サーリャのまなざしが教えてくれること~「マイスモールランド」 | 帰ってきた神保町日記      ~Return to the Kingdom of Books~

サーリャのまなざしが教えてくれること~「マイスモールランド」

『マイスモールランド』

 

 ウクライナ、シリア、ミャンマー。今も多くの国や地域で戦争や紛争が続いています。

 日本に住む僕たちの多くは、遠い国の出来事だと思っています。

 でもそれは間違っています。現代において、世界各地で起きている戦争や紛争の影響を受けずに生きていくことはできません。

 日本にもこうした戦争や紛争の起きている地域から逃れてきた人々が生活しています。

 僕たちはそうした人々の存在を目にしているかもしれないけれど、理解はしていません。知ろうともしません。

 この映画を観て、そんな自分に怒りを感じ、情けなくなりました。

 自分が住んでいる日本で、すぐ足元で起きている不条理な現実を知らずに、何が世界平和、人道支援なのかと。

 

 この映画は埼玉県の川口市に住むクルド人家族についてのフィクションです。川口市には実際に多くのクルド人の避難民が生活しています。そのため当初は実在のクルド人の方々に出演してもらうことも考えたそうです。でもそれはできませんでした。

 彼らの中には難民申請を受け入れられず、仮放免されている人もたくさんいます。仮放免とは、ビザが与えられず、働くことは許されず、居住している都道府県から出ることも許されないことです。少しでも違反行為があると、入国管理局に収監されてしまい、その収監期間は分かりません。そのため彼らを撮影することで、彼らの不利益になることが明らかになる危険が起こりえます。そのため彼らを出演させることは断念したそうです。

 彼らが自由になるには、日本に滞在することを放棄し、逃れてきた自国へ帰るしかありません。でも帰国後、彼らを待ち受けているのは、逮捕や弾圧、最悪な場合は命を失うこともあります。

 

 日本の出入国在留管理庁の公式ホームページによると、令和2年は

 

難民認定申請者数は3,936人で、前年に比べ6,439人(約62%)減少。また、審査請求数は2,573人で、前年に比べ2,557人(約50%)減少。
・難民認定手続の結果、我が国での在留を認めた外国人は91人。その内訳は,難民と認定した外国人が47人難民とは認定しなかったものの人道的な配慮を理由に在留を認めた外国人が44人

 

 日本は世界的にも例を見ない、難民認定が厳しく、認定数の少ない国です。

 昨年の3月には、名古屋出入国在留管理局の収容施設に収容されていたスリランカ人の女性が死亡する事件が起きました。原因は適切な医療受けられなかったためとして、遺族が訴えを起こしています。

 これに限らず、入国管理局に収監されている外国人が不当な待遇を受けているという報告は、多数あります。

 

 「マイスモールランド」の主人公は17歳のクルド人の女子高生・サーリャ。彼女は幼い頃に父親に連れられ、日本に避難してきました。今では日本語を流ちょうに話したり書いたりすることができ、地域のクルド人の通訳としても頼られています。成績も優秀で、推薦での大学進学を目指しています。

 高校には仲の良い友達がいて、都県境を越えたすぐ隣の東京にあるコンビニエンスストアでアルバイトもしています。

 家ではクルドの伝統を守る父親に従い、お祈りは欠かさず、クルド料理をみんなで食べています。

 彼女には中学二年生の妹と小学二年生の弟がいます。二人とも日本で育ったので日本語には苦労しませんが、故郷のクルド語は理解ができません。

 ある日、この家族は申請していた難民認定が受理されず、在留資格の期限が切れたことを通告されます。そして強制送還や入国管理局に収監される代わりに仮放免を告げられます。日本にはいられますが、働くことも他の都道府県への移動も禁止されます。

 しかし働かずに生活することはできません。サーリャはその事実を隠してコンビニでのアルバイトを続けます。

 父親も工事現場での仕事を続けますが、ある日そのことが警察にばれ、入国管理局に収監されてしまいます。収監期限は未定です。

 やがてサーリャもコンビニの店長に在留資格が失効したことを知られ、解雇されてしまいます。

 彼女が心を許せるのは、コンビニのアルバイトで知り合った同じ学年の聡太。サーリャはこれまで学校の友人にも明かさなかった自分がクルド人の難民であり、自分たちが置かれた境遇について話します。

