巧みなミスリードに翻弄される「怪物」
この映画について語るには、どうしても内容に触れざるをえません。もちろん、それを知ったからと言っても、この作品の面白さが衰えるとは思いませんが、でもやはりまずは予備知識を入れずに観るのがオススメです。
そういうわけで、この映画を未見の方は、そのことを承知でここから先はお読みください。
この作品は映画評論家・映画監督の樋口尚文さんも書かれているように、是枝監督版の「羅生門」です。
ある小学校で起きた教師の暴力事件が、保護者、教師、子供たちそれぞれの視点で語られます。
視点が変わることによって、事件の見え方が大きく変わっていきます。
最初は被害にあった児童の母親(安藤サクラ)の視点で描かれます。
母親は学校に行き、校長(田中裕子)や暴力をふるったとされる教師(永山瑛太)に説明を求めます。しかし教師たちはのらりくらりと形式的に謝罪の言葉を述べるだけで、誠実に対応しようとしません。それを見ている観客は母親同様、教師たちに対して激しい憤りを覚えます。
しかし実はこの時点で、観客はミスリードされています。
続いて教師の視点で事件が描かれますが、そこで目にするのは、責任感の強い誠実な教師の姿です。
一体どういうことなのか?さっきまで見ていたのは何だったのか?
あまりにも極端なキャラクターの変化に戸惑いを覚えます。
でもそれこそが、製作者たちの意図なのです。
映画の冒頭で火事のシーンがあります。母親は自宅のベランダからその火事を眺め、まるでイベントを見ているかのようにはしゃいでいます。それは毎日起きる様々な事件をテレビやネットで見ながら、その表面だけをなぞり感情の赴くままに憤ったり、批判したりする僕たちの姿を象徴しているかのようです。
この映画で描かれる暴力事件に対しても同じです。
母親の視点で描かれる最初のエピソードで目にする教師たちの姿は、その後に描かれる教師や子供たちの視点でのエピソードを見た後では、その意味合いがガラリと変わります。あの行動は、そういうことだったのか!と。
自分の見たいようにしか物事も見ないことにより、その本質を見失い、歪んだ事実を生み出していくこと。それを「怪物」と呼ぶのかもしれません。
そしてさらに驚かされるのは、終盤の子供たちの視点でのエピソードです。
最初に「暴力事件」について、と書きましたが、実はそれもある意味違っています。
これは2人の少年の秘密の友情についての物語です。
これについては、ここでは触れません。
彼らの関係が明らかになることにより、この事件が一体何だったのかが見えてきます。
ラストシーンは意見が分かれるところだと思います。
映画の中で、2人の少年たちは何度か「生まれ変わり」について話します。
このラストシーンは、生まれ変わった彼らなのか?それとも?
安藤サクラさん、永山瑛太さん、田中裕子さんの迫真の演技はもちろん素晴らしいですが、2人の少年も引けを取らず見事です。是枝監督は相変わらず子供の起用が上手いですね。
坂元裕二さんの緻密な脚本と、是枝監督の客観性を巧みに活かした演出によって、非常に重層性のある物語となっています。
そして忘れられないのが、これが遺作となった坂本龍一さんの音楽。彼の過去のアルバムからの選曲もありますが、繊細な物語にあった美しい旋律を聴かせてくれます。
もう一度見ると、また違った見方ができる作品だと思います。