前回のブログ『3.(追記あり)速報!1200年程遡ると相良氏と伊予橘氏は血縁関係!!

より続きます。

https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12602549238.html

 

 

 

私が球磨から発信するこのブログを御覧頂き ありがとうございます。
お読み下さった皆様方には心から感謝いたしております。

 

新型コロナウィルスの感染により、お亡くなりになられたすべての方々のご冥福を
心からお祈り申し上げます
感染した方々の早期回復を心からお祈り申し上げます

 

今回は、一息ついて、最近考えていた事を書かせて頂きます(^'^)

(ここで書いておかないと・・次回も歴史に関して書きたい事が満載でございます<m(__)m> )

 

新しい生活様式・・・ 

と言いますが、私は、子供の頃の事を思い出していました。

 

①家に入る前・・・

春から夏の間、まだ明るい夕方、私は祖母の実家に毎日のように行っていました(^'^)

祖母の実家や、うちの宮原家がある旧宮原村宮麓内にある小集落「侍村」は侍の村と書いて「まちむら」と呼びます。(最近は町村と何だか誤った漢字が使用されています。がっかり・・)

過去何度かブログに書いていますが、

祖母の実家の「平川家」を、親戚間では「みなみ」と何か暗号?のような呼び方するので、私は祖母の長兄を「みなみのじいちゃん」と呼んでいました。

 

当時の祖母の実家は古い武家屋敷の造りで、玄関は二つ。他に勝手口がありました。

大きな玄関には沓脱(くつぬぎ)の石があり、そこは来客用。

もう一つの玄関を普段は使用していて、私はそこから家に入っていたのですが、その前に

「みなみ(平川家)」に遊びに行くと、必ずやらなければならない事がありました・・・

それは・・・

足を洗う場所があって、そこで、足を洗わなければ家にあがる事は出来なかったのです(*_*) 足を綺麗に洗って家に入るのが「ルール?」

私が足を綺麗に洗ったのを確認して「みなみのじいちゃん」は

「おやつが用意してあるぞ(^'^) あがりなさい」とニコニコ笑って出迎えてくれていました。

手洗いうがいはもちろんですが、古いしきたりの家では、家にあがる際は「足も洗う」事は当たり前の事だったのです・・・

 

ちなみに・・

みなみ(平川家)に私が何をしに行っていたかと言うと・・・夕方にNHKで放送されていた人形劇を「みなみのじいちゃん」と一緒に見る・・と言う目的?の為です。

何を一緒に見ていたのか、記憶を辿る為に、ネット検索をすると

新八犬伝 ・ 真田十勇士 ・ 笛吹童子 新諸国物語 ・ 紅孔雀 新諸国物語

あっ!! そうだった\(^o^)/ と懐かしく思い出しました。

 

三国志の時は「みなみのじいちゃん」は、もう亡くなっていたので、家で見ていました。

でも、当時高校生だった私は歴史には殆ど興味が無かったので・・

必ず見ると言う訳では無かったのですが

ただし、この映像だけは今でも大好きで、YouTubeでたまに見ています(^'^)

 

 

 

子供の頃からなのですが・・・・

馬に乗った軍勢の映像を見ると・・何故だかワクワクして・・胸が高鳴るのです。

最近だと・・・大河ドラマ真田丸のオープニング映像は、もう・・大好き!でした(^'^)

 

「みなみのじいちゃん」で思い出したのですが・・・

みなみのじいちゃんは、小学校の高学年になった私に『「太平記」を読みなさい』と良く言っていました。 私は行儀よく「はい(^^)/」と答えていたのですが・・・・

みなみのじいちゃんの言いつけを私は守っていません・・・

実は・・いまだ「太平記」は読んだ事がないのです・・

(えええ~っ!? との声が何処から・・)

でも何故「太平記」を読むように言われていたのだろう・・(?_?)

