VFX(視覚効果)に人生を賭けた2人の女性の物語「スタッフロール」 | 帰ってきた神保町日記      ~Return to the Kingdom of Books~

VFX(視覚効果)に人生を賭けた2人の女性の物語「スタッフロール」

深緑野分『スタッフロール』

 

 少年時代に「スターウォーズ」「未知との遭遇」の洗礼を受け、以降は映画の特殊撮影や特殊効果の魅力にどっぷりハマっている僕にとっては、たまらない小説でした!

 これは映画のVFX(Visual Effects:視覚効果)に人生を賭けた2人の女性が主人公の物語です。

 ひとりは1970〜1980年代に特殊造形師として働き、映画「レジェンド・オブ・ストレンジャー」に登場する伝説の怪物“X”を生み出したマチルダ。

 もうひとりは2017年にCGアニメーターとして働いてるヴィヴィアン。彼女の所属するCGスタジオは、リメイクされることになった「レジェンド・オブ・ストレンジャー」のCGを担当することになります。

 マチルダの生きた時代は、まだ映画の特殊効果にほとんどCGは使われておらず、フィルム合成やミニチュア撮影、特殊メイクアップや特殊造形が主流の頃。マチルダは少女時代に見た影絵の犬の怪物が忘れられず、それを追い求めるように映画の特殊造形の世界へと足を踏み入れていきます。しかし、まだ映画の世界、それも特殊効果の世界で活躍する女性はほとんどおらず、彼女はジェンダーギャップに苦しみながらも、自分の理想のクリーチャーを創り上げるため、徐々にその世界での地位を築いていきます。しかし、ある出来事をきっかけに、マチルダは映画の世界から去っていきます。

 時代は変わり2017年、CGアニメーターのヴィヴィアンは、CGスタジオ・リンクスの一員として働いています。リンクスがリメイクを手がけることになった「レジェンド・オブ・ストレンジャー」は熱狂的なファンの多い作品。特にこの映画に登場する怪物“X”は、その造形の素晴らしさから、CGで作り直すことに批判的な意見がネット上に溢れていました。“X”のCG化のためには、オリジナルの造形物が必要でしたが、その行方は分からなくなっていました。それでもCGクリエイターとしてのプライドを賭けて、ヴィヴィアンたちはこの困難なプロジェクトに立ち向かいます。

 ある日、ヴィヴィアンのもとにモーリーンという女性が現れます。彼女は映画のCG特殊効果の先駆けとなったスタジオの創設者で、マチルダとも浅からぬ因縁の持ち主。モーリーンはヴィヴィアンにマチルダの居場所を知らせます。そして彼女に会えば、活路が開けると示唆します。

 ヴィヴィアンはマチルダに会えるのか?そしてその先に待ち受けていることとは!?

 

 マチルダやヴィヴィアンは架空の人物ですが、背景には彼女たちが生きた時代に実際に活躍した視覚効果の職人や作品が登場します。レイ・ハリーハウゼンディック・スミススチュアート・フリーボーンリズ・ムーアリック・ベイカーダグラス。トランブルロブ・ボッティン、etc。作品では「2001年:宇宙の旅」「アルゴ探検隊の大冒険」「スターウォーズ」「未知との遭遇」「エイリアン」「ハウリング」「遊星からの物体X」「ブレードランナー」、その他数えきれないくらいたくさん登場します。

 いずれも僕が映画に夢中になり始めた10代の頃に貪るように見て、知識を得ていた人物や作品ばかり。読みながらこの人たちの名前や作品名が出てくるたびに、胸が熱くなるのです。

 

 マチルダがアナログな視覚効果の時代の人物なのに対し、ヴィヴィアンは常に最先端のCG技術を追求するデジタルの世界の人間。

 マチルダは映画のVFXの主流がCGへ移り変わっていくことが頭では理解していても心情的に受け入れられず、激しい葛藤の末にVFXの世界から身を引いていきます。

 一方ヴィヴィアンは、CGアニメーターとしての仕事に誇りは持っていますが、マチルダのように無から新たなものを創造する力がないことに負い目があり、所詮自分は歯車のひとつなのではないか?という疑問を感じています。

 そんな二人の思いと葛藤が、時代を超えて共鳴するところがこの物語の読みどころ。

 映画の特殊撮影・特殊効果の歴史や技術についても綿密に取材されており、僕のようなコアなファンでなくてもVFXについてよくわかる内容になっています。

 そして、VFXという魔法が映画においてどういうものなのか?ということを考えさせてくれます。

 僕は最初に書いたように「スターウォーズ」と「未知との遭遇」と出会ったことで映画の魅力にどっぷりハマった人間なので、僕にとっては「映画」=「VFX(視覚効果)」の面白さなのです。

 

 CGの驚異的な発達により、これまで不可能と思われていた映像表現が次々とスクリーンに登場しています。それは今は亡き俳優ですら甦らせ、新たな演技をさせることも可能にしています。でもそれは死者への冒涜なのではないか?

 物語の中でCGとアナログのVFXを比べ、そんな現実に疑問を感じるヴィヴィアンに対して、同僚が投げかけるこんな言葉が出てきます。

 

 「死んだ人間を生き返らせることが罪なら、別の人種や性別に成り代わる演技だって罪になる。フィクションとはそういう、罪を背負っているものだと僕は思う。」

 「〜CGは可能性の守護神だと思う。創造主(クリエイター)までもが実現不可能だと思い込んでいる想像を、スクリーン上に映し出すことができる。それは可能性を司る守護神だろう。」

 

 映像表現の可能性に今も全力で取り組む全てのアーチストに向けられた応援歌であり、人間賛歌です。