(内容)
軍部の圧力に屈したのではなく、部数拡大のため自ら戦争を煽った新聞。ひとりよがりな正義にとりつかれ、なだれをうって破局へ突き進んだ国民。
昭和の大転換期の真相を明らかにし、時代状況が驚くほど似てきた“現在”に警鐘を鳴らす。
(感想)
反骨の歴史作家、半藤一利さんと保坂正康さんの対談集、なるほどそうだったのかと読んだ。
ロシアの南下を止め、朝鮮半島と南満州における主導権を確保し、列強に名を連ねることになった日露戦争だが、同時にそれはアメリカという新たな仮想敵国を作り出すことになった。芥川龍之介の「アグニの神」という短編に「日米開戦はいつか占ってほしい」という商人が登場する。この作品が書かれたのは大正11年、この時点で米国は具体的な仮想敵国として国民に認知されていたということ。
吉村昭に「ポーツマスの旗」という実に面白い小説がある。日露戦争を勝つには勝ったが全力を使い果たした日本、一方負けはしたものの寸土も日本の侵入を許したわけではないロシア。小村寿太郎が必死の思いで締結したポーツマス条約を不満とした国民は焼き討ち事件を起こし、大多数のマスコミはこれを支持する。
このような報道の傾向はその後も続く。その正体は新聞が売れるように世論に阿るジャーナリズム。 国民が自ら考えることを停止し、独裁者に身をゆだねることになった原因は、商売優先で戦争を支持し、弱腰の政府を非難し続けた新聞社であるというのがこの本の主張だ。
朝日新聞は「新聞は新聞紙法により沈黙を余儀なくされた」と自社の社史に書いているらしい。でも実態は、新聞が売るために援軍、擁軍報道を繰り返すうちに、軍部は力を得て、取り返しがつかないことになってしまったということのよう。その事実から目を背け、被害者を演じていると思えてしまう。
満州事変も、国際連盟脱退も、大多数の新聞はこれを熱狂的に支持し、結果的に日本は国際社会から孤立、まともな外交が出来なくなった。 五・一五事件では、テロも義挙と擁護、当然テロは頻発し、政治家や財界の要人が次々と殺され、時代は二・二六のクーデターへ。
ここまでくると政治家もジャーナリズムも軍部の圧力に完全に沈黙である。
「満州から撤退すべし」と言った石橋湛山のような人もいるにはいたが、ほとんどの新聞社は、言論の自由のために戦ったという形跡があまりない。商業主義に染まっているうちに取り返しがつかなくなった、自ら進んで縊死したとしか思えない。
日本国憲法の12条に、「この憲法が国民に保証する自由及び権利は、国民の不断の努力によってこれを維持しなければならない」とある。法律があるから民主主義が守られるのではない。守るためには国民の努力が必要で、そのために健全なジャーナリズムの存在が重要なことは言うまでもない。
民主主義は、国民とジャーナリズムが未成熟であれば、ポピュリズムに堕ちる。双方が未成熟な状態のままで、28年の普通選挙に踏み切ってしまったことが、軍部の独走を許した最大の原因だろう。
戦後、日本は、戦勝国に戦争犯罪人を決めてもらい、国民も新聞も「国に騙された被害者」という立場で、あの戦争を自らのこととして反省していない。
今の状況は、あの昭和ヒトケタのころと似ている、と著者たちは警鐘を鳴らしている。
一部のマスコミは、戦前の右寄りが単に左寄りに振れただけで、その本質は変わっていないようにも見受けられる。
ジャーナリズムが、信頼できる正義の味方であってほしい。
健全なジャーナリズムの発現に期待する。