 聡太はサーリャに寄り添おうとしますが、何をしてよいのかが分かりません。

 それでもサーリャは彼女の妹弟と一緒に、この国で生きていくしかありません。

 

 川口市という極めて限られた地域を舞台としながらも、そこから見えてくるのは、世界中で起きている普遍的な問題です。

 戦争や紛争によって故郷を追われ、日本に逃げてきた難民。でもそこには難民申請という大きな壁が立ちはだかっています。

 僕たち日本人が当たり前に享受している「自由」や「権利」が、彼らには遥かに遠いところにあります。彼らは危険な人々ではありませんし、ましてや犯罪者でもありません。故郷の国に平和が訪れるまでの間、安心して暮らせる場所にいたいだけなのです。しかし日本の法律は、簡単に彼らに日本で暮らす自由や権利を与えてはくれません。

 

 この映画が教えてくれるもうひとつ大切なことは、クルド人のことです。彼らは現在のトルコ、シリア、イラク、イランの国境にまたがるクルディスタン地域を出身とする民族で、人口は3,500万~4,800万人いる国を持たない最大の民族と言われています。独自の文化と言語を持っていますが、それぞれの国で少数民族として扱われ、迫害を受けてきています。 紛争や弾圧を逃れ、難民として世界中に渡っています。日本もそのひとつです。

 先に「故郷を逃れ」と書きましたが、実はその故郷ですら不確かなのが実情です。国家とは何か、民族のアイデンティティとは何か、ということもこの映画は投げかけてきます。

 映画の中で、サーリャがアルバイトのために自分の住んでいる川口市から荒川を渡って東京へアルバイトに行く場面が何度か登場します。都道府県境を越えることなど、日本人には当たり前で何でもないことです。しかし難民申請が不受理となったサーリャには、そんなことさえ許されるなくなります。それは各国の思惑によって国境を引かれ、分断されたクルド民族の不条理と悲しみを象徴しているように感じました。

 

 とても大切なことを教えてくれるこの作品を、より説得力があり、強く響かせてくれるのがサーリャを演じた 嵐莉菜さんと、聡太を演じた 奥平大兼さんです。

 嵐さんは ファッション誌「ViVi」の専属モデル の17歳。演技はこれが初めてだそうですが、とてもそうとは思えない見事なデビューです。最初はその美しさに見とれてしまいますが、難民として生きる悲しみ、そしてそれでも生きていかなければならない力強さに心を奪われます。特に彼女の眼の表現力が素晴らしい!ラストカットの彼女のまなざしには、心を打たれました。

 奥平さんも素晴らしい俳優です。 2020年の映画『MOTHER マザー』でデビュー。この作品での彼も良かったですが、今作では等身大の高校生を演じつつ、クルド難民というサーリャの境遇を知り、とまどいながらも何とかしてあげたい、でも何もできないもどかしさを、見事に演じています。

 この2人の才能ある若い役者の存在が、この作品を秀でたものにしているのは間違いありません。

 またサーリャの家族を演じたのは、実際の嵐さんの家族です。とても自然で、違和感を感じさせません。

 

 監督の川和田恵真さんは、これが長編映画デビュー作。 是枝裕和監督や西川美和監督の作品に関わり、研鑽を積んできたとは言え、見事なデビューです。この難しいテーマを、だれもが共感でき、考えさせるきっかけとなる作品にまとめあげた手腕に脱帽です。これからが楽しみな監督です。

 

 映画の公開から9日後に新宿ピカデリー観たのですが、チケットは完売。上映後には拍手が起きました。舞台挨拶があったわけでもないのに、こういうことはなかなかありません。

 

 今はウクライナの避難民のことがクローズアップされています。彼らに対し可能な限りの手を差し伸べるのは言うまでもありません。日本もウクライナからの避難民を受け入れ、それが美談のごとく報じられています。

 一方で、名古屋入国管理局で起きたような、難民に対する不当で不条理な事件は数多く起きています。そして難民認定の困難な状況が改善される兆しはありません。こうした事実はなかなか表面に出てきません。

 難民に対する不当で不条理な対応は、ある意味戦争に加担しているのと同じなのではないかと思います。

 ミサイルが飛び交い、激しい銃撃戦が行われることだけが戦争ではありません。この日本にも戦争は暗い影を落としているのです。

 それに対し、何ができるのかは、今の僕にはわかりません。

 まずはこうした事実があることを知ることから始めたいと思います。