14年目、人生の4分の1 | 帰ってきた神保町日記      ~Return to the Kingdom of Books~

14年目、人生の4分の1

 今日で脊髄を損傷してから14年目になりました。

 僕は現在56歳なので、これで人生の4分の1を脊髄損傷者として生きてきたことになります。

 下半身は麻痺したままですが、これまでに大きな病気にかからず、新型コロナウイルスにも感染せず、元気に過ごしてきています。ありがたいことです。

 先日、定期的に通っている脊髄損傷者のためのジム・J-Workoutで、半年に一度の身体測定がありました。身体測定といっても身長や体重を測るのではなく、足の太さや身体の筋肉量、足の骨密度を計測します。

 車椅子生活をしていると、足を使うことも立つこともほとんどないため、足の筋肉量が落ち、足の骨密度も下がり、骨折しやすくなってしまいます。そこでJ-Workoutでは、様々な器具を利用して立位を保ち、足に負荷をかけ、足の筋肉量をできるだけ保ち、骨密度が下がらないようなトレーニングを行なっています。

 これは再歩行に向けてのトレーニングであると同時に、将来再生医療が進歩し、脊髄の再生医療が確立されたときに、足の筋肉量や骨密度がある程度保てていなければ、手術をしても無駄になる可能性があるからです。その時に備えての準備でもあります。

 先日の身体測定では、僕の足の太さは前回から維持できていました。足の骨密度も、誤差の範囲ではありますが、前回よりも少し上がっていました。身体の筋肉量も、健常者と遜色ないレベルでした。

 元々骨太体質で、受傷前は毎週のようにシーカヤックを漕いだり、毎朝10キロ走ってから出社したりしていたので、その時の蓄えがまだあるのかもしれません(笑)。

 車椅子生活になってからも、神保町にある勤務地に出社すると、毎日のように街の中に出ています。車椅子で走り回っている様子は目立つようで、よく社内の人から「すごいスピードで走っていたねえ(笑)」と言われます。そんなに飛ばしているつもりはないんだけどなあ。

 

 さて、今回は読書とバリアフリーについて少し書いてみます。

 先日発表された第169回の芥川賞は、市川沙央さんの「ハンチバック」が受賞しました。市川さんは10歳のころに難病のひとつである筋疾患の“先天性ミオパチー”と診断されました。

 

 

 

 

 「ハンチバック」は著者と同じ障害を抱えた主人公が、健常者が当たり前に享受している暮らしに向けて、辛辣な言葉を投げかける姿を、皮肉とユーモアを込めて描いています。

 その中で、読書の世界に向けて衝撃的な言葉があり、出版業界で話題になっています。

 それはこんな一文です。

 

 私は紙の本を憎んでいた。目が見えること、本が持てること、ページがめくれること、読書姿勢が保てること、書店へ自由に買いに行けること、ーーー5つの健常性を満たすことを要求する読書文化のマチズモを憎んでいた。その特権性に気づかない「本好き」たちの無知な傲慢さを憎んでいた。

 

 業界的には衝撃を持って受け止められたようですが、実を言うと僕自身は「ようやくこういことが公に知られるようになったのか」という思いでした。それは、14年前の受傷後の入院・リハビリ生活中のある体験があったからです。

 それはこんなことです。

 僕が入院していたリハビリ病院に、同じ時期19歳の青年が入院していました。彼は友人たちと川で遊んでいて、川に頭から飛び込んだところ、運悪く水深が浅く首の骨を折り、頸髄を損傷してしまったのでした。命は助かったものの、首から下が麻痺してしまいました。腕は動かすことはできましたが、握力はほとんどなく、物を持つのも困難な状態でした。それでも必死にリハビリをして、日常生活に戻れるよう努力していました。同じリハビリルームで顔を合わすことが多かったので、次第に言葉を交わすようになりました。

 その年は、村上春樹の「1Q84」が発売になり、話題になっていました。僕も買ってあったので、入院中は家族に病室に持ってきてもらい読んでいました。

 何かの折にそのことを彼に話すと、彼も村上春樹のファンで「1Q84」を読みたがっていました。そこで読み終わった本を彼に貸してあげました。彼は本を持って行こうとしましたが、腕が不自由なため本を持つのも、ページをめくるのも大変なようでした。それでも嬉しそうに不自由な手で本を抱えていました。

