗末な外交を続ける幕府は、やがてその終焉を迎えることになる。

(感想)
井沢元彦さんの逆説の日本史、週刊ポストに連載してもう20年以上、ようやく幕末まで来ました。ある程度まとまると単行本化、その2年後くらいに文庫本化されるのですが、現在はこの幕末年代史1、黒船来航が文庫本の最新刊です。
私は、1巻から通しで読んでいますが、この巻、なかなか面白かったです。

私は、確かに日本はペリーの砲艦外交に屈したが、その結果、為政者としての能力を失っていた幕府は倒れ、明治維新が成り、日清・日露の戦争に勝利したのだから、結果オーライではと思っていました。でもやはり、幕府の無策が原因で日本が失ったものはあまりに大きいということを再認識しました。

何を失ったかと言えば、関税自主権と金。
関税なしでのいきなりの開国は、初心者がハンデなしで有段者と将棋を打つようなもの。 このおかげで、明治政府は、不平等条約の改正に明治末年まで苦労し、他の政策で様々な譲歩をせざるを得なくなりました。
当時の日本は黄金の国ジパング、大判小判が普通に貨幣として流通するほど、金を保有していました。 これを有効に使えば、明治政府は容易に最新鋭の軍備を輸入し、一気に富国強兵、文明開化ができたはずです。
しかし、豊富なゆえに国際相場の1/4くらいだった日本の金は、諸外国にうまく為替レートを設定され、銀との両替で国外流出させてしまいました。

黒船は突然来航したのではありません。その50年以上前から、ロシアとアメリカは度々日本を訪れ、開国交渉をしていました。 一方で英国は中国でアヘン戦争、アロー号事件を引き起こし、武力行使で植民地支配を推進していました。
国際情勢からみて開国は避けられず、それなら友好的なアメリカ、ロシアと条約を結んで、以て英国と対抗すればよい。アメリカは英国の植民地から戦争で独立を勝ち取った、関係を結ぶには適当な国である。
日本はオランダと200年以上にわたる友好関係があったのだから、彼らから外交を学べば、この程度のことはすぐわかったはずだし、開国時の条約交渉でも負けることもなかったはず。
ところが実際の歴史は、再三差し伸べられたオランダの手をはねつけ、本拠のない楽観論に終始して問題を先送り、交渉相手には二枚舌を駆使して詐話を繰り返し信用は失墜、この結果、最初は友好的だった米国をして砲艦外交に走らせ、これに屈して、紳士的に日本の返事を待っていたロシアをも怒らせてしまう。
平和ボケとはここまで危機管理能力を失くすものなのか。

開国か攘夷かと言えば、武力で圧倒的に負けているのに、日本に入った外国人は皆切り殺せの攘夷は明らかに不正解。 しかしながら、どう考えても正論の開国を唱える人を、勤皇、佐幕関係なしに問答無用で切ってしまったのが当時の攘夷。
そのテロリストの首魁が水戸斉昭、徳川御三家の一つ、水戸徳川家の当主にして幕府の外交顧問その人なのだから話にならない。

でも、今の人も、江戸幕府を笑えない。
今も「日本国憲法は祖法でござれば」みたいなことを言う政治家や知識人は掃いて捨てるほどいる。それならば、中国の領海侵犯や北朝鮮の核武装やミサイル発射にどう対応するのか、具体的なビジョンがなくてはならない。
それなくしては当時の小攘夷の輩と一緒だし、「もっと友好的な方法があるはずです」「話し合いで解決すべきです」では、当時の江戸幕府と何にも変わらない。

歴史は基本的には合理性に基づいて、水が低きに流れるがごとく、必然的に動いている部分が多いよように思います。でもそれだけではない。
日本特有の価値基準、穢れとか、怨霊とか、話し合い至上主義とか、そういったものが我々のDNAの中に息づいていて、時としてそれに流されて歴史が動く。
だから我々は歴史を学ばなければならないのだと思います。未来のために。