 

それと・・・大河ドラマ

みなみのじいちゃんと祖母が必ず私に見るように言っていたのは・・

新・平家物語 

当時は宮崎の新富町に住んでいたので、父と弟としっかり見ていた記憶があります。

(まだ、小学校低学年です)

球磨の祖母に預けられた後は、

風と雲と虹と と 草燃える

この其々の2本は勤務地の新田原基地から私に会いに帰って来てくれていた父、祖母と3人で必ず見ておりました <m(__)m>

しかし・・何度も書きますが、子供の頃から歴史が苦手だった私は・・何となく見ておりました。

 

ただ・・この歳になって気が付いたのですが(p_-)

新・平家物語  ウィキペディア

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E3%83%BB%E5%B9%B3%E5%AE%B6%E7%89%A9%E8%AA%9E_(NHK%E5%A4%A7%E6%B2%B3%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%9E)

風と雲と虹  ウィキペディア

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A2%A8%E3%81%A8%E9%9B%B2%E3%81%A8%E8%99%B9%E3%81%A8

草燃える ウィキペディア

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%89%E7%87%83%E3%81%88%E3%82%8B

この3作品。 

何故?幼い私が必ず見なければならなかったのだろう・・(?_?)

あんれっ(?_?)・・・(p_-) ・・・・・・

脱線しました<m(__)m>。

 

祖母はと言うと・・・

学校や遊びから帰った後に、履いていた靴下を玄関で脱がないと・・

私はめちゃくちゃ叱られていました(-_-)/~~~ピシー!ピシー!

外出から帰ったら、着替えるのは当たり前。外で来ていた服を着て家の中をウロウロしていたら・・これまた(p_-)・・・めちゃくちゃ叱られていました(-_-)/~~~ピシー!ピシー!

 

手洗い、うがいは 当たり前

靴下脱ぐのは 当たり前

足を洗うのは 当たり前

外出から帰ったら着替えるのは 当たり前・・・

で・・育ったのだな~ と (p_-)

 

足の裏 は汚い・・

うん(?_?)・・・・・(p_-)

ここで さらに気が付いたのですが・・・・

日本の生活において、殆どのお家は

靴を履いたまま家で生活はしませんね・・・

玄関で靴を脱ぎます・・

これって・・・何だろう・・とても重要な事なのではないのかな・・・と思います。

靴に付いた泥や細菌・ウィルスを家の中に持ち込む事を防ぐ為の策でもありますねぇ・・(p_-)

 

子供の頃を思い出したら、色々考える事が出来たのですが、さらに食事風景について

昨年のお盆に叔父(父の弟)が話していた事を思い出しました(p_-)

 

②大正時代のうちの宮原家の食事風景

叔父は、3歳で父(私の祖父)が亡くなったので、思い出は殆どありません。

しかし、父(私の祖父)の話は、父(私の祖父)の大親友であり、幼なじみであった遠縁の「橋本家」のおじさんから沢山聞いてきたそうです(^'^)

※こちらの「橋本家」は旧岡本村のお家で、現在の当主の方は私の父の同級生。

この方で「旧岡本村」に来られて11代目となられるそうで、先代の方が私の祖父の大親友であり、幼なじみでもいらした方です。

 

先代の「橋本家」のおじさんから叔父が子供の頃聞いていた話の一つに、

うちの宮原家の食事風景がありました。

私の曾祖父はとても厳格な人で、食事の際も、礼儀作法にはとても厳しかった😤ようです。

先代の「橋本家」のおじさんが子供の頃、祖父を遊びに誘おう(^^)/と家の宮原家に行くと

ちょうど、食事中だったそうです。

石蔵君(私の祖父) 遊ぼう!」と言う「橋本家」のおじさんの声に気が付いた祖父が

ソワソワ、ソワソワ🙄すると・・曾祖父は

「石蔵(祖父) 食事中に他に気を取られるではない!」😤

と祖父を叱っていたそうです。😤

 

「橋本家」のおじさんが庭で待っていると・・・

祖父が隣の公江(きみえ)おばさんに何かを言ったその時!