 その当時はすでに電子書籍は登場していましたが、ガラケーで読むいわゆる「携帯小説」が主流で、村上春樹の作品は電子化されていませんでした。

 iPhoneは発売されていましたが、今ほどスマホは普及していませんでした。iPadなどのタブレットPCはまだ発売になっていませんでした。

 その時に思ったのは、iPhoneで様々な本が読めるようになれば、彼のような頸髄損傷者でも、苦労せずに読書ができるのになあ、ということでした。

 僕にはiPhoneやiPadは、読書のバリアフリーを進めるための画期的なアイテムに思えました。

 スマホやタブレットPCを使った読書が本格的に広がり始めたのは2012年頃からです。コミックの分野では飛躍的にデジタル化は進んでいきましたが、書籍の分野ではいくつかのハードルがありました。そのひとつは、電子化を拒否する著者が多かったことです。その頃は、違法なデジタルコピーや海賊版などデジタル化に対する得体の知れない不安が今よりも大きかったことは間違いありません。また、出版とは紙の文化である、ということにこだわっている著者がいたことも確かです。

 現在は、デジタル化されていない出版物が少数派になりつつあります。それでもまだデジタル化を拒否する著者、それも全国的なベストセラー作家の中にもいます。

 先日、Eテレの「バリバラ!」に市川沙央さんが出演し、読書のバリアフリーについて語っていました。その中で以前に、自身の障害を踏まえ書籍の電子化を進めてほしいという要望をある出版社とある人気作家に手紙で訴えたそうですが、なしのつぶてだったそうです。

 「ハンチバック」が芥川賞を受賞したことを見て、その出版社と作家はどう思っているのでしょうか?

 

 読書のバリアフリーというと、古くは視覚障害者のための点字本や、朗読を吹き込んだものが主流でした。

 今はアマゾンのAudibleオトバンクのAudiobook.jpなどのオーディオブックが普及してきています。僕も最近、これらのオーディオブックを使い始めました。僕は車椅子生活になってからは通勤に車を使っているので、運転中は読書ができませんでした。しかしオーディブックを使うと、運転しながらでも本が「聴け」ます。慣れるとこれがなかなか快適で面白いのです。

 2018年、視覚障害者等の読書環境の整備の推進に関する法律、いわゆる「読書バリアフリー法」が成立しました。

 これを受けて、出版業界では読書のバリアフリー化に向けていくつかの出版社が動き出しています。

 視覚障害者のためのオーディオブックの製作に力を入れ始めているところが多いようですが、「ハンチバック」は必ずしもそれだけが読書のバリアフリーではないことを示してくれました。

 僕自身も身体障害者ではありますが、幸い上半身は健常者と同じなので、本を自分で持ち、めくって読むことに不自由はありません。でも書店に行こうとする時、車椅子の障害者ならではの不便を感じることはあります。それは、入り口に段差がある書店であったり、エレベーターがなく階段でしか上がれない書店であったり、店内が狭く車椅子で動き回れない書店であったりです。書店の棚の上の方には手が届かず、そこに欲しい本がある時は、誰かの助けが必要なこともあります。

 「ハンチバック」は、ほとんど多くの人が当たり前だと思っていた「読書」という行為が、実はそうではないと指摘したところが画期的でした。

 読書とは「文字が印刷された紙を束ねたものを、手に持ち、めくって読む行為」だけとは限らないのです。このスタイルが確立されたのは、15世紀にグーテンベルクが活版印刷技術を発明して以降です。

 遥か昔には、口承が伝える手段の主流でした。そういう意味では、オーディオブックは原点回帰と言えなくもありません。

 また文字を読むことに困難がある「ディスレクシア」という障害もあります。日本語では難読症、識字障害、読字障害など呼ばれます。 

 こういった読書における様々な障害をきめ細やかに乗り越えていかなければ、本当の意味での「読書のバリアフリー」は実現できません。

 僕が出版社の社員として働けるのはあとわずかですが、残りの会社生活は「読書のバリアフリー」に本気で取り組んでいきたいと考えています。