「石蔵(祖父) 食事中に話をするではない!」😤

と曾祖父はこれまた祖父を叱っていたそうです。😤

 

この一件から「橋本家」のおじさんは、うちの宮原家には食事時間を避けて祖父を誘いに行くようになった・・と言う話でした。

 

「橋本家」のおじさんの記憶では

宮原家の食事風景は食卓(テーブル?)ではなく(ー_ー)!!、

其々が足の付いたお膳(正式名称が解りません(@_@。)の前に座り、曾祖父が前に座り、

曾祖母、祖父、家の養女であった公江(きみえ)おばさんが並んで座っていたそうです。

こんな感じかな・・?

😤 曾祖父

        👩‍🦳  

          曾祖母

        🧑  

           祖父

        👩  

         公江おばさん

 

お盆と言う事もあり、焼酎を飲んでほろ酔い気分でこの話をしていた叔父は、私に

「ひろ●!良かったね~ 今は誰もこんなやかましい事は言わんけんねぇ~😀

と言っていたのですが、聞いていた私は・・・

曾じいちゃんが「何だこの曾孫娘は、食事中にペラペラしゃべりおって! 😤

いつもの私にプンプン怒っているのではないか!?・・・😨

と、この時 そう考えたのでありました・・\(◎o◎)/!・・(*_*)

 

この話をす~っかり忘れていた先日・・・

テレビのニュースで「新しい生活様式」に合わせた、飲食店のテーブルの配置が映し出されていました。

テーブルに対して椅子が横並び・・・

この時、す~っかり忘れていた「この話」が頭にふ~っと浮かんで参りました。

まるで・・大正時代のうちの宮原家・・

と言うか・・昔の日本人の食事風景そのままじゃないのかなぁ~ 

向かい合って食事中にぺちゃくちゃおしゃべりしない・・・

新しい生活様式 とは言うものの・・

本来、日本人が当たり前に行っていた事ではないのかなぁ~

と、私はテレビを見ながら考えたのであります(p_-)

 

確かに食事中のおしゃべりは楽しいものですが・・・

テーブル(食卓)を囲んでの食事は・・明治以降に始まったのではないのかな・・? と。

西洋の風習がどんどん日本に入ってきてからの事ではないのかな・・? と。

うちの宮原家は曾じいちゃんが「やかましかった(厳しかった)」から大正時代でも、食事中は静かに頂く・・と教えられてきたのだと思いますが、 

この姿 新しいのではなく・・

日本の古(いにしえ)から伝わる風習 作法に他ならない!?

と私は考えたのであります\(◎o◎)/!

 

①家に入る前・・・

②大正時代のうちの宮原家の食事風景

と書いて参りましたが、

古(いにしえ)の方々の行いは、理にかなった事だったのだ

と 私は考えました。

日本人は清潔好きと海外の方々がよくおっしゃいますが、現代人にも、この本来の日本の姿が、記憶のDNAの中にちゃんと伝わっているからこそではないのでしょうか・・・

 

昔の・・

江戸時代までの日本人は握手はしていませんでした・・(ー_ー)!!

昔の・・

江戸時代までの日本人はハグなどしていませんでした・・(ー_ー)!!

人と話す時は一定の距離を開けていました・・

 

昔の人が当たり前に行っていた事が「新しい生活様式」とは・・・

日本は(もちろん私も含めて)、変わってしまったのだな・・🙄

考えた今日この頃であります。

 

だからこそ!

新しい生活様式

新しくはない!

古の方々の生活を思い起こして

これからの時代、私達はちゃんとやれる!

と私は考えたのであります😊

もちろん、食事中の楽しいおしゃべりは横並びで・・😊

 

取り留めもない話を書きましたが、次回のブログの「はじめに」に書くにはちと長すぎる・・

と思いまして、最近考えていた事を今回は書かせて頂きました<m(__)m>

 

次回は、中世の歴史、ご先祖様方に光を当てるブログに戻ります(p_-)

出来れば早い投稿を心がけます(^^)/

 

最後までご覧頂きありがとうございました。

 

皆様方もお身体十分にお気を付けになられて、お過ごし下さいませ。

 

ひろっぷ (^'^)